2014年4月20日日曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #34」 1964年都立広尾高校入学の頃ビートルズ-3。

 こんな事も有った。仲の良い者同士で土日には勉強室、あるいは図書館に行って勉強をしていたのだが、中野の駅の南側に今も在る公立図書館にその頃良く通っていた。混んでいると入れるまでいつまでも並ぶのだが、友達同士いれば色々な話をするので並ぶのはさほど苦にはならない。並んでいて尿意を催すとトイレは図書館のを利用するのだが、トイレの中は音が反響して唄うと一見うまく聴こえる。銭湯で歌を唄うと上手く聴こえるのとほぼ同じ理屈だろう。そこで宮田と一緒に連れションをしにトイレに入り、用を足しながらどちらともなくビートルズのプリーズプリーズミーの出だしをハモって唄った。

 それで、♪Come on come on come on come on please please me oh yeh like I please you! ♪と1番を唄ったところでタイミング良く後ろの個室から「ウルセー!」という大きなオヤジの声がした。いくら踏ん張っても出るモノが出なかったと見える。というか、下手くそなハモりを聴かされて下腹に力が入らなかったのではないだろうか?

 https://www.youtube.com/watch?v=h43nuGSd1m4 初期録音 YouTube
 ※サビの後ジョンが歌詞を間違えていないバージョン=最初の日本盤LPミート・ザ・ビートルスに入っているバージョン。

 バイトのお金が3万円を超えた辺りでそろそろエレキも買えそうなので、渋谷の消防署斜め前に在ったヤマハのお店に行った。1964年という年は実は色々な音楽スタイルが登場していて、ギター一つをとっても大きく3タイプに分かれていた。まずは昔からある普通のアコースティック・ギター、フォーク・ギター。これはピーター・ポール・アンド・マリー、ブラザース・フォー、などギター音を鉄絃ギターマイクを通して電気増幅しない最近で言えば[アンプラグド=Unplugged」のスタイル用。ギブソン、マーチン、ヤマハなどが有名だった。
米国マーチンのアコースティック・ギター フォークやカントリー用。


次がベンチャーズやアストロノウツと云った歌無しの楽器演奏だけの「インストルメンタル=Instrumental」 スタイル用の音響版の無いソリッドエレキギター、モズライトやフェンダーと云った海外のメーカー品。日本ではテスコ、グレコ、グヤトーンなどのコピーメーカーが在った。
ベンチャーズや加山雄三が好んで使ったモズライト。筆者も50歳を過ぎて手に入れた。


そうして此の双方をミックスしたビートルズの様なエレキを抱えて唄う「ボーカルバンド=Vocal Band」スタイル。セミアコースティック・エレキギターと呼ばれるリッケンバッカーやグレッチと云ったビートルズが初期に使っていた憧れのブランドがこのジャンルに在った。しかし当時の日本におけるコピー版セミアコースティック・ギターにはネックの部分に鉄芯が入っていなくて、毎回絃を緩めなきゃネックがすぐに絃の側に反ってしまい碌に使い物に成らなかった。

このリッケンバッカーやグレッチは当時はもちろん見る事も買う事も出来なかったが、50歳を超えた頃お金を貯めてやっと本物を手に入れる事が出来た。しかし、そういった超有名ブランドギターも最近は日本で生産しているモノもあるとかで時代の変化を感じざるを得ない。
初期のジョージ・ハリソンが使用したGretsch Tenessee Rose と Rickenbacker360/12

上の写真と全く同じ2台を50歳過ぎてから苦労して手に入れた。ただRickenbaker360は12弦ではなく使用頻度の高い6弦のモデル(希少品)を手に入れた。



その後数十年が経って自分が50歳を超える頃、パフィーと言う女性二人組のデュオがデビューした。どうもどこかで聴いたことが有る旋律の「アジアの純真」と言う曲でのデビューだった。直ぐにピンと来たこの曲はElectric Light orchestraの「Don’t bring me down」にそっくりだった。10年ほど経ってそのパフィー自身がこの「Don’t bring me down」をカバーしてCDに入れ込んでいるのを発見して確信した。

パフィーの第2弾ヒット曲「これが私の生きる道」はビートルズの曲6~8曲の特徴をミックスしてできた曲だったと相当高い確率で確信している。なおかつ彼女たちの曲で「Mother」と言う曲が在るが、これのプロモーション・ビデオを観て驚いた、二人が抱えているエレキこそビートルズが初期に使っていたギターではないか!これで読めた、あのパフィーを世に出したプロデュース軍団はビートルズ大好きオジさん達なのだと。作曲作詞担当が井上揚水や奥田民男と聞いてさもありなんと思った次第。彼ら二人は芸能界でも有名なビートルズマニアなのだ。井上揚水の「夢の中へ」はビートルズのLP・HELP!に入っている "I've Just Seen A Face"=邦題・夢の人 とコード進行がほぼ同じ。
Puffyの右のジャケットの2台のギターがGretsch と Rickenbakerでビートルズ初期と一緒。

 つまり高校時代は本物のビートルズ台頭期にリアルタイムで感化され、バンド活動を始め、40年後にそのビートルズの匂いを持った日本の女性デュオの影響でバンドを再び始めたという訳だ。グリコの宣伝じゃないが一粒で二度美味しかったと云う事か?

