1973年度ヴァン・ヂャケット新入社員研修合宿も最後になって、それぞれが何処に配属になるのか発表される時が近づいた。予め新入社員全員は自己申告で希望する部署を第2希望まで合宿中に申告していた。自分としては宣伝部を希望し、第2希望は書かないで置いた。それぐらいの心意気で無いと、本気ではないと思われるのが嫌だったのだろうと思う。
新人研修最後の重要セレモニー・期待渦巻く配属発表前の土壇場、大広間での夕食の時間になって人事課から質問が来た。実は宣伝部には宣伝部宣伝課と宣伝部販売促進課というのが在るが、どちらが希望なのか?という問いだった。そりゃー宣伝部宣伝課が目指すセクションだろうとは思ったが、聞き慣れない「販売促進課?」とは一体何だ?何をする所なのかを訊いてみた。
販売促進課とはVANのファンにとってはシンボル的な、あのVANのロゴの入った紙袋を作ったり、ステッカーやノベルティ・プレミアムを創り出したり、店頭でのキャンペーンを行う部署だとの事。 あるいは新しいSHOPを提案して造ったり、デパートのメンズコーナーを造ったりするのが主な仕事だと言う。
現在もまだ保有している通常ノベルティと呼ばれていたモノの一部。通常ノベルティとは通年で各ショップへ有償で配布していた定番の宣伝物。詳細はVAN公式ポータルサイト=VAN SITEを参照されたい。 VAN SITE= http://vansite.net/vanpremium1.htm
大切に保管してきたVANの紙袋。一世を風靡したみゆき族の必須アイテムだった。
えーっ?そういう事をする部署が宣伝部だと思っていたのだが違うの? では一体宣伝課とは何をするところなのだ?と訊いてみると、雑誌メンズクラブに自社製品を貸し出したり、モデルに着せるコーディネートをしたりするのが主な仕事だと言う。ほとんど実際にオンエアーを観たことは無かったがテレビのコマーシャル、いわゆるCMだとかポスターだとかの制作もすると言う。さあ、困った。どちらも魅力的な仕事内容だし、VANらしさ、VANのイメージ造りに直結する領域なのだから、いずれも捨て難い部署で迷ってしまった。
初期のメンズクラブ、正統派のトラディショナリストとして故三笠宮寛仁親王殿下も掲載されている、後に殿下に大変お世話になった自分にとって大変貴重な記念号。この頃は毎号VANのロゴだけの裏表紙だった。
此処で我ながら未だに感心しているのだが、とっさに「では、それぞれの部署の年間予算は幾らでしょうか?」と訊いたのだった。それを聞いた時の人事・三間さんのニヤリとした顔は今でも忘れない。驚いた事に販売促進課の予算は宣伝課の予算の5倍ほども在ったのだ、桁も違っていた。理由は特に店舗デザイン・施工・デパートコーナー改装・拡張、内見会実施、店頭キャンペーン、販促物ノベルティ・プレミアムのデザイン・製作など多岐に渡る・・という事だった。もうこれで心は決まった。「迷わず販売促進課を希望します!」
当時の日本橋高島屋のVANコーナー。典型的なアイビー・トラッドコーナーだった。
最終的に部署が発表されたのは百名以上がごった返すワイワイ状態の会場だった。営業関係から順次発表され、宣伝部販促課や宣伝課は最後のほうだった。先に横国同窓の藤代は人事、近藤はIDに配属が決まった。宣伝部の宣伝課に配属されたのは長髪で真っ黒な顔をした武蔵大学から来た内坂と名乗る人物だった。いかにも人とのコミュニケーションが第一の営業、あるいは人事・経理といったお堅い部署向きの人種でない事はその風体を見て一目で判った。その代わり何処となく普通の人種にはない「独特の何か」が在るような雰囲気をかもし出していた。この配属発表を終えて、すべての研修が終わり、最後に辞令が人事部長の滝川さんから各人に渡されその晩は仲間同士でのヨモヤマ話でなかなか寝付けなかった。翌日は東海道線に乗って各自バラバラに東京に戻った。
まずは世の習いで見習い採用からだった。これは硬い会社もそうでない会社も一緒だった。
