2016年10月30日日曜日

「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝#21」1981年頃の30歳代若者たちの一般的価値観と常識。その3. In 1981 Baby-boomer's common values and common sense.Part3.

 当時日本のウインドサーフィン普及・レース運営・記録管理を行っていた日本ウインドサーフィン協会は、1980年以前から準備を始め、本番1年前の秋、つまり198010月に翌年秋実施の1981年ウインドサーフィン沖縄世界選手権大会プレ大会として、シミュレーションを兼ねた全日本選手権大会を本番会場の沖縄県名護市の沖縄海中公園で実施した。
日本が誇るウインドサーフィン界の英雄・石渡常原(つねもと)君。アジア大会金メダリスト。同じ湘南葉山フリートで一時期一緒だった恩人。

 海岸線から沖合までの海上で行うレースだけであれば、ヨットの普通の週末レースの様な感じで実施できるのだが、本大会の1981年ウインドサーフィン沖縄世界選手権大会は自治体やスポンサー企業、メディア・マスコミが開催に加わってくるのでそう簡単には終わらない。更には日本で初めてのウインドサーフィン競技のテレビ1時間特別番組(民放テレビ朝日系・編集事後放送)に成ったのだから、その運営規模たるや国内におけるビーチイベントとしては過去に例のない物凄いものになった。1年前現場でプレ大会を実施して大正解だった。

 歓迎パーティや表彰パーティなどの式典を含み、それなりの来賓の祝辞を頂きプレス・ミーティングなどを実施するとなると、もうウインドサーフィン関係団体の人間だけでは到底運営できるものではなかった。

 国内で12位を争う、大手広告代理店であればこの手の大型スポーツ催事はいくらでも経験が有ったろうが、銀座一丁目のホイチョイプロダクションも真っ青な、新しい若い社員で一杯の中堅広告代理店・中央宣興にはそういう経験者など只の一人もいなかった。つまりは社内の関係スタッフにとって全てが初体験!って訳だった。

 営業責任担当部署は国際局という海外資本の企業をクライアントに持つ部署で、ビジネスに英語を使う事の多い得意先相手を沢山抱えていた。化粧品関係、貴金属・ジュエリー関係、などなど。当然部員には英語の堪能な者が多く、出身校も英文科卒だったり文系が多かった。まだ女性が社会に進出する創成期だったにも拘らず、クライアントが化粧品・ジュエリーなど女性系が多かったせいか、女性部員が他の部署よりは多かったような気がする。

 男子もそれなりに個性とバイタリティに富み優れた人材が多かったが、中にはセンスは別として「俺が俺が」タイプの脂ぎった者も居たりした。その彼は英語もブルドーザー型和製英語だったようで、昼休みの話題には事欠かない人物だった。伝説系な話として1974年発行でヒットした「公文式算数の秘密」を出したKUMON(現・公文教育研究会)の広告宣伝作業・受注コンペに参加し、プレゼンテーション・本番の当日緊張したのか公文をコーモン、コーモンと何度も発音してしまい、プレゼンに落ちたというホイチョイプロダクションですら発想しない逸話が残っている。本当かどうかは確かめていないが、当時は本当の話として有名だった。
まさにホイチョイプロダクションの漫画そのものだったかもしれない。

 一方で、英語が堪能でありながら、なおかつ夕方仕事が終わった後、英語専門学校に通うような上昇志向の女性もいた。並みの男子社員など「其処をおどき!」等と蹴散らし、書類をヒラヒラさせながら肩で風を切って社内を歩くスーパーレディだった。
 勿論銀座のど真ん中だから、夕方仕事が終わった後、綺麗に着飾って「別の世界のナンバーワン」さんに成っている人が居たかもしれない。しかしお酒を飲めない筆者は残念なことにその現場に遭遇したことは一度もなかった。今からでも遅くない、そういう方の実話が在ったらぜひこっそりと教えて欲しい。其れなりのお礼は弾む所存だ。
花の銀座通り、会社から20歩で銀座中央通りだった。

 当時の中央宣興は会社の1階の出入り口を一歩出ると、そこは銀座のど真ん中!テレビの創成期、あの窓際のトットちゃん=黒柳徹子さんが出ていたNHKの「若い季節」じゃないが、銀座を舞台としたドラマのような毎日が過ぎていた。
NHKの若い季節、左から二人目が黒柳徹子さん!

 ちなみに、その1961年からNHKで放映された「若い季節」の化粧品会社はプランタン化粧品という名だった。その後デパート「プランタン銀座」が中央宣興から歩いて5分の外堀通り(旧電通通り)に出来た事を考えると不思議な気がする。何と!その「プランタン銀座」も今年2016年12月に閉店するという・・・。時代の流れの速さに驚くばかりだ。
銀座プランタン、今はユニクロなどが入って個性ゼロ!

 クリストファー・クロスの甲高い声で謳うSailingという大人っぽい曲が町に流れ、「あー音楽シーンにもウインドサーフィンの時代が来るんだな」、と思いながら中央宣興の若手社員たちはいつもの喫茶スナック・サンローズに集うのだった。彼の一番のヒット、映画「ミスター・アーサー」の主題歌Arthur's Themeは、まだ流行る1年前だった。
クリストファー・クロスのLP、靴屋のオヤジの様な風貌で良い声だった。

 銀座にある広告代理店の社員の昼休みは、毎日似た様なパターンの繰り返しだった。980円でランチタイムのみ食べられる合成肉ステーキの「イタリー亭」、ランチ握りが800円程度の喜加久寿司、蒸さずに生から炭火焼きの鰻を出す「ひょうたん屋」、八眞重登のベトナムラーメン、名鉄ニューメルサに在った小洞天のシュウマイ定食、もしくはおかゆ定食。

 少し銀座4丁目方向に歩いて洋食の煉瓦亭、天麩羅のはげ天、すき焼きのらん月、釜飯専門店の鳥屋、なども在ったが、いずれも高かったし昼時は混んでいてランチ後の喫茶タイムを取れないという理由で敬遠した。会社のビルにも大きな餃子で有名な「天龍=現在は移転」が在ったが、客扱いがぞんざいで失礼だったのと、皆が美味い旨いという割りに個人的には餃子が美味しいとは思わなかったので、自分は一度しか行っていない。自分には小洞天の餃子の方がはるかに好みだった。

 そうしてこれらのレストランでランチタイムサービスを堪能した後、仲間で良く集まっていたのが、隣のブロックに在った喫茶スナック「サンローズ」だった。此処で昼休みの残りの時間若手営業達が集まりよもやま話を繰り広げるのが常だった。
当時よく集まったスナック「サンローズ」、雰囲気はこういうお店だった。

 ある日、此処のボーイッシュなマダム(女主人で相当な遊び人上がりらしいという事で、噂だった)が呼んでるわよ!という伝言を貰った。そこで昼休みが終わって30分くらい経って皆が会社の席に戻った頃、再びサンローズに行ったらマダムの話はあろうことか映画に出ないか?という話だった。
 詳しく内容を聞いてみると、何と!それはエッチ系のAVだというではないか、一瞬「ウソだろー?」体が固まっていくのが自分で良く判った。勿論固まったというのは全身の話だ、勘違いしないでほしい