自分のエレキギターに話を戻そう。

 勿論渋谷のヤマハにはヤマハ製のギターが売り場の半分を占めていて、その他メーカーのモノはあまり多くなかった。その頃から御茶ノ水界隈がギター屋さんのメッカと知っていれば御茶ノ水に行ったのだが、何せ広尾高校に近い渋谷で買おうとしたのが失敗だったようだ。もちろん買い込んだ日本製の安物のコピー、セミアコのネックは直ぐに反ってしまった。結局あまり弾くのに影響が無い太い方の絃4本でベースギターの替わりに使うしかなかった。

 したがって自然に自分がベースギターを担当する事に成った。歌を唄いながら楽器を弾くのはコードを弾きながら歌えるリズムギターが一番簡単なのだが、ある程度メロディラインを弾きながら歌うベースは多少練習が必要だった。特にAll my lovingの様にメロディ・旋律のあるベースは幾度も繰り返しての練習が必要だった。 
ベースギターのピッキング、つまり弾き方は映画の中でのポール・マッカートニーの様に親指で弾くのが当たり前と思っていたからそのまま真似た。ローリング・ストーンズのビル・ワイマンもベースギターを立てて抱えて弾いていたが親指用のピックを使って弾いていた。しかし後にウッドベースの様に人差し指でベースを縦方向に持って弾くひき方が正統派だという声を聴いてそんなのも有りかと思った。しかし50歳を超えて再びベンチャーズの曲をやろうと集まったメンバーの中にヤマハの音楽教室できちんと学んだメンバーが居て、どんな曲でも人差し指で正統派の弾き方をしている者がいたが、ベンチャーズの曲の様にピックで弾く速いテンポには全く付いて行けず、まるで向いていなかったのを覚えている。
このバンドのギター編成に関しては50歳過ぎのバンド時代色々な事件が起きたが、それは後に回すとしてこの高校生の頃は宮田信雄中心に統制のとれたバンドだった・・・2年生の時は。楽譜が読めてギターコードが判っている人間は彼しかいなかったのでは無いだろうか?

ちなみに初期のビートルズは楽譜を読めなかったと聞く。だからこそ音楽プロデューサーのジョージ・マーチンが第5番目のビートルズ・メンバーだと言われたのだろう。これまた余談だが実はこの事が同じく楽譜を読めない自分にとってビートルズ狂いになった最大の理由かも知れない。八代に居た中学1年生の頃、妹が習っていると云う事で1年ほどピアノを習わされたことが有った。しかし楽譜など全然見ようとせず毎回先生に怒られてばかりだった。 
しかし、楽譜の読み方を覚えられないものはしょうがない、というより耳から入った先生の模範演奏で曲を覚え、自分で弾いてみれば大体弾けたから楽譜を観るまでもなかったという乱暴な話が実際の所だったのだ。これは50歳を超えて始めたベンチャーズ・バンドのリードギターを担当した時も楽譜など一度も視た事が無いし、散々レコードで聴いて覚えているベンチャーズの曲そのままに弾いただけだった。この話は又後に。
George Martin は5人目のビートルズと言われ彼らの曲を譜面に落とした。

 話をジョージ・マーチンに戻そう。
  彼はビートルズに出遭った1962年頃は英国EMIのプロデューサーだったが、1965年に独立してビートルズ中心の音楽活動を開始した。彼自身は編曲者・作曲者・指揮者としても実力が有り、ジョージ・マーチン楽団としてビートルズを中心とした数多くのカバー曲LPを発表している。一時期夢中になってレコードを集めまくったが、特に最近になって高く評価され始めた彼の管弦楽団の曲はCDでは幾つか発売されているが、レコードで持っている者は意外に少ないらしい。
George MartinのLPは5枚ほど手に入れた。いまやすべてが貴重盤だ。


このジョージ・マーチンは最終的に英国皇室からサーの称号を与えられ、ビートルズと共に準貴族の一員になった訳だ。