2023年12月30日土曜日

団塊世代は今年を振り返って憂えることの多さに驚いた。 Baby boomers surprised when look back on this year, there are to much to worry about things.

  2023年(令和五年)も今日を入れてあと二日ばかり。年の瀬に新年を迎える準備でドタバタするもとてもじゃないが間に合わず、「まっ、良いかぁー、新年明けて心機一転頑張れば?」で、毎年同じ年越しになりそうな今日。

 このWAMASEMI WEB BLOGを御覧頂いている方々には本当に毎日感謝しっぱなしの筆者だ。2013年5月14日からスタートし、お陰様でとうとう今年は88万回アクセスを超えた。

 ブログベースのBloggerさんのシステムに異常発生、もしくは筆者PCがぶっ壊れない限り100万回アクセスが見えてきた。次の年末には具体的な100万アクセス到達日時が予想できるのではないだろうか?・・・それまで健康で生きていられればの話だが。

 毎年年の瀬になると必ず聞かれる言葉、「今年もいろんなことが有りました。」

 世界の野球界において大谷翔平と言う宇宙人あるいは神に近い人間が現れたり、日々の生活の中で動物としての人間を今までの常識通りオスとメスで区別すると「差別だ!」と叩かれるようになったり、筆者的には今までの常識では生きていき辛くなった一年のように思う。

 そんな中、いくつか気になった「事象・事件」が在ったので取り上げてみたい。

 まず「頂き女子」事件。男の下心に取り入って金品・物品をネダリ、貢がせる女子の話。

 しかし、バブル絶頂期や破綻直後は世の中こういった女子が沢山蔓延っていたという記憶があるが、あれは違うのだろうか?

 「アッシー君=送り迎えを車でやってくれる便利君」「めっしー君=話題のレストランで食事をご馳走してくれる便利君」「貢ぐ君=ブランドのバッグやファッションをプレゼントしてくれる便利君」をキープしていて、筆者の周りにも男子に媚びて似たような事をしていた女性陣がいたような気がしたが?

 歳をとっても、この手の上手な女子はいくらでも居る。自分さえ当事者にならなければこの手はいくらでも見抜けよう。最近の凄惨な事件はこの手が多いと聞いた。トレンディ・ドラマのように「涙」だけでは終わらないそうだ、安易な頂き女子は命がけ。

 当時はそれの見返りとして、バレンタインデーのチョコの山だとか、クリスマス・イブの一夜限りの恋人ごっこが在ったと聞く。で、イブに泊まった都心の著名ホテルのモーニングで仲間(時には広告代理店の同じ部署だったりする)の数カップルが集まり朝礼を兼ねて騒ぐなど、ホイチョイプロダクションの「気まぐれコンセプト」に散々ネタとして取り上げられた頃の話だ。男も女も判っていて遊んでいたのだ。

 その頃、広告代理店勤務だった筆者の周りの席にはバレンタインデーの日になると、これ見よがしにチョコのパッケージを積み上げていた男子社員もいた。最もその数を誇りたいが為、自分でひそかに購入して自分のデスクにそういった類を送っていた輩も数人知っている。こういう事情にめちゃ詳しい女子社員たちから聞いた話だが・・。オフィスのデスクに送るチョコなど「業務上超義理チョコ」であるに決まっているのに喜ぶ男子の情けなさ。

 男女の仲は、時代と共にいろいろ変わるが、下心がなせる業と言うのはいつの世も変わらないという事だろうか?夜の銀座しかり、昼の原宿・青山しかり・・・。


 次が、地方の過疎化、東京一点集中傾向の過激化・・・と言う話。

 もう、これはこのブログで過去何度も指摘してきたことで、メディアと学校教育が一番いけない。良い大学を出て有名な安定した会社に入り出世するのが正道‥と教えた当時のモノの考え方が今日の姿への元凶と考えるが如何だろう?

 今や生活費が異常に高い都会での下働きより、一次産業・農業漁業の方が生涯賃金がはるかに高いという事をメディアはおろか、学校教育でも教えない。

ご参= 団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #9.団塊世代の事実をどれだけ一般世間は知っているのだろう? https://yamasemiweb.blogspot.com/2014/01/blog-post.html 

 今朝の読売新聞の社説。こうなったことを憂えるだけで、その原因がメディアであることや具体的解決方法を一切報じない。出来ないのだ。

 だから新聞その他メディアは常に傍観者だと言われる。学校でいじめを視ても「せんせー!」と言いつけるだけで、決して止めに入ったりはしない。要はチックリ屋なのだ、無責任でズルいのだ。…・かの山本夏彦さんだったら、彼のコラムでこう言うに違いない。

 確かに団塊世代が大人になるころ、集団就職列車が地方から東京や大阪目指して盛んに走った。筆者が在籍していた北九州の小倉市(現北九州市小倉北区)の福岡学芸大学附属小倉小学校43名のクラスメートのうち今や何と20名が東京・神奈川在住だ。

 しかしこの頃の東京への集中は高度成長下、労働力不足を補うための現象で、社会的にも日本の産業・経済上非常に意味が在った。

 しかし、その後の集中激化は意味が違う。先ほどの「アッシー君、メッシー君、貢ぐ君」の時代から一気に激化した傾向だろうと思う。

 バブル期に「トレンディドラマ」全盛となり、大都会で華やかな職業についている若者たちが恋だのデートだの楽しそうな日常を送る様子をテレビ局が流し続けた結果、・・・だと筆者は確信している。

 人里離れた田舎で腰を曲げて田の草取りをしたり、泥の中長靴を履いて牛に餌をやったりするより、コンビニのレジや旅行代理店の窓口をやりながら定時に仕事を終えテレビや雑誌に出てくる原宿・青山・赤坂(当時は渋谷はそれほどでもなかった)でドラマ同様仲間と遊びまくる生活に憧れた多くの若者。

 20~30歳台を過ぎて、40歳を越えての中高年・老年期への展望・準備を全く考えず「ダメなら田舎へ戻れば良いや・・。」で猫も杓子も東京へ出てきてしまった。そのツケが今になって大きく問題となって出てきているのだろう?

 一応大都市であるはずの関西・大阪界隈からも大挙東京へ出てくるものだから、今や日本語は乱れに乱れてテレビを付ければコメンテーターですら当たり前のように「何が悪いねん?」と大阪弁でがなりたてる始末。「良識最後の砦」NHKですら、標準語でアナウンスするためにとうとうAI音声でニュースを流す始末。

 回転寿司、安売り寿司屋のテレビコマーシャル、全て関西の芸人が叫んでいるだろう?民度と品位のレベルがちょうど合っていて良いのかもしれないが、筆者的には日本の文化がどんどん崩れていくのを見るのはちょっと残念な気がする。