周りに乗せられて八代市内で小さなヤマセミの写真展(個展)はさせて頂いた事があるが、いわゆる写真コンテストには参加した事がないし、勿論今後も参加はしない。そのような単にヤマセミという野鳥に魅せられて観察撮影してきただけの人間だが、今までの経験値から思う事を書いただけで、これだけの反響があるというのは正直驚きだった。
今日は連絡を下さったリクエストに対する答えになれば嬉しいので、もう少し続きをご紹介しようと思う。まず事前の下調べ、ロケハン等に関しての質問。事前にどの程度の事をするのか?という質問があった。此れは何を被写体にするかで全然違ってくる。風景であれば、例えば奥日光戦場ヶ原で朝霧を撮りたい・・・、阿蘇山の火口原を埋める濃厚な朝霧を撮りたい・・・、であれば旅程を1日余計に取り、天気予報と気温等を数日前から調べ、霧が出るか否かを調べる。と、同時に地元の方に訊いて朝霧のポイント、そのポイントで太陽の出る方向などを地図を見ながら確認する事にしている。
阿蘇の火口原から外輪山を朝霧越しに望む。阿蘇の霧は大概外輪山から撮るらしいので逆位置から狙ってみた。意図は見事に当たり大変好評だった。
奥日光で男体山の麓に湧き上がる朝霧、ほんの10分間しか現れない。事前の準備なくしては撮れない画像だろう。
八代の球磨川河口部真冬の川霧。淡い川霧は人吉と異なって非常に薄い。
人吉にお住まいの辻先生の傑作中の傑作。何人に「合成でしょこれ?」と言われた事か覚えていないが合成ではない。此ればかりは事前準備しても無理。辻先生に宿った強運が唯一の理由。
自然観察の領域で画像処理画像と言えばまず存在しないが、こういうのは存在する。ヤマセミのホバリング中のあらゆる姿勢を1枚にまとめた貴重なもの。此れは此れで非常に学術的にも意味があるのだ。まず誰にも撮れまい、人吉の古江之人氏(筆者の師匠)の3年以上前の撮影。
勿論筆者はヤマセミの生態観察がその撮影の軸であり、芸術的な写真(何が一体芸術的なのか良く判らないが)等には程遠い「生態証拠写真」を収めねばならないので、写真展やコンテストにはまるで縁が無い。コンテストで入選したいがために有力者・著名フォトグラファーに師事する事もなく、カメラメーカーの同人クラブに入ったりもしない。
世の中にはまったく公平なコンテスト等、殆ど存在しないと言う事くらい、長い広告代理店生活でよく承知している。写真の世界も絵画・書道の世界・お茶やお花の世界等、習い事ジャンルのコンテストには必ず「入選する仕掛け」と言うものが存在する。ご存知の通りあのサッカーのFIFAですらああだモノ。メディアが報道しない裏の世界は幾らでも在るのだ。世の中金と人脈次第!これらも筆者がコンテストには参加しない大きな理由のひとつだ。
しかしこうも思うのだ、長い事自分で撮影活動を行ってきて、色々な先輩達に教わり、失敗を重ねて今日に至った自分としての考えだが、撮った後で簡単に「この杭は邪魔だから消してしまおう、この雲は綺麗じゃないから処理しちゃおう・・・。」と言う最近のイージーな傾向はとてもじゃないが好きになれない。
ましてや四角いものを丸くしてしまったり、薄い夕焼けを見事な真っ赤な夕焼けに化けさせたりもしない。電線や杭なども後処理で消したりしない。在るがままにしないと生態証拠写真にはならないからだ。綺麗でかっこよい画像等より、ヤマセミの生態の素晴らしい瞬間を切り取るという、しっかりとして揺るがない理念のもとで撮影しているので価値観そのものが違うのだろうと思っている。
結局は自分の素地に成る下積み期間を経ないで、いきなり後処理でイージーに賞をもらえるような今の写真コンテストの仕組みは、良いフォトグラファー等絶対に生み出さないだろうと断言できる。大体、人間で言えば整形美女のコンテストって訳だろう?
それなら、いっそのこと色々手を加えて作品として提出したモノを審査するのではなく、元データからどれだけ画像処理で綺麗で立派な作品に化けさせる事ができたかのコンテストにしたら如何だろう?その処理技術のコンテストにするのだ。
そうでもなければ、撮ったその日の夕方に撮ったままのデータを提出して現場で審査すると言うのは如何?そうすれば今までのコンテスト上位入賞者など何処かへ吹っ飛んでしまうだろう。優秀なレタッチ職人に出逢えたから、有力者のグループに入っているから・・・等の理由でコンテストに入選して一体何が嬉しいのだろう?本人はいつまで経っても撮影が上手くなる訳がないと思うのだが・・・。この辺りは写真家かカメラマンか?の領域をはるかに超えた部分なのでこれ以上踏み込むのは止めよう。
「あとがき」
重ねて色々コメント、連絡を頂いた方々に心から感謝します。少なくとも自分の思っていた事が間違っていなかったと言う安心感で、次への自信・エネルギーを頂きました。