2016年5月7日土曜日

団塊世代、想い入れの熊本城の地震前の画像紹介。 This is a photograph of splendid Kumamoto-jo Castle before the Kumamoto earthquake.

 今回の熊本地震で大きなダメージを受けてしまった日本一の名城・熊本城だが、団塊世代の筆者にとっては残念ながら生きているうちに、完全復元の姿などにはもうお目にかかれないと思う。
 此の御城は東京在住の自分にとっては日本で一番身近な城だ。昭和35年、筆者が小学校6年生の時に西南の役で焼失した天守閣が復元された。当時北九州五市の一つ小倉市の福岡学芸大学附属小倉小学校(現福岡教育大)から八代市の太田郷小学校に6年生の10月に転向したばかりの筆者は、その後実施された附属小学校の修学旅行に参加できなかったのだ。その修学旅行こそ復元したばかりの熊本城を含む九州横断ツアーだったのだ。雲仙~熊本~阿蘇山を回ったようだが、56年後に大地震が起きようなど夢にも思わなかっただろう。

 ご参考= http://www.iza.ne.jp/topics/events/events-9432-m.html

 修学旅行では行けなかったものの、その約22年後、大手広告代理店勤務になり、1991年全国スポーツ・レクリエーション祭、2001年全国高校総体視察、2002年全国菓子博覧会、2006年世界女性スポーツ会議くまもと、2007年全国育樹祭熊本大会、などをプロデュース、運営支援を行う関係で何度熊本県、熊本城を訪れた事だろう・・・・。2006年世界女性スポーツ会議の際、大雨の直後、奉行丸の広場で開催された記念お別れパーティを想い出した。

 自分が折々に撮影した熊本城のデジタル画像は2001年頃から四季毎の姿が残っている。仕事で年間何度も熊本市役所に出張していた2004年頃、本丸御殿建造中に募集していた「熊本城一口城主」になったら毎年入場券を送って来てくれる。2006年以降はもっぱら野鳥撮影に興味が移り、長塀の前の坪井川の堤防にいつもいるカワセミの方にレンズを向ける事の方がはるかに多くなってしまった。しかし、それでも日本の他の城の石垣の2倍の高さはあろうと思われる立派な佇まいに、惚れ惚れして行く度にレンズを向けていた。

 もちろん歴史に関しては詳しい事は判らないし、熊本城に関するクイズなど出されても何も答えられそうにないが、城内の何処に行くとどんな写真が撮れるかは覚えてしまった。ついこの間放映された、NHK総合TVの「ブラタモリ」の熊本編を2週間分きちんと録画してあったのも、地震前最後の姿を捕らえた動画として貴重だ。NHKのオリジナル映像の尺は必ずや今後の復元プロジェクトに役立つだろう。そういえばその小倉の附属小学校時代のクラスメート、小峰丈郎君は一時期NHK熊本放送局の放送部長を務めたはずだ。

 このように、個人的にも色々な意味で縁の深い熊本城だ。2度くらいに分けて観光客目線で捉えた天下の名城・熊本城の地震前の画像をご紹介したい。

誰が何と言おうと、日本のお城で櫓(天守櫓など)が3本以上見える城は熊本城しかない。この威風堂々を観てしまったら、他の城はおもちゃ?

この魅力を紹介する前に、熊本城の存在している環境から紹介しよう。此のブログがほとんど自分で撮影した画像で紹介出来る事を少し自慢させてほしい。

 熊本市は盆地に存在する。気候環境的には九州山地の西側に位置するため日本海側の気候帯で、西に金峰山、東に阿蘇山が位置している。上空から見るとこの画像で左上隅に長崎島原の雲仙岳が見える。熊本城のある場所は真ん中少し右に位置する黒っぽいエリア。左手前下には野鳥の宝庫江津湖が見えている。この画像は熊本空港から羽田に戻る際、上空のANAからのモノ。

 熊本を離陸して15分経つか経たないかで、ここ数日地震が絶えない阿蘇山の全景を見下ろせる。日本の地質学的中央構造線上に位置する世界第一級のカルデラ式活火山だ。阿蘇山のマグマだまりが地下10km、一連の熊本地震の震源の深さが同じく10km。これが何を意味するのか?大きな地震と火山の大爆発は過去の事例からして連動するのは目に見えている。
 復興・復旧ばかり報道するメディア、特に地元メディアはこの先に起こり得る阿蘇山の大爆発などを予知し、爆発した際の対策を今すぐ考える必要があるのではないだろうか?昨年9月に福岡行きのANA機内から阿蘇山爆発を動画で撮った記憶からすると、間違いなく阿蘇は再び爆発するとみて間違いないと思うが、如何だろう?

こちらは羽田から熊本空港へ到着時に機上から撮影した熊本城主要部分の画像。手前の大きな四角い建物が2004~2006年の仕事場・熊本市役所。

二の丸広場から見上げた櫓群。右が大天守閣、真ん中が小天守閣、左が400年前から残る宇土櫓(木造)。この木造の宇土櫓が今回の2度の震度7で鯱も残り、瓦も余り落ちず崩れなかった事で当時の城建築技術が凄いと驚かれた。コンクリで昭和35年に再建された天守閣は瓦も全部、鯱も何処かへすっ飛んでしまった。

これが2004年に登録した一口城主の証。

 一口城主になると、毎年定期定期に無料入場券などを送って来る。何故か自分で場内に入る場合は何故か未だに入場料を払ってしまう。で、送って来た入場券は地元熊本に居る友達にプレゼントしてしまう・・・って何故だろう?

 次回は、今回の地震で崩れてしまったり、崩れかかっている貴重な文化財やものすごく高い石垣を偶然撮影してあった地震前の姿をご紹介。