盗作、パクリ、コピペ、など倫理観なく、無責任でイージーな制作方法を取るデザイナー、クリエーターのレベルの低さが暴露され、すったもんだの末、いつの間にか決められた2020大会のロゴマーク。
1964年のロゴマークや一連の表現デザインに勝るクリエイティブ・ワークはもう二度と現れないだろうと思う。現在のデザイナーを中心としたクリエーター人種の質の悪さ、劣化があまりに酷い状態なのは情けなさすぎる。
筆者など団塊世代中心に当時東京に在住していた人間は1000万人をすでに超えていた。
あの1964年、渋谷と恵比寿という今や話題のエリアのど真ん中に在る都立広尾高校1年生の時、東京オリンピックを生で、この眼で見て(水泳と陸上)経験している筆者は、日本人全体、国全体の今で言う「ONE TEAM感」を強く感じたものだ。
だから余計、今年2020年の東京オリンピックの盛り上がらなさを実感しているし、それも当たり前だといくつかの理由を基本に確実視している。
ここに、未だ東京オリンピック開催に反対する意見を集めたサイトがある。一見の価値はありそうだ。
https://matome.naver.jp/odai/2145724108188886601
この「1964年東京オリンピック」を経験した世代の「2020年東京オリンピック」に関する予想は、非常に重要なものが有ると思っている。前回オリンピックを生で知らない人がいくら「こうだったろう、こうに違いない」と論じた所で実体験とそれに基づく論評には適う訳もない。
同世代のいろいろな知識人の話を聞きまとめ、しばらくしてこのブログで改めて詳しく更新してみたいが、大体以下のような項目が当てはまると考えている。
① 1964年誘致・開催の東京オリンピックは日本の戦後復興の加速化が大義名分だった。これに対し、2020年誘致の東京オリンピックは明らかに東日本大震災復興を大義名分としているが、その実態は大震災に伴う東電・福島原発の事故報道潰し、長引く影響報道隠しに在ることは明白だ。
今の政府・内閣は、何か「まずい事」が起きると、全然関係ない「新たな事件」を明るみに出し、「まずい事態」に関するメディア報道をその「新たな事件」の方に向けさせる方法を取っている様だ。これは体のどこかに痛い症状が出た場合、其れを治す(忘れさせる)ためには新たに別の場所にもっと痛い部分を生み出せば、最初の痛みは忘れてしまうという冗談のような話に似ている。かってハリウッド映画にメル・ギブソン、ジュリア・ロバーツ主演で「陰謀のセオリー」と言うのがあったが、それにも似ていると思う。
まさに、東日本大震災に伴う東電福島原発事故とその影響のメディア報道を消させるための2020東京オリンピック誘致だったという話は、どう逃れようと否定しようがない。世界のメディア報道の多くもそれを報じている。
2020オリンピック誘致ロゴマーク
② 1964年当時、日本のスポーツ界は決して鎖国状態ではなかったが、あらゆる面で世界に比べて非常に遅れていた。
スポーツに関する情報も大人気のプロ野球や大相撲、更にはプロレスやプロボクシングがほとんどで、それ以外個々の競技はマスコミも取り上げず、報道もろくになされず、オリンピック種目に関しての世界の中での日本選手や日本チームの順位・ポジションなど一般国民はほとんど知らなかった。
大体どういうスポーツ種目がこの世に存在するのかすらまともに知らなかったというのが実情だろう。陸上の近代五種競技っていったい何?競歩って何?まだまだスポーツに関してはレベルにおいても情報においても日本は世界の後進国だったのだ。
これは、今から10年ほど前東京のある学校で、約2年間スポーツマネージメントの講義を持った際じっくりと調べた事なので間違いはないと思う。
今回オリンピック2020大会の実施33種目の中で1964年当時どれだけが実施され、どれだけ一般に認識されていただろうか?
