2017年9月9日土曜日

団塊世代は山岳写真展に驚愕した! I was surprised with Mountain area photo contest shows.

 今週いっぱい上野で開催されていた山岳写真展へ行ってきた。

数日前、『団塊世代はもっとプロの写真集から学ぶべきだと思う! Baby-boomer should learn more from Professional's photo-books.』という内容でアップしたら、アクセスがヤマセミの画像の日よりはるかに多くて少々戸惑ってしまった。これはヤマセミなど野鳥の画像より佐藤秀明さんのファンがそれだけ多いという事の裏返しだろうとは思うが、今日の「山岳写真の話」もそれに相通ずるものがある。
あっという間に野鳥の日を抜いてしまった『団塊世代はもっとプロの写真集から学ぶべきだと思う!』の話の日のアクセス。

 筆者は1980年以来30年近くウインドサーフィンを続けてきた為、長い期間山より遙かに海で過ごす時間が多かった。
 しかし、ファンボード系のウインドサーフィンは基本的に風速7m/s以上吹かないと楽しめないので、自分自身が現場でライディングする場合は空気が潮風で一杯の塩分過多環境であり撮影には適していなかった。
 結局、自分自身がライディングしない、マウイ島など海外での国際競技イベントなどでの写真撮影以外はあまり行っていない。

 今回初めてじっくり見た山岳写真展の作品群は、それに比べると撮影者が現場に行かないと撮影できないだけに、非常に臨場感にあふれ撮影する者としての立場でいろいろ勉強になることが多かった。山岳写真を志さない方々にも非常に有意義な写真展だろうと思った。

 実際、命がけの登山などはしない写真撮影愛好家でも、当事者意識で作品を観れば、自ずから撮影者の苦労が理解できるだろう。音譜も読めず楽器演奏など何も出来ない者が、コンサートの批評をするのとは訳がちがうはずだ。

 この山岳写真展には、いわゆるダイアモンド富士だの、東京のビル街の向こうにそびえる白い冬の富士山などの「風景の中の山」の作品は殆ど無く、撮影者自身がある程度の登山を行った結果の作品だ。

 従って、「其処へ行かねば撮れない」更には限られた気象条件・天候条件の中でシャッターチャンスをモノにした貴重さが伝わってくる。
 ご存じの通り、登山は命がけの行動だ。天候調査、地理調査、緊急対策、臨機応変のプランB、救急医療措置知識と経験、己の体力把握、GPS付ケイタイ端末、バッテリー、携行食糧、防寒・雨具などなど準備・装備が非常に重要だし、これに加えてカメラ機材を背負う体力が必須だ。

 いわゆる観光写真撮影や一般的な風景撮影とは訳がちがう。何かあれば自己責任のかたまりの様な撮影行になろう。山小屋の待遇に不満を漏らしたり、山小屋での飲料が高すぎる、ぼったくりじゃないか?等とクレームする様な最近の軽いノリの登山者には無理な世界。
 山岳写真の世界は、山の厳しさと常識を知らないような人にはとうてい入れない世界なのだと思う。

 苦労して、慎重に準備し、体力に合わせて行動ルートを決め、天候情報を集めて撮影決行を決める。それで登山したからと言って目的地が晴れるとは限らない。良い光が撮れるとは限らない。シャッターチャンスは非常に少ないのだ。
 これを考えたとき、ヤマセミの生態観察・撮影に非常に近いモノがあると思った。
 しかし山岳撮影は秒間10コマもの連写はいらないだろう。更には500~1000mmの超望遠レンズもいらないだろう。逆に防水・防滴装備の機材の方が必須なのかもしれない。撮影の場は相当異なる様だ。

 あの東日本大震災で行方不明に成ったままの我が旧友に山岳写真家がいた。その彼の山行き頻度は筆者の人𠮷行に比べて遙かに多いのに、撮影枚数は筆者のヤマセミなどに比べ遙かに少なかった。それだけシャッターチャンスは少ないのだろうと察する。

 写真展の作品を観る限り、頂上付近に行かねば撮れない作品群のグループ。登山途中で見上げる山岳美(海外での撮影はこれが多い)、雲と光の為す瞬間の美しさを捉えたグループ。更にはそれらを含めた自然環境・動植物・景色を収めたグループに分類できるような気がした。

 一人でそれぞれ全てを撮る方もいようし、頂上でのみ撮れる画像に誇りを掛けている方も居よう。勿論貴賤はないし勝ち負けもないはずだ。このあたりも野鳥撮影の愛好家にも通ずる「何か」を感じた次第。

 残念ながら、この山岳写真展は昨日で終わってしまったが、当然また来年も同じ場所で在るだろうし、ローカルのそれはこまめに開催されるだろう。可能であれば是非見に行かれることをお勧めする。


危険を伴う高山登山で、なおかつ重たい荷物を背負った上にカメラ機材も運ぶのだから、相応なフィジカルを要するだろうが、其れらしい方が少なかったのは何故だろう?



特に雪原を捉えたものは人が写っていないと何だか判らないだけに、その広さに驚かされるばかり。