2020年3月21日土曜日

団塊世代は新型コロナウイルス禍で客が減って声高に騒ぐ観光業界を憂える。 The baby-boom generation is worried about the tourist industry that is losing customers because of the new corona virus.

 三連休三日目の今日もまた新型コロナウイルス禍で増えた世界中の感染者や死者のニュースで、メディア・マスコミ界は普通のあり様ではない。あの紳士の国英国ロンドンで暴動・略奪が起きているのをYoutubeで観て驚いている。2020TOKYOオリンピックの実施・開催に関しても、今年秋への延期や1年~2年延期説が飛び交い始めている。

 近代オリンピックの創始者クーベルタン男爵の言葉ではないが、「オリンピックは参加することに意義がある。」だというのに、新型コロナウイルスが蔓延している今の状況下、各国から選手関係者が我々の首都東京に参加集結するなど、考えただけでもあり得ない話だろう?

 このような状況下、オリンピックどころではなく日々の糧に困り始めているのが日本の観光地の観光業界だ。
 基本的に筆者は自分たちの努力は微々たるもので、基本的には他力本願で観光客が来て潤っている門前の土産物屋のような観光業界には今まで厳しい見方をしてきた。

 これは農業と漁業を比べても同じ見方をしている。汗水を流し、腰を痛めながら田畑を耕し、肥料を施し、天候・気象と一年もの長い期間闘いながら成果物を育てる「農林業」と、自然がくれた海の恵みを漁業権を主張しながら魚探を使って網などの漁法で一網打尽にする、比較的短期作業の「漁業」の他力本願の生業には雲泥の差がある・・・と思っている。

 もちろん荒れた海で命がけ作業の大変さも判るし、何億という漁船への投資の苦労も判る。さらに昨今魚の養殖業も発展してきて、首都圏の魚売り場の商品の半分は「養殖もの」になっている現在、一概にそう簡単な比較は出来にくい様だが、自然の恵みを刈り取る基本・本質はあまり変わっていないだろう?

 で、観光業界の話に戻ると観光産業の基本が門前の土産物屋という考え方は昔から変わらない。門前をなす大元の寺社・名所旧跡は観光業者が造ったり建てた物ではない。悪い言葉を使えば門前市は「寄生虫」に近いものだ。しかし、その寄生虫がいるからこそ大元の寺社への寄贈・布施も集まりやすい、いわば持ちつ持たれつ「イソギンチャクとクマノミ」の関係に近いと言って良い。

 今回の新型コロナウイルス禍においてはそのどちらにとっても「災難」な訳で、誰が悪いと責められないところが歯がゆい所なのだろう。人が来なければ儲からない、人が金を落としてくれなければ成り立たない。しかし世界中から感染者・保菌者があつまり黴菌を拡散してしまう観光地は「悪の温床」なのだから困ってしまう。

 一方で首都圏の満員電車から感染者が急速に広がっているという話はあまり聞いたことがない。閉鎖した場所で人と人が接近していると移りやすい、「濃厚接触者」といわれかねないのに、なぜ満員電車は拡散原因ではないのだろう?
中央線快速電車の三連休の昼間ですらこの混み具合だ。

 動く感染者培養器になりかねないクルーズ船がどんどん欠航になり、航空機も世界中の国が国外渡航禁止だらけで止まってしまい、航空機も便が減りCAは休暇を出され、観光バス運転者は失職し世の中の「観光業」の主要素は止まったままだ。

 こんな中、観光地では通常通りの祭りを開催している。いくらオープンエアーの祭催事とはいえ、多くの人々が集い体を寄せ合う行為に「濃厚接触」の恐れはないのだろうか?
 我が国政府や専門家の発する罰則の無い自粛要請に対して、何事も徹底するトランプ大統領のアメリカでは違反すれば罰則の付く「規制」が施されたようだ。

 一方で、今回のウイルス感染での死亡者が世界で最大数に上ってしまったイタリアでは、観光客が居なくなってベネチアの運河が奇麗になっているという。この新型コロナウイルス禍の間に、観光地の佇まいの補修・精査をするのも良いという意見もあるようだ。
https://www.jiji.com/jc/article?k=20200319039850a&g=afp 

 国の考え方、徹底の方法に随分な差を感ずる筆者なのだが、この先どちらが良かったのか、結果が出るだろう。ここに京都の事を常日頃から考えている京都新聞社のコロナウイルス禍が始まって以降の祭りの報道を拾ってみた。

 京都は特に外国人観光客の激減で生業が成り立たず国内でも一番困っていると考える。ベネチアの情報を参考に、この機に「世界の京都」の観光客受け入れの見直しと観光客移動と市民生活の共存に関する立て直しを図ったら如何だろう?

 ただ現状を嘆くだけではなく、オーバー・ツーリズム対策を行うにまたとない機会だと思うが如何だろう。もちろん国もただやみくもにインバウンドを増やす方策だけに資金を投下するのではなく、京都などめぼしい日本の観光資源の受け入れ対策に目を転じるべきではないだろうか。

 数年前、錦市場で詐欺まがいでいい加減なものを売られた恨みから、その後京都に足を踏み入れていない筆者だが、京都人の行動・商売方法は別としてその町の伝統と佇まいには魅力を感じているので、今回の件が非常に気になっている。

 JR東海も「そうだ、京都へ行こう!」という使い古したキャンペーンではなく「そうだ、京都を救おう!」というキャンペーンにでもしたら如何?




 祭りは、基本的にはその土地の者たちのモノで、本来よそ者は参加も見物も出来なかったのだが、いつの間にか観光資源・無形文化財になって「金を持ってきてくれる人を呼ぶネタ」と化している。これが、新型コロナウイルスの蔓延に妙な加担をしなければ良いと思う。

 観光客は呼び戻したい、しかし疫病の拡散に加担しないでおきたい、悩ましい所だろうが、あと数か月の辛抱であることを願ってやまない。