2020年11月25日水曜日

SDGsが大切とか言いながら、コロナ第三次感染下に大混雑の観光地へ繰り出す矛盾! Contradiction to go to a crowded tourist spot during the three consecutive holidays under the corona explosion while saying that the SDGs are important!

  1年365日サンデー毎日のリタイヤ団塊世代には関係ないが、コロナが第三次感染拡大の中、何故三連休になると観光地へどっと繰り出す人が多いのだろう?何故、人混みへ行くのだろう?

 このブログで数日前にも書いたのだが、このGOTOキャンペーンで浮つく日本国民は、安いから、お得だからと買い出しに群がる’70年代のアパレル・バーゲン戦争に似ているような気がして仕方がない。

 コロナ禍が落ち着くまで「我慢・忍耐・機を視る」という気持ちが脳内に少しも無いのだろうか?三連休に全国を旅行してお土産買って割引宿に泊まって、いったいどれだけ経済を回す手助けをしたつもりなのだろう?

 飲食店・接客施設が少し潤った程度で、日本の経済の一体どれだけが回復すると思っているのだろう?日本のGDP約550兆円の中で全ての外食産業売り上げは約20兆円弱だが、観光地の宿と土産屋と飲食店の売り上げが少しぐらい回復しても、日本のGDPの0.01%にも満たないレベルなのに・・・。メディアもきちんと日本の「経済」が本当は何で回っているか、各産業ジャンル毎の金額と比率で一般に公開すべきだろうと思う?

 更にこのコロナ禍が今後10年もこのまま続く訳ではない事くらい、色々なメディア情報で判っているはずだと思う。ここ数日、アメリカの2社、英国の1社が70%~90%の高い効果の新型コロナワクチンの製造完成間近で、来年には我が国でも入手可能になると確実視されているのに、なぜ今我慢できずに大勢の観光客が集中する京都の清水寺や渡月橋、関東では高尾山、横浜中華街などに行くのだろう?GOTOキャンペーンで安いから?筆者にはどうしてもその辺り良く判らない。

 政府の「観光活性化・旅行促進プラン」GOTOキャンペーンに「お得だから」と乗ってコロナ感染拡大に危険度の高い旅行に、今なぜ行かなきゃ気が済まないのだろう?第三次感染爆発の状況下、自粛ストレスが溜まった国民に変な「大義名分」を与えてしまったGOTOキャンペーンの発案者・実施者は深く反省して「世の中を騒がせ国民を危険に晒した」事を詫び、責任を取るべきではないだろうか?

 不治の病や末期の大病で来年まで命が持たない人であればまだ理解できなくもないが、それでも混み合う三連休に行くのが判らない。人の波、人の頭越しに紅葉など観ても風情とか情緒など味わえまいに。安らぎを求めるにしても、もう少し日程に工夫したらどうだろうと思う。

 ここから先の話はあるネット記事2編からの複合引用だが、似たような話は筆者の周りでも良く聴く話なのであえて抜粋・解説してみようと思う。

 11月に入ってヨーロッパ中心に新型コロナウイルスは過去以上の驚異的な第2次感染拡大期(ヨーロッパでは日本と異なり第2次)に入った。我が国でもここ2週間前から連日感染者数・重症者数の記録を急カーブで更新し続けている。メディアは盛んに専門家たちの警鐘と、危機喚起を無視し続けGOTOキャンペーンを推し進める政府との乖離を報道している。

 その状況下で不思議な事が起こっているというのだ。

 普段はSNS上で仲間とSDGs大切だよね?だの、海洋プラスティックゴミ何とかしなきゃ!テレワークで三密避けてクリーンな状態で仕事しなきゃ!とか判ったような顔して世の中の先端を行っているような顔している人が沢山いる。少し前に流行った「意識高い系」がそれらの典型だという。ほぼ毎日ネット上で最新情報を得る、いわゆるIT関係やメディア系、広告代理店の営業職やマーケティング系に多い人種だ。

 普段の仕事でやたらカタカナ語を多用し、アジェンダ、エビデンス、レジュメ、アサイン、キャッチアップ、ローンチ、などを得意げに使うのが意識高い系の特徴だ。

 コロナ禍の当初は感染拡大防止を我先に実践するためやたらマスク不着用者を指摘非難する「マスク警察」を自認し、従来の面談コミュニケーション方法を非難し、パソコン(ZOOMソフトなど)を多用しテレワーク(リモートワーク)で連日液晶画面で集った連中だ。

