2020年11月21日土曜日

やっとNHKが川辺川ダムに関する見解を報道したが遅過ぎると思う。 NHK finally reported the view on the Kawabe River dam, but I think it's too late.

  昨日の夜遅く、NHK総合TVの番組「時論公論」が川辺川ダムに関して取り上げた。7月の球磨川豪雨で球磨川流域の災害ががなぜ起きたのか・・科学的分析・原因解明には全然触れずに。

 五木村の移転を含み、揉めにもめた過去における川辺川ダム論争の経緯と、今回豪雨で蒲島知事が川辺川ダム建設中止との10年前の決定を覆して、流水型ダム容認を発表した事に係わる経緯を報道しただけ。

 何故豪雨・洪水災害が発生したのか・・のメカニズム、原因究明は一切行わず、ダムが出来てもそれだけに頼るべきではないと専門家が言っている・・程度の報道だ。 

 流水型ダムではない八ッ場(やんば)ダムの昨年台風19号の貯水効果を述べるにとどまり、まだ国内に数か所出来てその成果・効果のほどが確認出来ていない流水型ダムの説明は初歩的・原理的な事だけだった。いささか不十分過ぎる内容だった。これがBBC(英国)やTF1(フランス)だったら、もっと時間をかけて深く切り込むだろう。NHKとしては本来スぺシャルドキュメントで取り上げるレベルの話だ。

 しかし概ね筆者がこのブログで7月4日の豪雨洪水当日から投稿し続けてきた内容・主張に近いものがあったので、自分としてもあまり間違ったことは考えていなかったと安心した。

 この「時論公論23:30~23:40」はNHKオンデマンドでもNHKプラスでも観られるようなので是非ご覧いただければと思う。

如何にも問題が起きているような報道だが科学的な面からは非常に乏しい内容だった。

国交省が検証の経緯や算出方法を明かさぬまま規定値と報道するのは如何なものか?

 問題の7月4日朝4時時点で、猛烈な線状降水帯は球磨川・川辺川ほぼ全流域に4時間以上掛かっていた。過去に例を見ない集中豪雨だった。しかし総雨量を見ると、実は川辺川ダム想定地より上流部の雨量は、それほど多くないことが熊日新聞の各測定ポイントでのデータからも判る。

 筆者は何度でも言う。市房ダムと出来た場合の川辺川ダムで対応できるのはあくまで右上の色が付いた流域での降雨・雨量だけなのだ。流域全体に平均に雨が降った場合を考えれば25%程度の雨量に関してしか関係ないエリアなのだ。更に既存の市房ダムを除いて川辺川ダム上流部だけで考えれば20%の雨量にも届かない防御効果しかないのだ。こんな簡単な事がどうして地元のメディアも自治体の関係者も理解できないのだろう?

 今回の7月豪雨災害は色が付いていない地図の下半分の広い部分の降雨量がより多く、洪水を引き起こしたことが判っているの(下図・熊日新聞のデータを視れば明白)に、何故川辺川ダムさえあったら人吉市附近の水量が6割減などという数値が出て来るのか?


 河川の専門家たちも、地元の首長も真実を追求してもっと「国交省の言っている事と事実は違う!」と主張すべきではないだろうか?

 地域住民も行政も自分達では全然検証・研究せず、国交省の出す情報を鵜呑みにしてしまうあたり、情けないし悲しい限りだ。そうして再び同じことを繰り返すに違いない。

 左下にダムに寄る治水効果を過大に見積もっている…をもっと強く報道すべきでは?ダムの限界をもっと実質・具体例で示してほしいがこれがNHKの限界なのだろうなぁ。熊本県の蒲島知事と地元行政関係者の意見収集会でもこんな具体的な内容は話していないだろう?

 この青い水位だって、ダムが在ってもそうなるといっているのだから「ダムさえできれば・・。」というのは大間違いだという事を地元の行政・首長は地元住民に徹底しなければいけないのではないだろうか?この番組を録画してNHKの許可を取って全住民に見せなければいけないはずだ。復旧にがんばれ、応援してますだけでは誰でも言える。具体的に先を見た施策が必要だと思うが如何?

 まだ国内には少ない流水型ダム。単に洪水対策だけに造るのであれば機能さえ理解して運用すれば、前例のダムの豪雨時のデータ無くても試験的に可動可能だろう。
 しかし、農業用水の利水その他にも活用したいだの要望が集まったとして、流水型から従来の堰留型にいつ国交省がすり替えるか判ったものではない。
 多分その辺りは悪だくみとして国交省では既に計画済みのような気がする。環境アセスメント取得に時間がかかるので早急な工事が望めないけれど、完成が10年後でも良いのか?などと言い訳・脅しの説得材料もとっくに織り込み済みのような気がする。

 地元の議員、首長はこのあたり先を読むべきだろう。地元住民を裏切って「悪政に魂を売らない様」願うばかりだ。

筆者が主張し続けている、いつまでも「治水」などという人間が自然をコントロールできるなどと思いあがった考え方では、この先どうしようもなくなるはずだ。