自分の写真展への準備、自宅の巣箱から巣立つシジュウカラたちの観察でドタバタしていたこの1か月が過ぎ、ひと段落した。
この1か月は同時にメディアではChatGPTを先頭に生成系のAIの話題で一杯になっている。これはWindows95が売り出されたときの騒ぎ、スマホが急に普及した2011年の騒ぎ、これを凌ぐ大騒ぎに成っているだろう。
この騒ぎはWBC世界野球、オリンピック、といった瞬間風速的な「イベント騒ぎ」とは全然質が違う「人類の分かれ道的重大事件」と言って良いような気がする。
しかし、Windows95に始まった「コンピュータ+インターネット」や携帯端末の極致スマホのように、爺ちゃん婆ちゃんまでもが「無きゃ困る状態」といったような状態にまで生成系AIが成るかどうかは筆者的に言うといささか疑問だ。
技術は凄いし、もちろん駆使出来れば「今以上の良い状態・楽な仕事処理、今まで自分一人ではできなかったクリエイティブ・ワーク」を得られることは間違いのないところだろう。それは重々良く判る。しかし、一方で生成系AIを頼ることで人間独自の創造力・脳力・センスが退化し、失われることは容易に想像できる。
あの1968年、アーサー・C・クラーク原作、スタンリー・キューブリック監督で大きな話題になった「2001年宇宙の旅=2001: A Space Odyssey」のHAL2000 の様なリアルタイム対話型コンピュータへのきっかけになるのが生成系AI特にChatGPTなのだろう。
IT関係者、AI関係者、熟練者は真の事の次第に目を丸くしているだろうが、一方で我が国のTVメディアのワイドショーなどの芸人・タレント・コメンテーターたちが騒いでいる次元との余りの差に、この流れを非常に憂える団塊世代爺なのだ。
スタートして2か月で1億人、1週間で100万人のユーザー獲得!が凄い・・・だとか、今まで1時間かかっていた大学のレポートがChatGPTを活用することで10分で出来た!・・などという街中の声を「話題の中心」にする日本のTVメディアの低俗さ加減。
一方で、筆者個人は生成系AIを駆使できる状態になるように「学び・訓練する」だけの時間と努力を今この時点ですぐにできるか否かが問題だろうと思う。
「今其処に在る重要課題」として処理しなければならない「事案」が沢山あるのに、そちらを放り出してまで生成系AIを駆使するスキルを身に着ける時間的余裕はないのだ。
「目の前の事案の処理」はベルトコンベアーに乗った部品同士を組み立てるのとは違う。心身共に集中して事に当たっているから、「1時間余裕が出来たから生成系AI、やってみっか?」とはいかない。やる以上は逆にそちらに集中しなければただの新聞記事を読むのと同じになってしまう。
繰り返すが、広告代理店勤務の1980年~1998年頃、仕事量がピークだった時代、Windows95に始まった一般用コンピューターが急速に普及したが、重要と判っていても目の前に山積みになった仕事が忙しすぎて、その方面のスキルを身に付ける時間的余裕は全くなかった。これは当事者でなければ絶対に判らない。
その頃PCやネットに没頭できた人がうらやましい。
しかし冒頭で述べたように、ここ1か月のドタバタ繁忙期が落ち着いたので、ChatGPTを取り込んでいくつか試してみた。
公明党の山口那津男代表がChatGPTに自分の名を入れて「誰?」と訊いたら「そういう人は知りません」だか「存在しません」と出てショックを受け「生成系AIもまだまだだと思った」というネット記事をどこかで見た気がしたが、それは確かにそうかもしれないが、一方で驚くべきことを筆者は実感した。
筆者はこのヤマセミWEBブログで自分の生い立ちを我が子二人に残そうと、「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」と称して、週末2日間だけ育ってきた時代の昔話を書いてきた。一部の人々には、ごくごく少数印刷物にした本を進呈して読んでいただいている。(在庫希少)
で、その中の2014年10月12日(日)版で横浜国立大学教育学部美術科在学中、彫塑の教授「安田周三郎先生」に呼ばれ鎌倉のアトリエに行ってジョン・レノンに逢った際の話を書いたことがあった。
「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #75.」 1971年9月のある日、目の前にジョン・レノンがドテラを着て座って居た。
http://yamasemiweb.blogspot.com/2014/10/blog-post_12.html
しかし45年も前の話。記憶があいまいで、日付や場所が正確ではないのでは?と常に気にして来たのだ。Googleやその他の検索サイトを視ても、1971年のジョンレノンの来日行動に関して詳しく示しているものがまったく見当たらなかった。これは今でも見当たらない。
で、ChatGPTを導入して最初の質問にこの件を入れてみた。その結果がこれだ。