並んで留まらず、6~7m以上はなれて留まり、雌が雄に近寄ろうとすると雄が逃げて離れた場所に移動する。川面ギリギリを飛ぶいつもの飛翔スタイルでもこの時期は一定の距離感を保って飛ぶ様が撮れた画像からも確認できたので此処でレポートしておきたい。
一般の野鳥ファンの方々からは、何でそんなに重箱の隅を突くような生態を観察しているのだ?何がそんなに面白いのだ?と、良く聞かれるが、留まっているヤマセミが今何をしようとしていて、この次何をするのかが予測できれば面白いと思うのだ、決定的瞬間のシャッターチャンスを予測したいと言う願望かもしれない。そうでなければ撮れた画像はただの鳥類図鑑の絵と同じで、面白いあるいはアッと驚く生態の決定的証拠写真は撮れない。
この辺りは野鳥や環境といった自然界に対する接し方の「理念」の違いだろうか?
昨日のブログ投稿を視て鹿児島の方からメールを頂いた。初めての方で面識は無いが、大変有り難い事に雨で外にいけない日にまとめて筆者のブログを見て頂いているそうだ。九州南部の各県の鳥仲間に顔が広い方らしく、珍鳥情報の拡散の早さについて解説を頂いた。まさかその詳細内容を此処で明かす訳には行かないが、「成る程!」と目から鱗だった。東京から遠征してヤマセミ一筋に生態を見ている者にとっては驚くことばかりだ。
概要は野鳥関連団体のメンバーの情報網より、それとは関係の無い普段の身近な探鳥仲間同志の伝達スピードの方が方が遥かに早いという話。早ければ30分以内に仲間全員に連絡網を使ってスマホ、ショートメール、直接電話で情報拡散が行われるという。そういう意味で今回の珍鳥情報は南九州全域に既に拡散完了しており、生息エリアも把握しているとの事だった。
そうしてこうも付け加えられていた。「鹿児島に珍鳥が来た際には観察・撮影に近県から大勢押しかけてきているのに、自分の県の詳細情報だけは内緒にするという神経はちょっと我々とは違う・・。」という事だった。
まあ野鳥愛好家には団体加盟者・非加盟者を問わず千差万別、個人の資質差もあり、何かと「上から目線で仕切りたがる者」つまりはサルと同じで「俺が、俺が、というお山の大将」が居ると思えば、黙々と自分のペースで野鳥と接する研究者肌の方など尊敬する方々も大勢いらっしゃる。これらは逆に鳥類図鑑を見ているようで面白いのだが、このあたりは個々の人間性、あるいは育った教育レベル・環境の問題だろうとは思う。
今日も話がそれてしまった。昨日で67歳になった筆者はとみに最近愚痴っぽくなって嫌だ嫌だ!
球磨川本流でのつがい
同上の別テイク画像
川辺川のつがい、距離や並び方がやはりビミョー。
繁殖期や子育て期はもっと接近して飛ぶ。何か理由があるのだろうか?