2015年9月27日日曜日

「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝 #10.広告代理店『中央宣興』時代その7

  前回の生・吉永小百合すれ違い事件は、思わぬ反響を呼んでしまった。2名の旧友から「何故、今まで黙っていた?」「生の彼女を拝めると寿命が10年延びるんだぞ!」・・・・って、吉永小百合は観音様か?

 そんなに大変な事なのかとネットで良く調べたら、彼女は眼がど近眼で遠くが良く見えないという事らしい。それで、何処ででも出逢った人に失礼があってはいけないので、道端で人に出遭うと、だれ彼かまわず相手が判らなくても、関係がありそうだと思うと、とにかくお辞儀をする癖が在るのだと数年経ってTVのインタビューで知った。

 それにもう一つ重要なポイントが在ったのだ。吉永小百合さんは今筆者が関係している早稲田大学の卒業生で、大のラグビー好きだという事なのだ!たぶん今英国でやっているラグビーのワールドカップも眠たい目をこすりながら毎回観戦しているに違いない!
1960年代以降、ずーっと日本人団塊世代男性全体の憧れ。 Googole画像より

 それで、今になって判った事!あれから35年!当日の私は何を着て自転車に乗ってたか?そう、前回説明したとおりラグビージャージだったのだ!
街中だろうが、峠越えだろうが、追い抜く車から見えやすいようにラグジャを着た。

 六本木の街中の交差点の向こう側で、ラグビージャージを着て自転車を横に携えた若者?がいるのに出逢ったのだ吉永さんは。今になって思うに彼女がこちらを見ていたというのは、そのラグビージャージを興味深く見ていたのに違いないのだ。近眼の彼女には交差点の向こうからこちらの顔つきなど見える訳が無い!間違っても「ちょっといい男ね?」じゃなくって、目が悪くても判別可能な派手な横縞ラガーシャツを視て「何でラグビージャージなんか着て、こんな所で自転車押しているんだろう・・・?」コレが正解に違いない。35年経って二度も顔を赤らめる筆者だった。
筆者は何処へ行くにも自転車に乗る際はラグビージャージを着た。雑誌ポパイより 

 と、同時に当日の事が走馬灯のように芋蔓式に思い出されてきた。わざわざ三鷹から自転車で行った理由は単なる移動手段として自転車を使ったのではなく、筆者の自転車そのものを撮影する為だったのだ。つまりロードレーサー(=自転車)を撮影し、その画像を大きく伸ばしてそれをベースにイラストレーターがスーパーリアリズム手法でエアブラシで作画するのだった。だから全てのベースになる本物の自転車が細部のメカニズムチェックの為必要だったのだ、思い出した。

 つまりそのまま自転車本体もイラストレーターのアトリエに運ばれたのだ。そういえばホンダプジョーの駅貼りポスターを改めて良く視て、イラスト原画はフレームサイズやアッセンブル部品が筆者の自転車そのままだという事に気が付いた。どうやら後輪の変速機も個性的な縦型で当時一番人気のイタリア製カンパニョーロの物が描かれている。
 サドルも自分が使っているものそのままだった。久しぶりにポスターの原画を見てみて色々な事が判ってきて35年間の時空が一気に縮まった気がした。

 一方で、前回出てきた雑誌ポパイの自転車特集RUN RUN RUNは1981年1月にVAN時代の同期・内坂庸夫氏の声掛かりでお手伝いしたもの、宣伝部宣伝課から読売新聞のムック本企画プロジェクト「スキーライフ」発刊メンバーに選抜された雑誌出版界に在っては、当時既に新進気鋭のエディターになっていた人物。少しこの時の話をしてみよう。
ある意味、日本の若者をアウトドアに向けたエポックメーキング的雑誌。

雑誌ポパイ 自転車特集 1981年発行

 一人で40ページ以上の企画を任され、数々のスタッフをコントロールしながら特集をまとめるのは相当に大変だ。限られた時間に限られたスペースでジャーナリストとしてのテーマ表現をしつつ、なおかつスポンサーが広告出稿したくなるような魅力も盛り込まねば成らないのだから、複雑だ。 彼・内坂氏はそれをいとも簡単に長良川の鵜飼が鵜を上手くさばいて鮎を獲らせるがごとくスタッフを使いこなすのだった。

 この編集者達が凄いのは、昼間は取材撮影、夜は原稿書き!いわゆるビジネスマンと違って出勤・退勤などという時間の縛りが無いのだ。出版社のエディターたちは実に良く働く。こちらは中央宣興で昼間広告代理店マンをやりながら、仕事明けのアフターファイブに歩いて銀座1丁目から歌舞伎座裏の銀座3丁目マガジンハウスまで通うのが、臨時編集スタッフとしてのこの頃の二足のわらじ状態の毎日だった。土日はもう関係なかった。

 さすが、平凡パンチでブレイクした平凡出版(=マガジンハウスと名を改めるのは1983年)編集部には色々な芸能人や著名カメラマンが連日ひっきりなしに出入りしていた。篠山紀信、立木 義浩、浅井 愼平、テレビや雑誌でしか見たことがない人々がうようよ出入りしていた。
 在る時など小さなエレベーター前で、エレベーターホール中に響き渡る大きな声でしべリまくる脂ぎった背の低い若者がいるので、思わず「うるさいっ!」と言った。そうしたら「スミマセン、しゃべるのが商売なモンで・・」と顔を上げたのが片岡鶴太郎だった。何かオーストラリアで夜中に歩き回るオポッサムの様な動物を思わせる風貌だった。
浅井 愼平さんの文庫本

 この自転車特集の取材では軽井沢~旧中仙道にロケバスで1泊2日の撮影ロケがあって同行した。大柄な馬場祐介さんというカメラマンが色々な角度から撮影をして、横で見ていて大変勉強になった。ロケバスの屋根の上から撮ったり、崖が崩れそうな林道に入り込んで、長玉(=望遠レンズ)で狙ったり、その後の自分の写真撮影に非常に勉強になった。この頃プロのカメラマンさん達の撮影方法、段取りは全て横でメモって置いたので今でも相当役に立っている。
自転車特集・撮影ロケ中の馬場祐介カメラマン

 色々なカメラマンと一緒に仕事をしたが、やはり馬場祐介さん、恩田義則さんに随分学ばせてもらった。この頃小学館から創刊されたBE-PALという都会型アウトドアの月刊誌の手伝いもしたが、そちらでは一色一成さんというカメラマンのスタジオでの仕事を学ばせて頂いた。