お家芸柔道で優勝間違いないと言われた無差別級・神永が、大会前国民のほとんどがその名を知らなかったオランダのアントン・ヘーシンクに負けるなど、マスコミメディア含めて誰も予想していなかったことなどでも良く判る。
逆に、直前まで総力を挙げた「オリンピックに関する知識・啓蒙」推進のため国を挙げてのマスコミ報道が連日行われ、一般国民の間で総期待ムードが高まった。当時の情報源選択肢はアナログ4大媒体しか無く、大松監督率いる「東洋の魔女」、レスリング、重量挙げ、マラソン、柔道、水泳、体操、などごくごく限られた種目に関する日本選手・チームへの活躍と期待感で世の中は一杯になった。
Google掲載の当時の週刊誌より
Google掲載のアサヒグラフより
しかし2020年の現在は、TV、ラジオ、新聞、雑誌といった旧4媒体の情報源ではなく、インターネット、SNS、通信端末(スマホなど)の情報源から、秒単位で知り得る限りのスポーツのランキング情報や試合結果が入ってくる情報過多の時代になっている。
その結果、各種目の世界選手権大会の結果や、ワールドカップの成績結果を分析・見さえすれば、最近のデータからオリンピックで誰がどのくらいのレベルで戦えるか、事前にある程度詳しく判ってしまうので、1964年当時のような見えない期待感で盛り上がり様がないのだ。
陸上男子100m×4リレーや卓球やバドミントンで日本が結構強い事や、水泳で池江璃花子選手が病のため退院したものの間に合わず、次々回パリ大会を目指す事、などありとあらゆるスポーツ情報を得て「にわか事情通」に成った国民が待ち受けるオリンピックは前回と大違いだという事だ。
③ 同時に、オリンピックは各種目において出場国の旗を背負った代表による国対抗戦の性格が強いが、スポーツの各種目に詳しい人々は各種目別の世界選手権大会の方が戦いはレベルが高く厳しい事を知っている。
真の王者は参加出場選手のレベルの開きが激しい、すべての国に参加資格のあるオリンピックの金メダリストではなく、国別出場者数制限のほとんどないその種目の事実上のトップクラスだけで競い合う、世界選手権の優勝者であることを知ってしまっているのも一つの盛り上がらないポイントだろう。
このような50年以上の年月の差は、同じ「オリンピック」という世界的イベントの価値観、質、レベルが激変し、「スポーツビジネス」の利権狩りの場となってしまった事も大きく違う「盛り上がらない理由ポイント」の重要な一つだろうと思う。
放映権料の高騰、それの利権を購入した放送局の一存で開催時期の強引な変更・指定が可能になるなど、今回2020 TOKYOのマラソン会場含め、「金で変えられてしまうオリンピック」の悪名は今後も続くだろう。すべては1984年のロサンゼルス・オリンピックから始まっている。
これらオリンピックを取り巻く関係差の間での利権争い、マネービジネスの結果、大きな利益を得るのはオリンピック貴族と言われるヨーロッパのローザンヌに本部を置くI.O.C.のメンバーたちと、アメリカを中心としたオリンピック・ゴールドスポンサーたち、更にはそれを取り持つ電通はじめ悪徳広告代理店や大手テレビ局と言う事が既に分かってしまっているので、一般の人間にとっては興ざめも甚だしい状態になっていると言える。なおかつ、その一部のメンバーに汚職や裏金や無理強いの事実がどんどん出てくるに至って、オリンピックそのものの「汚さ」が既に一般化してしまったのも「白ける」大きな要因になっているとみて良い。
お笑いタレントで構成されている今のテレビ民放番組でいくら2020東京オリンピックをアジっても、冷めた国民は実態を知っているので、1964年当時の盛り上がりは期待すべくもない事は確か。昨年のNHKの大河番組「いだてん」が史上最低の視聴率で撃沈したのもこれらの「ヤラセ」的一連の動きに、正直に反応した国民の無言の意思表示のような気がする。
史上最低の視聴率に終わったオリンピック話「いだてん」
決して、決まったことをひっくり返そうとか、積極的に邪魔をしようとかは一切思わないが、この2020東京オリンピックの開催に関して、何か無理強いされたりすれば抵抗はする。もちろん莫大なスポンサー料が入っているのだから、ボランティアや勤労奉仕などまっぴらごめんだ。
記念切手も買わないし、記念硬貨も要らない。71年生きてきてそれがほとんど何の意味も持たない額面以上の価値がない事を知ってしまったから・・・。