今年のノーベル物理学賞をAIの専門家が受賞した。
https://www.nikkei-science.com/?p=74090
とくにこのうちジェフリー・ヒントン博士は、かってGoogleの非常勤研究者だったが2023年辞めている。
その理由が「⇒2023年5月1日、AIの発達が自身の想定を超えており、その危険性について話せるようにと、Googleを退職したことを明らかにした。※ウィキペディアより
ヒントン博士は、悪意のある者による意図的な悪用、人工知能による技術的失業、そして汎用人工知能による人類滅亡のリスクについて懸念を表明している。彼は、最悪の結果を避けるためには、AI利用において競合する者同士が協力して安全ガイドラインを確立する必要があると指摘した。」※以上ウィキぺディアより抜粋。
今年のノーベル賞・化学賞もAI関係者(活用者)が受賞した。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/nobelprize/2024/chemistry/article_01.html
これらの動きは、すでにこの世界が生成AIによりその使用結果による素晴らしい成果と、その逆の恐るべき事態の発生を同時に実現・予期していると言って良い。
脅威・怖さをまるで考えようとしない「便利で楽だからどんどん使っちゃう」という人々により、より速いスピードで世の中が混乱するという懸念が科学に強い人々の間で問題視されている。しかしメディア報道は現実の事態から相当遅れ気味のような気がする筆者なのだ。
スマホがそうだった、歩きスマホ、スマホ依存症、スマホ近眼、スマホ脳。客はスマホを持っているのが当たり前という前提での世の中の仕組みを強引に進める飲食ビジネス界・NHKテレビニュース。スマホ普及率は2024年確かに90%程度だ。しかし残りの10%1千万人以上はスマホを使わない生活をしている。これを切り捨てて良いのか?飲食店・NHK・・。
何で画面のQRコードで詳しい説明を読み取らなきゃいけないのだ?・・スマホ中毒の人間たち、視聴者はスマホを持っていて当たり前と強引に放送を進めるNHK。これらがこの先どうなるか?
此の脅威を予測する科学者たちの声を、メディアも通信機器製造メーカーも電波供給会社もビジネスの邪魔だと無視し続けている。数年先の地球と人類がどうなるかイージーで無知蒙昧な人類はまだ気が付いていない気がする。
https://www.youtube.com/watch?v=VASywEuqFd8&t=3s
このブログで幾度もご紹介したスマホの世界を予言した2016年のアニメ 「スマホに依存した恐怖の世界の終わり」
写真を重用する筆者にとって一番身近な生成AIは、もし活用するとすればその画像処理、画像制作・クリエイティブ作業にある。
しかし実は生成AIを使わずとも画像処理ソフトAdobe Photoshopなどで、充分あるレベルまでの画像処理は出来る。例えば二羽のコウライアイサ♀(日本では飛来数の極端に少ない希少種)の写真画像をベースに色々な画像処理を単純アプリでいじってみよう。最新版ではない20年以上前2002年発売のAdobe Photoshop 7.0を引っ張り出してきて動かしてみた。
元になる二羽のコウライアイサ♀の写真画像。
少し青味かけて水彩画でワトソン紙に描いたように見せる。
色は戻してタッチを少し繊細に・・・。
更にビビらせた画像
クチバシと足の赤みを強調したイラスト風
ステンドグラス風にも、生成AI使わずに簡単に出来るのだ。
こうして、写真をベースにイラストを描き上げるのは、奄美の自然を描いて人気の田中一村(明治41年栃木県生まれ、のち奄美大島へ移住)なども後期・晩年は写真撮影した画像をベースにイラスト画を描いている。
しかし単に写真を参考にモノを描くのとは異なり、IT、AIを使用してのイラスト化はオリジナリティにおいて「他人の力」を借りたパクリの境地に近いと筆者は思う。
2020年(実施は2021年)東京オリンピックのエンブレム事件を覚えておいでだろうか?
Aの作品とBの作品の良い所を合わせて新しいC作品を作れば、それは全く新しいオリジナル作品なのだ・・という論理で、広告代理店が日常進めてきた「悪しき常識」が世間から叩かれた事件だ。アートディレクター、イラストレーター、デザイナーが血祭りにあげられた事件。
生成AIはこれをA・B二種の作品どころの騒ぎではなく、世の中全ての作者判明・不明の画像情報を得たネットの画像倉庫、何百万点の中から抽出されたオリジナルを掛け合わせたりし、MIX加工してオーダーへの最適な画像を出してくれるというものだ。
この便利さ、楽さ加減がクリエーターのクリエィティブ力を発する必要が無い状況を生み出すことで、純粋なアーティストが世の中から激減することを暗示しているような気がする。「いわゆる本物の天才!」という人類は今後、もう出てこないかもしれない。
広告代理店のシステムから言えば、絵心などまるでない営業担当が、クライアントからの要望を訊いて「こんな感じのこういうモノを作ってよ!」と言葉でオーダーするだけで生成AIがいくつもサンプルを出してくるって寸法だ。
只し、もともと絵心が無い営業担当は出来上がって来た作品の良し悪しを判断出来る訳ない。だからクライアントへプレゼンで候補作品を提出する際は、アートディレクターの存在が必要になろう?アートディレクターの立位置と作業プロセスの順番が変わるだけかもしれないが・・。
生成AI系のデザイン画もイラスト画も、要はネット界に存在する画像の最大公約数の合成に過ぎないものだから、無味乾燥、魅力も味のないものになろう。
それを「凄い!」だの「いいね!」だの平気で思う今後の人類。感性やアーティスティックの分野では脳の退化が始まるのだろうと予測する。その意味からすればアートの世界での同類ジャンルでの差別化も難しくなっていくだろうと思う。
筆者が個人的に試してみたいのは、同じ生成AIソフトシステムを使用して全然別の二名、男女だったり20歳代と70歳代の二人だったりが「○○のような絵を描け!」とそれぞれ別の言い回しで指示した場合、まったく同じものが出て来るのか否か?どうなんだろう?
同時に、著作権のもんぢ亜も今後どんどん解釈が変わっていくだろう。
「生成AIで作った画像や文章は、そのままビジネスシーンで利用して問題無いのでしょうか?」にそこいらへんへの今時点での答えが在るようだ。
こうなると、絵やイラストの世界は生成AIにかき回されてしまうだろうから、パソコンのフォント通りに印刷された文字ではなく、毛筆で書かれた同じ漢字でも形も墨の色も違う書道の作品が、人類最後のオリジナルフリーハンドのアート作品になる日もそう遠くないだろう。