2022年8月13日土曜日

ブログ開始から10年目に入って団塊世代が考える写真撮影について・・#6。 After 10 years since this blog started , baby boomers think about photography again #6.

  今日は台風が関東・東京直撃らしい。でも今朝はまだ晴れ間がのぞき、風は昨日ほど強くない。嵐の前の静けさだろうか?無事に過ぎて欲しいが・・。

昨日の銀座裏通り、台風前の強風の塊が抜けていた。

今朝6時過ぎの三鷹の空。時折にわか雨、右下の雲が台風の速い雲。

 ■人物の撮影(描写)について・・・・。

 筆者には4歳年下の画家で学校の先生を長年やっていた弟がいる。

 大学も全く同じ横浜国立大学の同じ教育学部美術専攻科を出ているが、絵の才能ははるかに彼の方が勝っている。

 大体からして人物を描けるという事をとってみても彼の方が数段上だ。真面目に黙々と描くタイプで、私のように気まぐれでいい加減な性格ではない。

 筆者などは絵画室(油絵室)で前の日に描きはじめた自分のキャンバスが翌日登校してみて見当たらず探しまくった事が有る。

 要は前の日、自分が描いた制作途中の油絵が判らないほど毎日気分が替わるという恐ろしい性格をしている。だから一日で描き上げられる水彩ばかり好んでやっていた記憶が有る。要は描き始めのインスピレーションが2日と続かないのだ。
 ましてや教授が「こうやって、この部分を強調して・・。」などと筆を入れたらもう絶対後を続けなかった。人が描く絵と、自分のそれは絶対に違うはずだ・・という確信があったのだ。

 映画の看板の俳優の顔を描くのや、銭湯の富士山の描き方を教わるのとは絶対に訳が違うと思ったのだ、それは今も変わらない。

 少し話が飛んだが、この優秀な弟が在学中、「絵が描けなくなった」と頭を抱えた事が有った。「兄貴よう、俺もう絵をやめようと思う」これには驚いた。

 一体どうした?何なんだ?と相談に乗った。

 話の概要はこうだ。

 自画像を一生懸命描いたのだが学校で他の仲間たちから「似ていない、何かが違う」と言われて潰れそうになったという。あまりに落ち込んでいるので話を聞きながら作品を見せてもらった。瞬時にピンときた。

 「お前さー、どういう方法・手順で自画像描いてんの?」と描き方を訊いたら鏡に向かって自分の顔を見ながら、その横にワトソン紙を水張りをしたボードに向かって描くのだった。

 そこで、弟に説明をした、「あのね?鏡は左右が逆になっているの判るよね?だからお前が描いている自画像は左右が逆なの。

 だからこうやって描いた自画像を鏡に映してみてご覧、これが他人が見ているお前の顔、すごくよく描けているよ問題ない!俺なんかにゃ絶対描けないね」

 弟は翌日大学でそうやって皆に自画像を鏡に映して見せた所もの凄い反応だったという。怖いといったクラスメートがいたという。 翌日から弟は天才と呼ばれるようになったらしい。

ゴッホ自画像の一つ、ウィキペディアより転載 
 
 写真もこれと同じだ。「私は写真映りが悪いの、だから写真撮られたくない」と言うご婦人が多い。
 「私、写真映りには自信が有るの!」と言う御仁には滅多に出遭ったことが無い。もしいたら普段からあまり良くご自分の顔をよく見ていないか、余程眼が悪いかどちらかだろう。

 つまり、人間は自分の顔を鏡に映った顔だと小さい時から思い込んでいる。左右逆の画像が自分だと思っている訳だ。

 特に人間の顔は真ん中を中心にして左右対称ではない場合がほとんどだ。どちらかの眉が上がっていたり、どこかの副総理ではないが口がゆがんでいたり。

 完全に左右対称の顔というのはなかなかいない。女優さんでいえばかって活躍していた香椎由宇さんという方が左右対称顔で人類学的にも稀有だという事で見本になったという噂があったらしい。
香椎由宇さん 出典= https://rank1-media.com/I0002249/&page=2

 要はそれほど左右対称がいないのだから、生まれてこの方見続けて見慣れた鏡の自分の顔と左右が入れ替わった写真では「コレなんか違う・・。」と思って当たり前なのだ。が、決して左右対称顔がそうでない人より「優れている」と言っている訳ではない。

 繰り返すが、写真に映った顔は見慣れた鏡の中の自分ではなく鏡とは左右が逆の本当の姿だから「違う、似ていない、アタシャこんな顔じゃない!」になる。
 この辺りを「写真映りが悪いから・・」と尻込みする御仁に説明してあげると非常に納得する。

 一方で一般に普通の人々は撮れた他人の写真を視て、「良く撮れているじゃない?」と批評する事が多いが一体これは何を褒めているんだろうか?たいてい笑っていたり楽しい場面での記念撮影だからだろうか?

 高いカメラだから良く撮れているとカメラに感心しているのか?撮影者の撮り方が良いから誉めているのか?

 これが自分の写真だった場合、諦めていた期待以上に自分が良く描写されているから自分で自分を歓んでいるのか?

 写真館で撮った写真がいまいち死んだように写っているのとこれら仲間同士で撮ったスナップに近い写真を比較すると「人物」の撮影はそれなりに非常に難しい世界である事が良く判る。

 人物を描写するというのは油絵でも写真でも結局は同じ悩みが有るような気がしてきた。特に描写された被写体がモノ言う場合は特に大変だ。