2023年6月15日木曜日

野鳥の瞬間を捉えた生態写真と野鳥をモチーフにした綺麗な写真のちがいを学ぶ。 Learn the difference between ecological photography that captures the moment of wild birds and beautiful photography that uses wild birds as motifs.

  ここ数日このブログへのアクセスが異常だ。連日アクセス1,200回を超えている。よく筆者もこのブログで述べている通り著名人でも芸能人でもない一般人のブログでこれだけ観て頂けるというのは、きっとどこかでこのサイトが紹介されたからだろう。

 昨日の投稿だけに集中したのではなく、このヤマセミWEBブログ全体に興味を持たれた方が集中的に過去ログなど含めて閲覧されているのではないか?と推察する。嬉しい事だ。

 単にFacebook 投稿やTwitterに「いいね!」を貰うのとは訳が違う。ブロガーにとってはやりがいに通じる。

 昨日は、佐藤秀明さんという守備範囲の非常に広い世界中を見渡しても稀有な存在の写真家さんのお手伝いをする中で、学んだ野鳥の写真についての「視かた、考え方」の違いを述べてみたが、今日は野鳥写真のジャンルの色々をご紹介しようと思う。

 まずは普通の野鳥撮影愛好家のジャンル。これは国内でも一番人口の多いジャンルでカメラメーカーの消費者ボリュームゾーンのほとんどを占めているだろう。野鳥を見つけた!出遭えた!撮れた!上手く撮れてた!・・という喜びは、普通の写真撮影(プロは別としての鉄道・景色・祭・花・インテリアなどの静物)愛好者とはずいぶん違う。

 鉄道は時刻表や同人情報でいつ何処を列車が通るか判っている。富士山やその他の景色は其処から動かない、せいぜい朝霧や雲海がいつどこに出るか?…程度だろう。

 それに比べると、野鳥というターゲットはある程度予測したにしろ「いつ何処で被写体に出遭えるか判らない不安と面白さ」といった期待度が高いというプラスアルファが存在する。

 偶然とラッキーが無ければ撮れない世界だから。これが野鳥撮影にはまる人が多い根本理由だろう。シマエナガのダンゴやメジロのメジロ押し、シマフクロウなどの写真を見て「いつか俺も、私も」というのもこの方々の一般的な願望だろう。

 単に珍しい野鳥、出遭い難い野鳥、特に国内に限らず海外へ出向いてそこにしか居ない希少種の野鳥を時間とお金を掛けて撮影する「綺麗で珍しい野鳥写真ジャンル」がまず存在する。このジャンルは現役をリタイヤし時間と金銭的余裕がある高齢者に多いと思われる。

 以前、親類の一人に中南米のある国の大使に赴任した者が居て、その赴任中にその国へ赴き珍しい野鳥たちを撮影してみたいと思った事があったが、他に野鳥関係で写真集を出版する作業が連続であって断念した。ガラパゴスへ行く最後のチャンスだったが残念だった。

世界でたった100㎞四方にしかいないボーダンクロオウム

出遭えたのも撮れたのも偶然のたまもの

西オーストラリア・マーガレットリバー附近にしかいない

絶対数が非常に少ない。

 そういった、「そこ(特に海外)へ行けなければ撮れない・出遭えない野鳥」を綺麗に撮っておられる方がまず思いのほか結構居る。

 もちろんこれも時間とお金に余裕が無ければ出来ない事だ。百科事典や野鳥図鑑のように色々な珍しい野鳥が綺麗に撮れているので、一般的には一番「良いねぇ、こんな写真が撮れるののは羨ましいねぇ?」というジャンルだ。

 次に、めったに出遭えない渡り鳥やへき地でしか出遭えない希少種の野鳥を主に撮影する方々、日本国内で言えば奄美・沖縄などへ行かないと出遭えないアカヒゲ、カンムリワシ、ヤンバルクイナ、リュウキュウアカショウビンなど。逆に北へ行けば道東のオオワシ、オジロワシ、エトピリカなどがこれに当たると思われる。団塊世代特有の「優越感」を味わいたい、人に褒めてもらいたい、自慢したい・・方々の努力の頂点がこのジャンルかも知れない。決して悪い事ではない、人間年取ると勲章だの表彰だの「認めてもらいたい、褒めてもらいたい願望」で脳が一杯になるというから・・。

 たとえば日本には数羽しかいないエトピリカ、英国には数万羽のコロニーが存在する。こうやって撮れるだけが普通の野鳥写真撮影愛好家の第一段階。2016年漁船から撮影。

 野鳥撮影者の中で「達人・名人」と呼ばれる御仁はこのジャンルのベテランが多い。個人の眼で切った「野鳥図鑑」と言って良い写真集などを出す方も多い。

 知床半島で信じられないほど高い撮影乗船料を払って流氷の上に撒かれた魚を争って奪い合うオオワシ・オジロワシを撮りに行く方もこのジャンルに入るだろう。しかしプロもアマも皆さん同じ船の上からの撮影なので殆ど同じアングル、同じような絵になってしまうので、出来た作品画像はすぐに何処でどうやって撮ったか判ってしまう。


 次に、野鳥の佇まいを周りの背景の素晴らしさと共に「アート作品」的に撮影する方。これは知る限り数名しかいない。このジャンルは先ほどの国内外を問わず珍しい野鳥、出遭い難い野鳥をただ撮るのではなく、紅葉や満開の桜、朝霧をバックに野鳥の佇まいを撮るものでセンスと運、地道な努力が揃わないと撮れない。

 熊本県菊池にお住いの安藤博人さんがこのジャンルの第一人者だろうと思う。この方の写真展のお手伝いをしたことがあったが、とても筆者には撮れない「難しい一瞬」を見事に撮られていて圧倒された記憶がある。


 そうして筆者のような野鳥の生態・証拠写真的な「野鳥の生態の中で観られるある瞬間」を切り取る写真が非常に少ないジャンルではあるが存在すると思う。尊敬する北海道千歳の嶋田忠さんなどがその第一人者だろう。その野鳥が「其処に居たから撮れた」ではなく、その生態をつぶさに観察して、単なる枝留まりではない、採餌、繁殖活動、巣立ち、天敵防御・・など学術的に意味のある瞬間を切り取る・・。

先ほどのエトピリカでも餌のイワシを咥えているだけでもう違うジャンルの写真だ。

更には飛んでいる状態のエトピリカにはなかなか出遭えない。

しかも、この野鳥特有のわりに高い高度を飛ぶ証拠画像に成ると更に少ない。残念だがこの瞬間を写真展やコンテストに応募するレベルで切り取る撮影は、NHKやBBCではあるまいし難しすぎる。漁船の上からだし・・。

こうした繁殖地モユルリ島上空を飛ぶ画像などまず無いだろう。

 筆者が求め目指してきた野鳥撮影の世界はまさにこのジャンルなのだ。

 要は同じ野鳥写真でも、「わ~綺麗ね?凄いわね?」だけで済むような浅い世界では無いという事を言いたいのだ。作品に成った野鳥写真をただ観る人と、実際野鳥を撮っている人の「野鳥写真」を観る視点・観点は全然違う。だからこそ野鳥の写真を自分で撮ったことも無い審査員が、出来た作品だけ観て評価する写真展など、絶対に出品応募しないのだ。これは賛成・同意してくれる同人が沢山いる。