2019年7月15日月曜日

団塊世代は雨のアメ横で昔を思い出した。 Baby boomers remembered the old days at Ameyoko in the rain.

 相変わらず日照時間が殆ど無い今年の東京の梅雨。野鳥の観察や撮影もままならず、かといって恒例のサンセットランも早々出る訳にはいかない、雨が降りっぱなしで・・・。

 そんな中、研究所やデザインスタジオ、クラス会だの旧友との再会だの、意外にこの所都心部への外出が多い。

 雨が予想される日は、かならず22年前ダイアナ妃が亡くなった際、偶然ロンドンに出張していた筆者がセルフリッジズ百貨店で購入した小さな折り畳み傘を持って歩くが、持っていてもほとんど開いていない。

 多少の雨では雨具を使用しない英国人を真似して何もしないが、少し強く降っていれば背負ったデイパックごとカバーできる大きな3Lサイズのポケッタブル・ヤッケを被ることにしている、しかしこいつは蒸れるのが難点。

 しかし東京都心でまともに雨を食らうケースはほとんどない。大手町の読売新聞あたりから日比谷の交差点を曲がって東銀座駅に至るまで地下道で濡れずに移動できるし、渋谷や新宿にも同じような広範囲の地下道・地下街が完備している。

 で、そういった雨の中、研究所の帰りに御徒町で下車し、上野アメ屋横丁、通称アメ横を覗いてみた。この町は1990年代にウインドサーフィンやスノーボードのプロや海外からの友人を数度案内した。

 VANに勤めていた1970年代にも結構頻繁に来たが、意味もなく此処のアーケードを徘徊するのがカッコいいと思っていただけで、毎回何かを求めて来ていた訳ではない。雑誌ポパイで紹介された目新しいMade in USAの雑貨を触りに来ていた方が多いかもしれない。

 むしろ最近の方が野鳥撮影時に野鳥に警戒心を与えないで近づくために使う迷彩ヤッケや迷彩柄のバッグやシューズを購入する意味で、実質的な来訪が多い。
 
最近のアメ横はこの手のコロコロを引っ張った観光客が非常に多い。上野に近いエリアなど、単なる買い食いエリアになってしまっている。特に雨の日など外人さんや国内各地からの観光客が90%以上ではないだろうか?


買い手の思案と売り手の思惑が交差するアメ横。

雨じゃー、客も来ないねぇ・・・。

隣のお店の爺さんとは、地元の小学校でクラスメートだったりして。

東京タワーが開業した昭和33年に開店したという芳屋さん、戦争直後子供達が米兵に「ギブミー・チョコレート」と言って貰っていた軍用チョコのメーカー、ハーシーのチョコも売っていた。東京タワーと言えば、当時筆者はまだ小学4年生で九州の小倉に居た頃だ。まさに「三丁目の夕日」そのもの。
アメ横で60年、全てを知り尽くした人はもう残り少ない。

お尻をぶつけながら山盛りの商品の間を通り抜けるのがアメ横。この雰囲気がドン・キホーテに継承されているのかもしれない。

訪れる者の世代交代はどんどん進む。

1970年代からレイバンのシューター(1938年販売・生産中止)を3本買ったお店も健在だった。そのレイバン、乱視・遠視の度入りレンズに入れ替えて今も愛用している。

革やジャカード織のデザイン入りのベスト専門店。あの昭和30年代の映画で小林旭、宍戸錠などが着て出ていたベストは殆どこのお店で調達されたという話を聞いた。
小林旭の「渡り鳥シリーズ」は場面展開に滅茶苦茶な所が多く、それだけを一度このブログで取りあげてみたい。ギターを抱えて船の上で歌っていたのに、数分後に浅丘ルリ子をチンピラから救うため駆けつけると衣装がいつの間にか全部替わっていたり、「じゃあなっ!」と去って行く姿に長旅のくせにトランク一つも無かったり・・・。色々な意味で笑える映画なのだ。

筆者が一番入る事が多い、中田商店。

迷彩ヤッケ、キャップ、軍靴、各国軍隊セーターなど随分買い込んだ。