2022年8月9日火曜日

ブログ開始から10年目に入って団塊世代が考える写真撮影について・・#2。 After 10 years since this blog started , baby boomers think about photography again #2.

 今朝は1948年生まれ同い年のオリビア・ニュートン・ジョンの訃報でびっくりしてブログ投稿が遅れてしまった。

 1975年VAN時代出張でアメリカ大陸を横断し、ナッシュビルのCMA(=Country Music Association)スタジオでオリビアと初めて会い、日本の雑誌MEN'S CLUBの取材をした。

https://yamasemiweb.blogspot.com/2015/04/3_21.html

 すごく綺麗な人だが意外に背が低かったのが第一印象。まだ1975年頃26歳(こちらも26歳)の彼女はカントリーシンガーのジャンルに入っていた。

 自分で買った彼女の最初のLPにジョージ・ハリソンが歌っている(曲はボブ・ディラン)IF NOT FOR YOUが入っているのが好きだと言ったらメチャ喜んでくれた。

 1週間後ラスベガスのディナーショウで前座(メインはSmothers Brothers=窒息兄弟という漫談デュオ)で出ているオリビアに再会。楽屋でハグされた。

 過去において西洋の女性にハグされたのは、彼女とプロウインドサーファーのケルビー・アノだけだ。ケルビーは顔に細かい金髪の髭が生えていたが、オリビアは良い匂いがした。

 自分で撮ったステージのオリビアの写真、結局雑誌メンクラには掲載されなかったが、しっかりと取ってある。また一人世界の団塊の世代が消えていった。R.I.P

ラスベガスのディナーショウで席から撮った26歳のオリビア。

 前回撮影会でパソコン画像処理を自分でできないというオッサンが多かった話をしたが、撮影自体は問題なくできるので高齢者のアマチュアカメラマンの増加傾向は今後も続いていくことだろう。同時に撮ったデータをプリントしたり、まとめて写真集にするビジネスも増えていくと思われる。

 筆者は既に大小合わせて20冊、写真集を制作している。PCでの画像ソフト使用によるDTP(=Desktop Publishing=パソコンでデザイン・レイアウト・入稿原稿まで行う事)の90%を自分で行う事が出来るからだが。勿論それが出来るようになるまでには親友ともいえるパソコンの師がいるからに他ならない。

一番最近の筆者制作による自費出版写真集8冊。すべて非売品。

 しかし苦労してPCのイロハを下積み生活で覚え、失敗の繰り返しで覚える必要が無い、すべてお金で済ませる写真集作成ビジネス・システムが今どんどん活性化している。ただしメニューは千差万別で、費用対効果を考えると有名な大手出版社が手掛けるこの手の自費出版ビジネスは、べら棒に高いと言って良いだろう。

 デザイン作業、印刷の原理、印刷の各作業、それぞれ印刷という特殊なモノづくりの仕組みとコストを知らない素人(=写真撮影だけ行う)さんは良いようにボラれているようだ。

 DTPや自費出版の話はもう少し先にして、今はカメラで撮影する場面の話に戻そう。

 撮影の楽しみは、先ずシャッターを押す事から・・・。

 被写体として一般的でまず皆が撮り始める手近なモノは「風景」「花」「神社仏閣」「街並」「祭」「日常生活」など、一度失敗しても何度でも撮り直しが効く被写体に集約されると言って良いだろう。それをどういう感じで撮るかに個人の差、センスの差、その画像をブログやSNSで発信した場合の受けの反応の差が出て来ると思われる。インスタ映えする・・などという次元の世界がこれだろうと筆者は思う。

 空の雲、渚に寄せる波、引く波、草原の風にそよぐ草、朝焼け、夕焼けの湘南海岸、虹、ダイアモンド富士、パール富士、家族の笑い顔、ペットとの絡み、品の良いインテリア、観葉植物、カップ、家具と光。良く女性の主宰する軽快なブログなどに出て来る画像だ。

 スマホで撮ろうが一眼デジで撮ろうがフォーサーズだろうが、APSCだろうが、フルサイズだろうが、ピンが来ようがブレブレだろうが、撮れた結果から逆に効果を醸し出す撮影方法。キレイであれば良し、気に入ってもらえれば良し、いいね!ってしてもらえれば正解!

 しかし、これらはちょっとカメラをかじれば誰もが出来る世界だし、特にスマホであれば出来た画像も狙った通りでなくても結果が良ければOKという感じでイージー。

 したがって撮っている方も、撮ったモノを見ている方もブログやSNSにこれらの被写体を繰り返し多用し続ければ、いずれすぐに飽きてしまう。その意味からすると「ドラえもん」ではないが、ポケットや引き出しが多い方が良いに決まっている。「私はこれが好きっ!」とわざわざ撮影テリトリーを狭めてしまうより、何にでも挑戦、慣れなくても嫌でもやってみる!が正解だろう。


