2019年6月22日土曜日

団塊世代は人吉で、かって1960年代SLブームのど真ん中に居たのを想い出した! I remembered at Hitoyoshi about the Baby boomer made Steam Locomotive boom in '60s .

 ヤマセミの観察を8日間続けて、人吉ツアーも終わりに近づいた先週末、人気の特急「かわせみやませみ号」を撮影しようと紅取山という小高い丘に近い山に登った。其の理由は特急列車に近づいてではなく、田植えが終わって水を張った田園風景の中を走る姿を「遠景」で撮ろうと思ったのだ。
 そうしたら頂上付近の見晴らしの良い場所で地元の大無田さんという方に出遭い、もうすぐSL人吉号が通ると教えて頂いたのだ。週末に運行する観光列車なのだ。15年程前、八代で偶然出遭って慌ててシャッターを押したことはあったが、きちんと撮った事が無かった。今回はこれ幸いと撮影する事にした。この大無田さん、鉄道には滅法詳しい方で山の頂上で思わぬ鉄道談議に花が咲いたのだった。


2004年、八代で偶然遭遇し撮影したSL。当時はSLあそBOYとして年間数回人吉駅まで運行された。2009年にSL人吉号になる前の画像。

 実は筆者は父親に借りた(奪い取ったと言った方が事実に近い)ドイツ製のカールツァイス・スーパーイコンタという蛇腹のカメラで盛んに蒸気機関車や特急はやぶさ、急行霧島、準急くまがわ、準急かいもん、準急えびの、などを撮影しまくっていた。1961年~63年頃の話で、まだ日本のSLブームが始まる4~5年ほど前の話だ。
テッサ―レンズの付いたカールツァイス・スーパーイコンタ

 当時の筆者は鉄道に異常に興味を持っていて、月々定期購読していた雑誌は「鉄道ピクトリアル」「鉄道模型趣味」「国鉄時刻表」だった。漫画には全然興味を示さないある意味「変な子供」だったようだ。
時刻表を読んでいたおかげで松本清張の「点と線」はすぐに犯人が航空機(巻末に時刻表掲載)を使用したと判った。東京駅の見通しの話も実際に確認した。

 その「変な子」は八代市の大田郷小学校を卒業し、隣の八代二中に入って小澤利満先生という鉄道に愛情を注ぐ恩師に出逢う事により、その鉄道好きは異常なまでに進化したのだった。後にこの恩師・小沢利満先生は1987年(昭和62年)国鉄が分社化しJRとなった年に、廃車解体予定の国鉄蒸気機関車C11を退職金を使って購入したという。

 こうして鉄道に没頭した小中学校時代だったが、その後1965年に始まる消えゆくSL(=蒸気機関車)への想いの漂う「SLブーム」には熱中できなかった。当時流行ったポスターやカレンダー、写真集を見るにつけ、なにか浪花節っぽい演歌が背景に流れそうなブームでいまいち乗れなかった。

 綾小路きみまろではないが、「あれから50年!」

小高い丘の上から撮影した「SL人吉号」は2時間半後に熊本へ向かって折り返していく。撮影後、昼食を摂って人吉駅周辺を徘徊し、良い撮影スポットを探した。その結果が今日ご紹介の「団塊世代50年振りにきちんとSLを撮影す!」だ。

田植えの終わった田園を背景に蒸気機関車牽引の列車が進む。

後ろは人吉駅裏の村山台地。

人吉駅のシンボルは何と言ってもこの石造りの機関庫だろう。かっては熊本駅にも2000年頃まであったが、新幹線施設建造の為解体されてしまった。
2001年当時の熊本駅、奥に赤レンガ機関庫が見えている。まだ、博多ー西鹿児島間は在来線のつばめが走っていた。

入れ替え作業中の86式蒸気機関車。

上りのSL人吉号14:38出発。


団塊世代なら誰もがこうして踏切で列車に手を振った記憶が在ろう。