 こういった非常事態下での新しい仕事感覚を楽しみ、酒を飲むにもオンライン飲み会(リモート飲み会)で盛り上がり、それを出来ない人々に優越感を感じていたはずなのだ。

 しかしどうやら、感染が最大値を更新しているにもかかわらず、早くももう彼らはそれには飽きたらしい・・・とネット記事は嘲笑っている。

 聴きなれない「オーバーシュート」に始まり、ロックダウン、ソーシャルディスタンスなど小池百合子(=アウフヘーベンなど人が聴きなれない言葉を突然使って悦に入る都知事)が自慢げに横文字造成語を一般メディア上で多用し始めたものだから、もう世の中やメディアは横文字だらけでウザったい事この上ない。君達の母国語って一体何語?と記事は言う。

 外人から自分のオフィスにダイレクトに電話が掛かってくれば、ロクに対応できず「誰か―!」と大慌てなくせして、普段の日本人同士の会話には得意げにカタカナ語を多用する。下手すればコロナウイルスよりタチが悪い。

 しかし、普段そういった「意識高い系」の皆さんなのに、なんでGOTOキャンペーンに浮かれた人混みの極致の観光地に高齢者たちやファミリーと先を争って「今」行くの?…と記事は続く。

 第三次感染拡大を専門家の医療関係者が危惧しているさなか、あの三密はどうしたの?テレワークはどうしたの?SDGsって重要視しているくせにそんな行動とってて何が持続可能…なの?言っている事とやっていることが矛盾だらけじゃないでしょうか?やっている事はSDGsの17の目標から大きく外れているのではないだろうか?・・・と更にたたみ掛ける。筆者もまさにそう思う。

 「皆が行っているから私だけ責められても・・・だの、第三次感染拡大が判らなかった3か月前に予約しちゃったから行くしかない・・・だの、キャンセル料がどうなるか判らないから・・・。」だの、意識高い系だったはずの自分の立ち位置を忘れ、ただの人になってすべて自分の都合、自分中心で正当化し、言い訳する。・・・だそうだ。

 「意識普通系」の筆者は思う。勿論、三連休に自宅に朝から晩まで閉じこもって自粛すべきだとは言わない。自分でも工夫して外出して極力人に出遭わないで済むオープンエアの場所をさがし、自然に接する時間を多くとっている。

 屋外に出てスポーツをしたり、普段行かない美術館へ行くなり近所の大きな公園、川の河川敷きで日光浴するなどいくらでも方法はあるはず、決して何が何でも閉じ籠るべきだというのではない。認知症だって一人で自宅に閉じこもる事が良く無い事、外気に当たらねば鬱が増える事、ここ半年自殺者(特に女性!)が増えている事実。自粛閉じこもりが心身の健康に悪い事は百も承知だ。

 だからと言って、いきなり経済を動かさなきゃという都合の良い「大義名分」で三密・群衆で溢れる混雑が判っている観光地へ行ってマスクを外し、グループではじけて酒を飲み飲食をする方向へ飛躍してしまうのだろうか?どうして遠くへ行かないと損した気持ちに成るのだろう。

 スイッチのオンとオフしかないような生き方がどうしても筆者には理解できない。インスタ映えだの、SNSでいいね!をたくさん貰いたいだの、要は目立ちたい、褒められたい、羨ましがらせたい人種がコロナ禍自粛の反動で増えたのだろうか?

 最近思うに、本当に一本筋の通った自分流の「信念と誇り」を持って、我慢が出来、節度の有る生き方をする日本人がとても少なくなった気がする。

 自分が過去に撮った画像と、この三連休のメディア報道の観光地の画像を見ながら改めてよく考えてみたい。

2012年の京都永観堂 筆者撮影(平日)

今年の連休

嵐山 関西テレビ

清水への産寧坂のTwitter画像より

嵐山渡月橋 毎日新聞

京都嵐山 毎日新聞

高尾山 毎日新聞

 ネットメディア上の三連休レポートは何処を見てもコロナ禍の今とはとても思えない。この結果が1~2週間後どう出て来るかメディアを注視したい。