例)近所の神社の古瓦に落ちた紅葉に当たる木漏れ日・・。


 これが少し進むと「撮影が困難な四季折々の風物詩」「祭り周辺の人物」「SL蒸気機関車・鉄道・航空機(基地際など)」そうやたら撮影するチャンスが多くないジャンルに入っていく。

例)パリエアショーのユーロファイター戦闘機デモ飛行


 さらに進むと「山岳、水中撮影・スポーツ・海外のたたずまい・出会い難い野鳥・・・」など被写体に近づくにも自分自身の労力・撮影苦労が大きな部分を占める難易度が高いジャンルに進んでいくのだろう。

例)ロンドン・ノッティングヒルの住宅

 極限は、自宅や近所や檻の中にはいない動物(珍しいヤマセミのような野鳥もこれに含まれる)・希少生物・人の居ない山奥へ入り込まないと出会えない動植物など撮影が命がけな被写体。

 人間であれば著名な方、高貴な方、あるいは芸能人・政治家など有名人など被写体そのものにたどり着くのが非常に至難な被写体。こういったなかなかシャッターチャンスが無い被写体。

例)裏磐梯で巣穴から外を覗くアオゲラ

 少なくともカメラで何を撮りたいのか、自分のスキルと経験値で撮れるのか?自分の体力・スキル、財力、時間を天秤にかけて進むべき道を決めていくのが普通のことだろうと思う。

 しかしこの方向を自分では決めかねて「私はどうしたらいいでしょう?」というアマチュアカメラマンがなんと多いことだろう?
 自分個人の考えより、お友達の何さんがお祭りの撮影に行くので自然と私もついて行くようになったんですが・・・実は私は人ごみが嫌いなのよねー・・・」というような自主性のない話などがそこいらじゅうに転がっているから不思議だ。

 撮れた写真を褒めてもらいたい、誰かに煽ててほしい、自分は数多いアマチュアカメラマンの中で初心者だとは思うがセンス面でまったく底辺なのか?
 それとも、そこそこ行けそうなレベルなのか?あるいはまさかとは思うが、ひょっとして天性のセンスが有ったりして・・・などと勝手に思いを巡らせているのが昨今のアマチュアカメラマンの実情ではないだろうか?

 よくある話で、海外から来る観光客に日本の印象をどう思うか聞かないと心配になるマスコミの御仁がいるが、それと同じなのだろう。
 要は自分自身に自信や確固たる信念がないので何かにつけ不安でしょうがないに違いないと見ている。その極致がコンテストにやたら応募するアマチュアカメラマンだ。


 コンテスト応募専門のカメラ雑誌まで発刊されるほどだもの、カメラ業界は人の心理をよく読んでいる。

 挙句の果てにはコンテストで良い評価を得られるように撮った画像に化粧を施すようなレタッチ屋さんだとか、レタッチの技法本まで出始めている。
 まるで整形施術そのものではないか?「枝被りしていても、後でレタッチで消せば良いんだ」という変な常識が一般化するに至ってはあんまりだとは思わないか?

 一番多いパターンは、自分が撮影した画像の良し悪しを検討・研究し、次の撮影にどう生かしていくか、次のテーマをどうするのではなく、仲間内で腕が上がった下がったの競争を始めてしまうアマチュアカメラマン達だ、カメラもゴルフも一緒なんだろうか?

 撮った写真を見てほしい、褒めてほしい、それの極致がブログへの掲載だ。ちょっとパソコンをかじって画像処理ができるようになったらもう大変!必要以上に彩度を上げ、「綺麗!」に撮れたと自慢したくなる。
 しかし歳を取るほど鮮やかさに歯止めが効かなくなり、どんどん彩度を上げて行ってしまう。秋の紅葉時期の観光案内パンフの紅葉の色と一緒!
 まるで香水を付けすぎて自分が自分の匂いに鈍感になってしまい、不安になってついつい周りが避けて通るほどたっぷり香水を付けてしまいヒンシュクを買う女性と一緒だ。

 神田にある日本で唯一のバードウォッチング・専門店で野鳥の写真集の最近事情を聞いた。そうしたら今は野鳥の写真集はなかなか売れないという。
 要は人が撮った野鳥の写真をいくら見ても自分がそういう凄い野鳥に出遭える訳ではない、さらにはそういった凄い画像を撮れるとは思えないからジェラシーを感ずるとの事。

 アマチュアカメラマン達でも掲載された写真が野鳥の巣の中を写したり、明らかにストロボを当てて撮影した作為的な画像は「自然保護の面からも明らかに違反だよな?」と判断する普通の心は持っているようだ。
 
 動物園に行ってユニークな顔をした動物の写真を撮るのも一つのスタイルだろう。しかし、野生のままの動物を自然体で撮影しようとしたら、撮影中に蜂に刺されたり、毒虫にやられたり、山ヒルに食われる、あるいは蛇を踏んづけるくらい当然のリスクなのだ。

 しかし、そういうのは絶対に嫌だが何とかならないか?としつこく聞いてくる人もいた。残念だが絶対に何とかはならない!本物のシャッターチャンスは決してそこいらには転がっていない。

この項もっと続く、