その後、引き続いて会社訪問の自己紹介の際に述べた大学の卒論テーマを覚えていたと見え、「生活環境の相違による色彩感覚の相違について」という内容に関して説明するように求められた。これには感激してしまい、調子に乗ってそうとう夜が更けるまでこの話をさせていただいた。
筆者は、横浜国立大学教育学部・中学校教員養成課程・美術専攻科を卒業するに当って皆が卒論代わりに制作提出する「卒業制作作品」ではなく卒業論文を提出し合格して卒業した。‘73年当時まで美術専攻科において卒論提出で出た者は誰も居なかったので、初めてのケースだったはず。その後も皆が卒業制作で出たのであれば、未だに教務課にはたった1冊だけ40年前の筆者の卒論がポツンと保存されているはずだ。
卒業制作作品として写真作品を提出しても良かったのだが、まだまだ油絵など「絵画」中心の美術専攻科だったし、写真関係の専門家の先生が一人も居なかったのでお話にならなかった。
卒論で出た理由は、当時の教授陣が誰一人卒論を評価したことがなかったのを狙ったという理由もあった。それと、やはり団塊世代の特徴として「人と同じ事をしていてはダメだ。人とは違う道を進むべき・・。」との戦略に忠実に則った訳だ。
一応卒業制作展には3点出展したが、全て請われて他人の手に渡ってしまった。なんと1枚は教授の一人に欲しいと言われ差し上げてしまった。
一応卒業制作展には3点出展したが、全て請われて他人の手に渡ってしまった。なんと1枚は教授の一人に欲しいと言われ差し上げてしまった。
本筋に入ろう。卒論のテーマは前にも出たが「生活環境の相違による色彩感覚の相違について」という一見まじめで難しい内容だが、非常に単純な誰もが抱くであろう外国人と日本人の色彩感覚の違いについての実験的比較なのだ。論文にはいわゆる「起承転結」があって、①テーマの動機、②事実の羅列、③自分の分析、④結論 などの展開で構成されるが、その最初の「テーマを選んだ動機」という所からしてふざけているとしか取られかねない内容だった。
その動機とは「外人の婆さんは何故あんなに派手なのに、日本人の婆さんは地味なのだろう?」という事なのだ。勿論最初にこれを見た色彩学の三浦教授はジーッと私の目を見てこういった。「これは一体どういう冗談なのかね?」
上野の美術学校、つまり今の東京芸大卒でないと一人前に扱ってもらえないという、古い体質の美術界の生き残りの教授なので、どこと無く「お前ごときが色彩学などに首を突っ込む等とんでもない、100年早いんだよ!」と言われているような気がしてならなかった。
実際、この卒論はこの三浦教授だけの審査・判断であれば通らなかったろうと思う。しかし、桑沢デザイン専門学校の講師も兼ねているデザイン担当の真鍋一男教授や油の国領教授、ジョン・レノンに会わせてくれた彫塑の安田正三郎教授が応援してくれたらしい。中味の出来不出来など評価より、卒業制作さえ書けば簡単に通るところ、ワザワザ英国まで行って色々調査し研究して面倒くさい卒業論文にチャレンジした初めての美術専攻科の学生だから尊重してやろう・・・のノリだったのではないだろうか?
いわば、最近MBLから表彰された野茂英雄投手のような状態だったのではないかと思っている。
外国のおばあさん達、ファッショナブルで色も派手。伝統的な民族衣装はこの際考えない。
日本のおばあさんたちは目立たないように地味な色が圧倒的。これが不思議だった。
実際その後、学生が沢山居るところでその「外人の婆さんが何故派手で、日本人の婆さんが何故地味なのか?」というテーマの解説をしなければ成らなかった。石津謙介社長もまったく同じ感じで解説・説明を求めてきた訳だ。
結論を先に言ってしまうと、その答えは「眼の色が違うから」という一見ふざけたような信じられない理由だったのだ。要はメラニン色素の多い少ないという事だった。
このブログで余り深くこの部分を解説する気はないが、各国の国旗を想像していただくと、大体筆者が言わんとする所が判って頂けると思う。北国スウェーデン、あるいは南半球のアルゼンチン等は太陽が低く季節による太陽光の照射時間も少ない。一方で南北回帰線に挟まれたエリア赤道直下のエクアドル、コロンビア、ケニア、ジャマイカ等は真上からの太陽で光も非常に強い。白砂の海岸等では更の事。で、スウェーデンとジャマイカの国旗を比べて欲しい。パステル調のスウェーデン、アルゼンチンなどの国旗と原色のコロンビア、一見冴えないジャマイカの国旗。これをそれぞれ薄暗い北欧や熱帯直下の砂浜など屋外でかざしてみて見ると良く判るはずだ。要は彩度とコントラストの関係でそれぞれの地域でそれぞれの国旗が判りやすくデザインされ色が決められていると思って良いだろう。
右:ケニヤとベネズエラ、左:スウェーデンとアルゼンチン国旗
もっと判りやすいのは北欧・西洋人は赤道エリア、あるいは中緯度エリアに行けばサングラスをかけなければハレーションを起こし景色が見えにくくなると言う。逆に熱帯エリアの人々は北欧等に行ってもサングラス等は掛けない。これら全て人種的、先天的なメラニン色素の量で色に対する認識の差が生まれていると言う事なのだ。もうこれは美術の領域ではなく人間生理学の領域になるだろう。
石津社長の反応は相当真剣なものだった。訊きながら既に頭の中で自社製品とマーケティングに関する何かが動き出していたのかもしれない。