2014年4月26日土曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #35.」 ●1964年は世界に誇る東海道新幹線開業の年。

昭和39年、西暦1964年は御存じの通り東京オリンピック開催の年。前年からの高校受験で周りの景色や世の中のオリンピック準備などほとんど目に入っていなかったが、合格発表の瞬間からあっという間に頭の中は俗世界の様々な情報・興味でトリビア状態になってしまった。

当然の事ながら一番気を引いたのは東海道新幹線の開通だった。これは小学校時代から鉄道が趣味の自分にとっては当然の事だった。つい先日他界した伯母が財界の縁なのかこの新幹線の試乗チケットをどこからか手に入れて贈ってくれた。小田原の手前の鴨宮という新幹線基地から東京方向へ20km程度の試験線を往復するテスト走行に乗せてもらった。この時の大失敗はせっかく撮影した写真をどこかに仕舞い失くしてしまった事で、今に至るまで悔やみっぱなしだ。


試乗会を行った場所を表示しているJR鴨宮駅の案内板

 とにかく、鉄道少年としては雲の上にも上る心地で、在来線の車両とは全然違う新しい車両の匂いを胸いっぱい吸い込んで編成の端から端まで走って脳に焼き付けた。特に先頭の大きな白い丸い物体は一体何だろう?高速で走るので大きなヘッドライトに違いないと思って行ってみたら、なんと連結器のカバーだった。先頭同士で繋ぐ事など考えもしなかったので、普通の列車の連結器が姿を見せた時はちょっと当てが外れがっかりした。
非常に趣味性の強い鉄道ファン専門誌

ちなみに試験車のカラーリングは2種類あって、窓のあたりに太い青い帯が連なっているお馴染みのタイプと、最近のN700系以降の窓付近が白っぽくて車体の上下にブルーのラインが入ったタイプが存在した。共通なのは先頭の運転席の窓ガラスが曲面ガラスでセンターにサッシが無いタイプだった。しかし量産系でこの特徴的な曲面ガラスが消えセンターサッシの平面ガラスが採用された。同時にカラーリングも窓付近に青い帯が走るタイプになってしまい少しがっかりとしたのを覚えている。
これがお気に入りのタイプAだったが不採用になってしまった。窓ガラスは曲面。

実際にこの新幹線に開業後乗ったのは1965年広尾高校2年生の秋、修学旅行で東京から名古屋駅までの乗車だった。目的地は関西・四国だったが名古屋まで新幹線、名古屋から神戸までは名神高速道路を大型貸切りバスで移動した。まだ渋滞があまりなかった頃なので時間通りに進めたのと、新幹線が新大阪止まりだった為そこから先のバス移動が短すぎるので名古屋からバスにしたモノと思われる。
神田の岩波書店横の鉄道関連資料が豊富な古本屋さんで購入¥4,500円也

名神高速道路自体は前年昭和38年に開通していたが高速バスはこの39年からだった。


バス料金の安さに時代の流れを感ずる。

 日本の国鉄は鉄道線路の幅で言うと狭軌にあたる世界でも最も狭い幅だったが、新幹線は標準軌と言われている幅で、今までに比べると随分幅広に感じた。これに対して京浜急行や関西の私鉄の多くは当初から標準軌を使用していた。1982年に大宮―盛岡間が開通した東北新幹線に乗った時、何と静かな新幹線だろうかと思った。理由は20年弱使い続けた東海道新幹線の道床が経年変化で相当痛んでいたのだと思う。一大補修工事の後見違えるようになめらかな走行に成ったので良く覚えている。これはあくまで個人的な意見だが、東北新幹線が1982年に開業して、その走行比較ができなかったらきっと東海道新幹線で大事故が起こっていたのではないだろうかと思う。

日本テレビ系列で毎夜「今日の出来事」という10分枠のニュース番組が在って、その頭のタイトルバックは当初ビジネス特急こだま号だったが、1964年以降は新幹線がこちらに向かって突進してくる動画だった。この新幹線開業が10月1日、東京オリンピック開会式が10月10日。この10月に向けて東京が世界の東京に成るために都内あちこちで突貫工事が進んでいた。広尾高校の下校時に渋谷に抜ける通り道の渋谷警察前の大きな交差点は大きなスパンの長い歩道橋が出来ていた。歩くと揺れた。出来た当時この上で揺らせて遊んでいて気持ち悪くなって戻した奴がいた程。この歩道橋は今でも健在で相変わらず揺れ続けている。

首都高のこの路線がほんの部分開通したのが10月頭だったと思う。この頃の渋谷は東急文化会館にプラネタリウムが在り、映画館が数か所入っていた。地下では毎日曜日だったか牧伸二司会の大正テレビ寄席が行われていた。ナタリー・ウッドとウォーレン・ビーティの映画「草原の輝き」、映画「ニュールンベルグ裁判」映画「荒野の七人」映画「2001年宇宙の旅」など数多くのロードショーをこの映画館で観た。東急文化会館の1階には喫茶ユーハイムも在ったが、もっぱら隣のビルの喫茶フランセに入って東郷青児の絵に囲まれながら珈琲を飲んだ覚えが何度もある。
東郷青児の絵が沢山飾ってあった店内だが平成18年に閉店した。

新幹線に限らずこの1964年という年は、日本のあちこちで日本の夜明けの様に新しい交通インフラ関連がスタートしている。此処に掲げるのは10年ほど前に神田の古本屋街で手に入れた記念乗車券などだが、東京だけではなく関西においても新しい路線やダイヤ改正が行われていたので驚いた。
短い距離の特急だが東京から行く時には新幹線乗継が簡単で非常に便利。

この地下鉄の駅は随分暗いと思ったが今はどうだろう?