最近、このYamasemi WEB BLOGを見る読者に対しアクセスする時点でBloggerがこういう警告を出すようになっている。何故か現在は出たり出なかったり、日によって異なる。
で、今日の話・・。
宮城県知事村井氏の意見をきっかけに「国民スポーツ大会」(旧・国民体育大会)を巡る議論が活発になっている。筆者はどんどんやるべきだと思っている。
https://www.asahi.com/articles/ASS4H42KVS4HUNHB002M.html?iref=pc_photo_gallery_bottom より出典村井知事は「国スポ(=旧・国体)が3巡目(=1945年終戦後復興を目指して全国持ち回り開催三周目の事)を迎えるにあたって『聖域とかタブー』とかいうのを抜きにして、全くの白紙の状態で『廃止』も含めて議論した方がいい」と指摘したという。
直ちに開催関係者達が自分の職や肩書が無くなる事を含めて猛反対し始めたようだが、筆者的にはいくつかの理由で昔から国体(=国民体育大会)は早く廃止すべきだ・・と述べてきた。
単に色々なメディア報道を観て筆者がそう思ったのではなく、以下の様にいくつかの自分自身の経験値を理由によりそう判断している。
まず、筆者自身1971年和歌山国体時のサッカー部門・神奈川県知事杯で日本実業団リーグの強豪東芝との決勝(三ッ沢競技場)において引き分け同時優勝し、神奈川県国体代表権を得た横浜国大サッカー部の出場選手だった事。出場者決定の方法があまりにファジーだという事を知った。
1960年熊本開催の国体時には、地元の熊本県八代市立太田郷小学校6年生在学中で10月の1か月間、連日炎天下開会式のマスゲーム練習に駆り出され、ロクな授業が無かった経験をしている。
これらに加え、いつ頃からか国体では日本記録など出ない・・という事実を知ってしまったこと。世界を目指すアスリートは国体になど出ないという事。※例えばバルセロナオリンピックで14歳ながら水泳金メダリストの岩崎恭子なども国体には出ていない。
2005年の静岡国体では広告代理店の立場から運営・演出面で裏方を担当、3年間近く担当し、その大変さ、地元への負担、利権争いの醜さ・・も経験し数々の問題点を知っている。
トドメは、開催県が総合優勝し天皇杯・皇后杯を獲得することが「お約束」になっていて、その目的を果たすため全国からトップクラスのアスリートを教育関係の「県職員」として開催数年前から集め、県内に住まわせ開催県選手として出場させるなどと言う「詐欺・八百長」まがいの事が当然のように行われている事を知ったからだ。
名前だけ国体から「国民スポーツ大会」に替えても、運営組織の思想や開催実態・開催県優勝かならず・・・などと言う漫画の様な常識が以前のままなのだから、何も変わっていなかったという事だろうと推察する。
宮城県知事ご自身は色々な業務の中で「国民スポーツ大会」にそれほど詳しいとは思えない。部下やブレーンにあたる地元のスポーツ関係者達の苦労や改革案をよく理解しているからこその発言と思われる。
岩手県の達増知事も同様な前向きな意見を出している。今後全国に広がるだろう。