その3. 男女同権・法的平等・同等評価という事と、人間のオスとメスの根本的、生物上差異を混同してメディアには何でもかんでも男女は同じにしなければいけないという観念が存在しているのではないだろうか?と言うポイント。
今日はこの点に関して少し述べてみたい。メディアでは自称ジェンダー関連の団体関係者や評論家がいきなり雨後の筍のように今回の件で湧き出てきた。誰かが「こうだろう?」と言うと「そうだ、そうだ!」と声を上げる昔の百姓一揆のように思えて仕方がない。
今回の森喜朗氏の女性蔑視発言に関連して、「世界の男女平等ランキングで日本が121位だ、恥ずかしくないのか?」と言って、まるで自分が日本人ではない様な戒め方をするメディアもいくつかあった。 https://sustainablejapan.jp/2019/12/18/global-gender-gap-report-2020/44753
しかし、こういう報道を鵜呑みにしてはいけない。日本が世界の121位だという根拠は、WORLD ECONOMIC FORUMのInside Report と称するGLOBAL GENDER GAP REPORT 2020から得たものだ。
https://www.weforum.org/reports/gender-gap-2020-report-100-years-pay-equality
しかしこのランキング表を見てみると、イスラム教徒に限っては重婚、一夫多妻を認めているフィリピン(16位)やマレーシア(104位)インド(112位)などに加え、モルモン教徒の一部で一夫多妻を認めているアメリカ合衆国USA(54位)すべてが日本より上位にランクされている。これっておかしくないか?
アメリカ合衆国に現存する一夫多妻制を保持するモルモン教徒の一部の実例。この国が世界の54位?なのだ。一夫多妻を許すというのは男女平等なのか?、メディアはどういう頭でこういうデータを根拠にするのだろう?大きく間違っているように思う。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/1002/feature05/
一方で英国には女性入会お断りのクラブ組織がいくらでも現存する。あの80日間世界一周にチャレンジしたのも女人禁制の男性クラブだ。差別ではなく区別だから問題は無いのだと筆者は理解している。
宗教さえ違えば、重婚、一夫多妻を認めるという事はジェンダー関係者から見て男女平等に反していないのだろうか?日本のメディアは世界が自分たちをどう見ているかに非常にナーバスな日本人気質を変な方向に煽り立てたい様だ、日本のメディア・マスコミが世界から叩かれるのは、こういった点に在ると思う。
繰り返す。マスコミが根拠にしている世界ランキングのデータを筆者は詳細をまだ完全に読み込んではいないが、これだけ重婚・一夫多妻を条件付きでも認めている国が日本より上位に位置する事を疑問視もせず、無視して「ほれ、こんなに日本は男女平等じゃないんだ、反省すべきだろう?」と煽るメディアの無責任さを憂えている。日本のメディア・マスコミが世界から酷い、レベルが低すぎると言われる原因の一つだろうと思う。
外圧で物事の善悪・良し悪しを決めがちな意志の弱い日本メディア、こういった微妙な件の報道に関しては居住まいを正すべきだろう。
何を言いたいのかと言うと、男女平等・・という事の常識的概念が、日本と世界とでは随分違うという事だ。慎重な報道が必要だろう。
歴史的に今とは異なっているが日本においては、つい明治の時代まであの勝海舟や今年のNHK大河ドラマの渋沢栄一も最期まで第二婦人・お妾さんを囲っていたという事だ。この件に関してはその国の文化・習慣と宗教的見地が大きく関わっている。だから一概にヨーロッパ型、イスラム国側どれが正しいとは言えない。
一方日本の高校の男子校は男女共学になって相当数減少(107校)しているが、男子禁制の女子校はいくらでもある(299校)その数約3倍だ。何でもかんでも男女平等を叫ぶ者はこれをどう説明するのだ?
まとめよう。
筆者は思う、男女の法的、権利的立ち位置は間違いなく平等だ。自分の人生において差別をしたことは一度もないし今後もしない。個人的な異性の好き嫌いはあくまで別だが・・・。
しかし、人間も動物のオスとメスと言う二つの種が存在する意味からいえばその「差」は相当大きいと思っている。此処で間違えないで欲しい、「差」と言うのは決して優劣、上下など「差別」の事ではなく生物学上の質の違いの事だ。生物学上女性は子供を産む作業に十月十日掛かるというが、男性は直接的に数分しか関わらない。体系も違う。月経の有る無し含めて同じでは無いのだ。こういった生物学上の差=違いがあるからこそ男は女に惹かれ、女も男に惹かれるものと思っている。
こういった自然界の真理は10年以上ヤマセミを筆頭に野鳥や自然界の動物を観察・撮影・調査して来て間違いのない確信を得ている。自然界の殆んどの動物にはオスとメスが居て成り立っている。野鳥においては「オシドリ夫婦」のいわれとは真逆で、毎年違う相手とつがいになり、繁殖する相手を変えるオシドリのような場合もあれば、生きている限り同じ相手と繁殖を繰り返すヤマセミのような種も居る。
野鳥には宗教や法律はない。本能的なモノだけで生きている。人間だけが本能を自分たちの作ったルールで変えて生きているのだ。
最近TVメディアによく出て来る男だか女だか判らない物体や性的同性愛(精神的なケースは除く)は余程稀有なケースを除いて自然界には存在しない。人類には文明の発達に伴って急激に増えてきている様だが、筆者はこちらの生活の邪魔をしない限り差別はしないし、意地悪もしない。存在は認めるが関わりたくはない。一緒に食事はしたくないし行動もしたくない、それは自由だろう?
個人的にはこの手は生理的に大嫌いだ。好き嫌いは個人の感情で味覚や臭覚と同じだ。メチャクチャ不味い飯をにこやかな顔で「美味しい!」と言うようなことは絶対にしたくない。それを「差別している!」と言うのは大間違いだ。心の中でどう感じ、どう思うかまで個人の内面まで干渉されたく無い。
ミミズのような雌雄同体の種は別だ。人間の場合でも外観的混乱種は銭湯や温泉、トイレをどうするのだろう?圧倒的通常種、男性・女性がはっきりとしている人間社会でこういった外観的混乱種を必要以上に持ち上げ優遇するのはおかしいと思っている。
こういった生物学的な差異を無視して何が何でも、男女平等を強く言うならトイレも風呂も何もかも同じにしなければいけないだろう?自分たちに都合の良い場合、良い所だけ女性の権利をこぶしを上げて主張するのはどうかと思う。
アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ共著の名著「話を聞かない男、地図が読めない女」を読んで男女の脳・体の差を充分に理解した上で「男女平等」を考えて欲しいと思う次第。生物学的に男と女は全然違うものなのだ。繰り返すが、違いがあるから男は女に惹かれ、女も男に惹かれるものと思っている。
最後に筆者は親が子供を教育する意味での「体罰・けん責」は否定しない。それを虐待・暴力と表現するのは勝手だが、それを規制・罰することで人間という種がどんどん劣化している事も憂いている。これもヤマセミを筆頭に野鳥や自然界の動物を観察・撮影・調査して来て間違いのない確信を得ている。今の人類は自然界の動物以下と言って良い。このスピードは不確実なデータに基づく「地球温暖化」よりもはるかに速いと実感している。この件はまた別の機会に・・・。
森喜朗騒動、続く。