1980年の秋、沖縄の名護に在る沖縄海中公園(今のブセナ・マリーンパーク)で第7回全日本ウインドサーフィン選手権大会が行われた。今湘南エリアでウインドサーフィン関連のスクールやお店を経営、あるいはマリンスポーツ界を背負って立っている主だったメンバーは殆どがこの大会に出場し上位の成績を収め、表彰式の壇上に立った人間達だ。このメンバーたちが日本のウインドサーフィン界を立ち上げ今まで引っ張ってきたと言っても過言ではない。今日の画像はそういった日本のウインドサーフィンが一大ブームに成るきっかけとなった1980年沖縄全日本と1981年の世界選手権大会沖縄のイベント時にまつわる貴重な画像を紹介する。
The 7th All Japan Windsurfer Championships in Okinawa.
第7回全日本ウインドサーファー選手権大会の表彰式。当時は拓殖大学のウインドサーフィン部(体育会)が圧倒的に強く、現在の日本のビーチマリンスポーツ関連をリードするメンバーのほとんどがこの画面に写っている。マイクの前に建つのは故石渡常原(つねもと)アジア大会ウインドサーフィンクラスの金メダリスト。早逝したが湘南葉山において彼が残した影響は非常に大きく、その人柄とウインドサーフィン及び葉山の海に対するストイックな生き方は、温厚な兄の祥元(よしもと)と共に幾つかの伝説を今に残している。
My first windsurfing ride, I learned it in 30 minutes coaches by staff of this events.
自分でもこの大会中30分間スタッフに教わって初めてウインドサーフィンに乗れるようになった。風は微風でリーフの中は波も無く最高のレッスン条件だったのが幸いした。自分でも乗れるという事がこの先ウインドサーフィンの裏方として25年近く関わるキッカケにもなった。今から33年前の事。
Matt Schweitzer and Peter Cabrinha show kick jump by windsurfing for Press people.This was the first moment to see real windsurfing jump in Japan.
翌年、世界選手権大会が行われたことは数回前のこのブログで紹介したとおりだが、マット・シュワイツアーとピーター・カブリナが持ち込んでプレスの前で見せた台風の余波の中でのキックジャンプは大きな衝撃を与えた。スタッフの一人がビデオで撮影したこれらのシーン(色の調整が滅茶苦茶で緑色の画像だったが)を大会関係者たちは大会本部で何度も繰り返し見て時代は変わる瞬間を共有した。
After huge typhoon pass away, strong wind was remaining. It was best condition for competitors.
大きな台風が通過した後まだ残った強風の中選手たちは最高の条件の中で終日台風セイリングを楽しんだ。その中でマットやピーターのジャンピングはハワイ以外から参加した選手たちの注目の的だった。