その存在感が大きかったせいか、今朝のワイドショーは樹木希林一色で、昨日引退した安室奈美恵のネタはぶっ飛んでしまった。
1971年頃テレビドラマ「時間ですよ!」で悠木千帆の名で注目を浴びて以降、「寺内貫太郎一家」で人気は定着したと思う。
沢田研二のポスターの前で身をよじりながら「じゅりーっ!」と叫ぶシーンや、富士カラーのお正月用コマーシャルで岸本加代子相手に「美しい人はより美しく、そうでない方は『そうでない場合は?』それなりに映ります」が印象深い。
30歳代でお婆さん(祖母)役をこなした怪優でもある。女性版・笠智衆って所か?
1977年のテレビ朝日誕生記念番組のなかのTVオークションコーナーで、何も売るものが無いと「悠木千帆」の芸名をオークションにかけ売り、この時点から樹木希林の芸名になったという。この方の周りはとにかく普通の尺度では計れないユニークさが漂っていた人生だったろうな…と思う。
5年前程の日本アカデミー賞の表彰スピーチで全身ガン告白をした際のTVインタビューで終活的な事をしていると喋っていた。財産分与だとかモロモロの後始末に関して説明し、記者の「遺言みたいなものですか?」」との問いに「当たり前でしょ?何も準備しないで死んでいくって、後に残った人たちがどれだけ混乱・迷惑するか?あんたたち何も考えた事無いのぉ?最低ね?」と記者達を諭していたのが非常に印象深かった。
老け役で団塊世代と一緒に時代を歩んできた女優なので相当先輩かと思っていたら、たった5歳年上だったのだ。75歳で没。今年12月で70歳古希に成る筆者に置き換えてみればあと5年の命って事だ、日数換算すれば残り1825日、2000日無いのだ。
年で考えればまだ5年あると思うが、日数で考えれば指折り1800強しかないのだ。いい加減己の死の準備をしても良い、というよりすべき時期だろうと思う。ちょうど5年前、2013年の自分の誕生日12月8日のこのブログでこの辺りに関しては既に書き記していた、ご参考。
http://yamasemiweb.blogspot.com/2013/12/today-i-became-sixty-five-years-old-and.html
小学校、中学校、高校などの想い出のクラス会も55歳~65歳くらいの10年間の出席率が最盛期で、それ以降は開かれなくなったり、開いても急激に出席率が低下するようだ。これは1995年~2017年の頃、盛んに小、中、高、大学時代の同期会・クラス会の幹事や幹事サポートを行った経験値や体感値から来るものだ。
現に筆者も九州の小学校時代のクラス会は2010年以降開かれていないし、中学校時代の同期会も幹事会ばかり活発で、ほぼ2年ごとに行われる会も滞りがちで参加する意欲も余り湧かない。
2010年北九州小倉の附属小学校クラス会・東京で開催
2010年開催の奥沢中学校の同期会
2015年開催の都立広尾高校F組クラス会
2017年開催の横浜国立大学教育学部のクラス会
クラス会幹事は案内状発送・出欠確認・会場演出・報告書発送などその作業は多岐にわたる。長年集めた記念切手をどんどん使うのもこういう事でもない限り無い。記念切手を集めていた頃はまさかこういう事に成ろうとは思いもしなかった。
クラス会・同期会に出なくなる理由は幾つもある。まずは一番切実なメンバーの「死」だ。既に高校のクラスで言えば52名中8名が鬼籍入りしている。15%だ。これは今後1年ごとに雪だるま式、あるいはy=
自分に近い人間が亡くなる都度、自分の番を考えない団塊世代はいないだろう。(=二重否定は強い肯定?)つい最近それを体験して未だに余韻が残ったままの筆者でもある。
次の理由が、「死」に至っていなくても、参加したくても本人が病気や怪我で動けなくなっている、老いた母親の介護で出られない、毎回同じ顔触れだし数回出席して友の現状も判ったので飽きた・・・などなど。 樹木希林さんのインタビューでは無いが、財産分与(あくまで、有ればの話だが・・・)動産・不動産の処理は特にきちんとしておくべきだろう。宝くじに当たった事を知った家族・親類縁者が勝手に本人との間柄を裁定し「私ならこれぐらい貰って当然よね?」と思い出す様になるからややこしい。相続争いの原点が此処に在る。 その対処法は色々なスタイルが有るので各自調べてしてほしい。勿論此処では一切ご紹介しない。 収集癖のある人は集めたものの処分、これはどんなにその人にとって重要で価値のあるモノでも、残念ながら他人にとってはガラクタである場合が非常に多い。カメラ、車、美術品、レコード、切手・コイン、絵葉書、ミニカー、フィギュア、などだ。
筆者も3000枚を超えるコレクターズアイテムのレコード群やオーディオ装置などが遺品ガラクタになるのだろうか。
カメラはあくまで道具だとは思いつつフィルム時代からの十数台がガラクタに成ってしまう。
財産以外では、葬式、墓、収集物以外の物理的遺物処分だ。その昔は身の回りの物を「形見分け」として近親者に分けたが、最近はあまり聞かない。デジタルデータで保存したり収集したモノが余りに多く、リアルのモノが少ないからだろうか?
銀行や株の財産、その他がパソコンの中に全て入っているという人もそのうち出てくるのではないだろうか。これらのデータ管理が出来なきゃどうしようもない、あるいはパソコンそのものを触れなければ気付く事すらなかったりする恐ろしい時代に入りつつあるのだ。
終活の第一番は、財産をリアルの現金にしておくことなのかもしれない。