それから数日して、初めて販売促進部に出社する当日も青山近辺は快晴だった。青山三丁目の角に立つ白い本館ビルの3階の販売促進部へ早めに行くと部屋で少し待たされた。長方形の角が斜めに切り取られたような変形の部屋の一番青山通り側、つまり東側のコーナーに大きな机が在り、デスクの上に木の塊で出来た名前ブロックが置いてあった。真鍮だか金属のエッチングで出来たその名前板には、KIM QWARBEYと彫られてあった。
国道246・青山通りと外苑西通りの交差点北青山3丁目がVAN本社ビルだった。
さすが、今をときめくヴァン・ヂャケット、販売促進課の親玉は外国人なのだ!と思った。と、同時にいきなり英語で話しかけられたらどうしようと、頭の中ですぐにQ&Aではないが、想定挨拶のシミュレーションを始めていた。暫くすると、オールバックに近い髪の毛の目付きの鋭い小柄の人が入って来た。部屋の皆が「ヘッドおはようございます!」と挨拶をしたので、てっきりこの人がKIMさんだと思った。しかし小柄ながら大股で部屋を横切っていく彼は、KIM QWARBEYと彫られた名盤の前をズンズン通り過ぎて、青山通りから左に曲がり国立競技場のほうへいく道沿いの窓を背にしたデスクにどっかりと座った。暫くこちらの様子には目もくれず、10分くらいデスク上の書類に目を通した後、すっと立ってこちらへ近づき手を差し伸べて「君が新庄君?課長の若林です」と握手した。
思わず緊張して力いっぱい握り返したら「ウソだろう?握力試験じゃないんだから、参ったなー」と言われてしまった。背後で販売促進課の座っている課員の皆が肩をすくめる様が一発で判った。
「本部長のところに挨拶に行こう!」と連れ立って部屋を出て、このとき同じ階だったのか、はたまた6階に在ったのか記憶があいまいなのだが宣伝取締役・本部長室に赴いた。部屋は凄く狭かった。宣伝課からは例の真っ黒な顔をしていた内坂庸夫がタータンチェックのブラックウォッチを穿いて入ってきた。本部長は鈴木玲三郎という、陽に焼けたまるでモデルのような端正な顔立ちの人で、その言葉遣い・イントネーションですぐに関西出身だと判った。ネイビーのサイドベンツの6つ釦Wジャケットを着て、クレリック・シャツに比較的幅広のネクタイを着用。共生地のポケットチーフをするなど相当な着こなしをされていた。IVY・トラディショナルというより、どちらかと言うとコンチネンタルっぽいスタイルだったような気もした。非常に難しいとは思ったが、自分もいつか同じレベルの着こなしをしてみたいと思った。とにかくカッコよかった。
当時を思い出した限りのイメージで描いてみた入社日の本社宣伝部のレイアウト。
雁首をそろえた新入社員二人に本部長は決して甘い言葉は掛けてくれなかったが、外から見る宣伝販促と実際は驚くほど違うから、頑張って早く一人前の戦力になるようにと言われた。隣に立っている内坂に対しては「本当は別の奴が宣伝課に決まっていたのだが、生意気な事を言うのでお前が何処まで出来るか試しに入れたのだからな・・。」と、それまでの間に相当な色々紆余曲折が在るような口ぶりだったので、少なくともお互い今日初めて出遭ったのではない事が察せられた。こちらはまったく初めてなので、販促課にしろ宣伝課にしろ、宣伝部に配属されるという事の大変さの一部を垣間見たような気がした。
本部長挨拶が終わって、販促課の部屋に戻ったら例のKIMさんの席に立派なヒゲを生やした割に長髪っぽい人が座っていた。若林部長の席に戻るとそのKIM QWARBEYさんが立ち上がって寄ってきたが、何と天井に頭が着くのでは?と思うほど背が高い人だった。おまけに踵の高いウエスタンブーツを履いているので、傍まで来るとまさに真上を見上げるような大男だった。で、「おー君が新庄君か、いろいろ噂は聞いているよ。」といきなり言われてしまった。自己紹介をしたら「僕は軽部、か・る・べ・・・と言います、君の直接上司だからよろしくね。」 これが自分のその後の人生に、非常に大きな影響を与えた人物との出会いの瞬間だった。