2018年12月2日日曜日

団塊世代は思うのだ、日本の観光!何かおかしくないか?その2. Baby boomers are doubting, Japanese tourism! Is something wrong?

 今年の京都は海外からの観光客がキャパを越えてとんでもない事になっているという事だ。いわゆるオーバーツーリズムで「観光公害」という言葉がとうとう使われだした元年になってしまったようだ。

 昨年も京都・奈良へ行ったが、メインは奈良にして京都にはとうとういかなかったという友達が2人もいた。
 10年ほど前に記念撮影した場所が、人で溢れかえって信じられない状態になっているんだとか画像を添付して送ってくれたクラスメートが居た。
2006年の嵯峨野の竹林だそうだ。

今年の同じ場所、メディアの画像だとのこと。

 自分的にも仕事の一環で、昨年関西へ出張して奈良に宿泊したが、帰りに寄った京都の錦小路で観光客相手に詐欺まがいの物売りをされてしまい、ものすごく嫌な思いをしてしまった。その模様は1年前の11月8日付のこのブログで詳細を報告したが、結局錦小路商店街から申し訳なかったというメール一本が来ただけ。騙された分の商品補填など一切なかった。京都の老舗商店街が聞いて呆れる対応だった。

http://yamasemiweb.blogspot.com/2017/11/the-shop-in-famous-kyoto-nishiki-market.html

この事があって以来、京都に行くという話を聞く度に錦小路の「津之弥」という干物や海産物を売るお店でだけは物を買うなよと忠告している。

 今日は、そういう観光客の足元を見た京都の酷い商売の話ではなく、有名どころの紅葉見物へなぜも混んでいると判っているのにそう行きたがるのか、それも二度も三度も?・・・という話だ。

 もちろん清水寺にしても南禅寺や永観堂にしても紅葉はきれいだし素晴らしい。しかし、高校や大学時代、修学旅行や卒業旅行その他で今日の名所旧跡には幾度も行っただろう?
 今後学校の修学旅行は一般の観光客でパニクる桜や紅葉の時期を外して、真夏か真冬に京都に行くようにしたらどうなのだ?どうせ修学旅行って移動中のバスで爆睡するだけだろう?・・・って、すみません、自分たちがそうだったからと言って今は違うかもしれません。ごめんなさい。

 桜の時期が来れば、また紅葉の時期が来れば懲りずに京都に行こうとする日本人。これはどう考えても桜や紅葉を見に行くのではなく、そういうシーズンに「京都へ行ったぞ?お前は?そう、行かなかったの?ふぅ~ん」という優越感を得たいがためではないかと思うのだ。
 いわゆる日本人の「万博病、流行りもの病」の一番如実なものがこの京都観光なのではないだろうかと思い始めている。
 ハロウィンの渋谷や、正月の明治神宮へ行く者たちとあまり変わらないのではないだろうか?

 「人に遅れまい、遅れて馬鹿にされたくない」という強迫観念が「人並みに同じことをしておきたい」という状況に追いやっているのではないだろうか?これってやはり高度成長時代の団塊世代に蔓延した「優越感・向上心競争」の名残のように思えて仕方がない。

 最近の若い者にはない「頭抜けていなくても良いから、少なくとも他人と同等以上でありたい・・。」という摩訶不思議な感情だろう。その昔スキーが一種のステータスだった頃、ロシニョールやフィッシャー、クナイスル、ブリザードといった競技用板のテール部分に傷を付けずに、高価なブランド板をこれ見よがしにスキー袋に入れず、裸で持ち運んで自慢したような馬鹿な行為は団塊世代付近の日本人にしか存在しない。

 高価な競技用の板は各ブランドともデザインも一種類に決まっていたし、固有名詞を聞くだけでその所有者の技量が判断できたほどだ。それがスノボの普及で崩れ去ってしまった。滑るスタイルからして人は人、自分は自分のスタイルで良いのだ・・・という価値観になり、スノボの板も同じ品番で板のグラフィックが数種類販売されるに至って「ステータスシンボル」にならなくなってしまったのだ。

 それが残っていたのは1993年頃のBurtonの特にアルペン用のPJシリーズの板くらいまでだろうか。SimsやNitro(ニトロではなくナイトロと言った)よりBurtonがステータス的に高かった最後の頃だろう・・・って、調子に乗ってどこまで脱線するのだ?

 京都の紅葉に戻ろう。

 要は、紅葉のピークに京都観光をするのは実際にきれいな紅葉を愛でに行くのではなく、紅葉ピークの時期のごった返した京都に行ったぞ!という実績を誇らんがために行くようなものだ。
 この観光客大移動をさせた張本人がJR東海のコマーシャルであることは間違いない。それが証拠に、今年この広告をテレビで見なくなった。観光公害を引き起こしている張本人という後ろめたさを感じているからだからこその結果だろう?
このコマーシャルに乗せられて、どれだけの日本人が京都へ行っただろう。

 きれいな紅葉など紅葉前線を追って日本中どこででも観られる。日光を浴びて葉がアントシアニンを発生させ赤くなれば紅葉なんてどこでもいっしょだ。そういう訳で、筆者は今年からしばらくの間、高いお金とストレスを掛けて人の頭越しの紅葉見物はやめて、地元武蔵野の野川沿いのきれいな紅葉を愛でて、深まる秋を楽しむことにした。
大自然の中の紅葉は人工的な寺院の庭の紅葉より迫力があり力強く遥かに幅が広い。

木漏れ日の中での紅葉は陽当たりにより画一的ではなくグラデーションの妙を引きだす。

シャッター、ワンカットにモミジのすべての色が入ったりする。



水仙も紅葉と一緒に撮れる。京都でこれが出来るか?

三鷹と調布と小金井に挟まれた野川公園と自然観察園、今が紅葉見ごろだ。