2022年8月8日月曜日

ブログ開始から10年目に入って団塊世代が考える写真撮影について・・。 After 10 years since this blog started , baby boomers think about photography again.

 ■ブログ開始から10年経って団塊世代が再び考える写真撮影について。

 1960年代にTen Years Afterというハードブルース⇒ハードロック系のバンドが英国にいたが、当時筆者は音楽的にThe BeatlesなどMersey Beatsに夢中で、ほとんど聴いたことが無かった。
 ただ、いつの時代においても常に「10年後=Ten Years after」の事は気にしながら生きてきたつもりだった。が、しかし、つい先日このブログを始めて毎日更新を続け、当の昔に10年目に入っていたことに気が付いた。筆者は相当な間抜けである事が証明されてしまった
 なんと気が付けば既に3,300回以上毎日投稿・更新し、もうすぐ75万アクセスを超えるという…信じられない事だ。

 で、デイリーブログ継続10周年突入を記念して、しばらくは本来のヤマセミ中心の野鳥など生き物の投稿は夏休みにして、過去ログを見直しながら10年前の過去ログをいくつか一部コピペして写真撮影などに関する当時の心境を振り返りつつ、改めてこのブログと写真について付加してみたい。

 当時のままの考えもあるだろうし、10年経って世の中の常識・風潮も変化しただろうし、自分の中で考え方が変わったケースもあるだろう。自問自答形式での再起動になれば良いと思っている。

 このブログを開始した2013年当時筆者は63歳だった。新型コロナ対象年齢でいえば、あまり不要不急の外出はするなと言われている歳、自動車免許でいえば「もうそろそろ返上しなよ!」と言われる年齢、つまり既に立派な高齢者に属していたわけだ。

 高齢者は人間的にも新しい出会いより、別れの方が多くなるのが当たり前。そのあたりを考慮して読んで頂ければ嬉しい。

 では、10年前に戻ってみよう。ブログ・タイムマシーンはまだ新型コロナなどという疫病は影も形もない時代に遡る。

 ひゅ~~~~~ん!

  昨今、60歳、昔でいうところの還暦を過ぎた団塊の世代を中心に、写真撮影のブームが続いているようだ。墓石の争奪戦までしなければならないかも知れないと言われ続けて育った団塊世代、リタイヤ後の生活費や死に金の準備、今ならさしづめ終活というのか?費用面では少し余裕のある層が今までよりは増えたと見える。

 それが証拠に日経やその他全国紙の日曜版全面広告を見るが良い。そのほとんどがやれ腰や肩の痛みに効くという触れ込みのバカ高いサプリの広告だったり、「お得な死亡保険」「周りより一段上のお墓」などという理解に苦しむコピーの広告だったりする。

 一方で「死」などとんでもないという、オイラはもっと遊ぶんだもんね?的な広告も非常に多い。やれ豪華客船クルーズ(筆者など退屈で1日も持たないと思う)だのJR九州特別列車で九州1周200万円だのお金に糸目を付けない「おさそい広告」がそれだ。

 競争で育ったこの世代は豪華客船のクルージングでもテラス付のセミスウィートくらいではないと同行者が納得しないから、高い船室から埋まるという。これに目を付けた海外のクルージング会社が日本の裕福な団塊世代を狙って格安クルージングの企画ツアーを続々持ち込んできた。

 おかげで我が国の日本郵船・飛鳥の豪華客船のツアーは真っ青!近海の切り売りツアーへの戦略転向を余儀なくされているようだ。しかし海外からのクルージング会社も大量動員一挙売上向上を狙った超大型客船を日本用に転用したものの、横浜ベイブリッジは橋が低くて下を潜れないは、東京港レインボーブリッジも潜れないなど土壇場でみじめな結果を招き始めている。

 せっかく銅鑼の音と共にあの横浜港大桟橋からの出航を夢見ていたのに、暴走族の集会所・大黒ふ頭までバスで移動させられ、工業地帯・倉庫地帯から乗船・出航だ。これじゃ大昔の石原裕次郎や小林旭(アサヒではない『あ・き・ら』)の映画そのままではないか?

 話が飛んだ・・・元に戻そう。

 やっと人生に余裕が生まれた団塊世代だが、多少の余裕ができたのはあくまで金銭面だけで、自分の頭の中や今後自分がどうするんだという、設計・プランはまるで空っぽという御仁がなんと多いことか?

 リタイヤ後の不安に対しては、金の心配しかしてこなかった、今まで金を出してモノを買ったり、行楽に使うなど消費機能しか磨いてこなかったから「モノを作り出す、生み出す」スキルに欠けているのが実際のところなのだろう。

 そういう中で、写真撮影をして画像を残す・・・少なからずクリエイティブな方向に進みつつある団塊の世代の一部は、まだましなほうなのだろう。しかし、この世界にも特有の「勝った負けた、優越感という悪魔の囁き」が歴然と存在するのだ。

 以前写真撮影のレクチャーにインストラクターとして助っ人参加して、サポートした際の状況をほんの少し紹介。

 まず、持っているカメラの自慢、三脚の自慢、行った撮影場所の自慢、撮影技術・専門用語などカメラ知識の自慢。
 もう「俺が俺が、勝った負けた」の大論争が必ずレクチャーの最中、撮影アドバイスの最中にあちこちから聞こえてくる。その次が撮影場所の取り合い口論・喧嘩。


 一体何なんだ?これは?と思いつつ、一番元気のいいオジサン(筆者とあまり変わらないと思う)に質問してみた。「画像処理ソフトは何をお使い?、何を主に撮影されているので?」既に全員がデジカメだ。それもハイエンドだったり最新モデルだったりしている。

 これに対する返事は、「あー撮った画像はカメラのキムラでプリントしてもらうんですよ!パソコンは全く判んないんで。
 何を撮るかって?それが問題なんですよねー、先生の後をくっついて勉強はしているんですが・・・。」という事だった。

 自慢する事は沢山あるのだが、「何を撮りたい、何を撮るからこの機材・・」という論理的理由も、何故写真を撮るのかという自分の理念もプロセスもない、カメラ機種自慢の会に近いのが実情だった。

 中学校の時に良くありがちな、親に買ってもらったカメラを自慢しあうのに、撮れた画像を自慢しあわない、しあえない子供たちがそのまま大人になり老齢期を迎え同じことを繰り返している。なんだかなー?

 1960年小学校6年生の頃父から譲り受けて盛んに撮影を始めたドイツのカール・ツァィス・スーパーイコンタ(テッサ―レンズ使用)。ブローニーフィルムをハーフ仕様ですべて縦位置の写真を撮った最初のカメラ。六本木ミッドタウン東京の一階にあるフジフィルムスクエアの写真歴史博物館に同じものが展示されている。大切に現在でも使用している。のちにスペアを購入し現在も二台所有している。

 念のために申し添えておくと、父はその頃話題の35㎜フイルムのキャノネットを好んで使用していた。

 一方で、筆者も始めた、このようなブログや、スマホ写真中心のインスタグラム、懐かしの仲間と情報交換に活用しているFacebook 等のSNSで、品の良いデザイン的に心休まる画面を提供し「このサイト、センス良いねぇー!」と話題になる事を目指す御仁も増えた様だ。今後も増えていくだろう。

 この次は、そんな写真中心の文化・・というものに関しての団塊爺の勝手な思いを広げてみたい。

この項続く。