2023年7月23日日曜日

団塊世代は今朝のNHK「日曜討論」に少し違和感を感じた。 The baby boomer generation felt a little uncomfortable with NHK's "Sunday debate" this morning.

  毎週日曜日の朝9時はNHK総合TVの「日曜討論」を観ている。よほど興味がなかったりご縁がない内容の場合はパスするが・・。

 今日のは防災に関する話だし、Facebookでも繋がりこの4月3年ぶりに訪れた人吉でも表敬訪問し、人吉の防災に関しての談義を行ったばかりの松岡市長さんが出演と聞いて、関係者に情報を発信・拡散し、録画もしてテレビ画面を注視した。

 この手の番組に出る自治体の首長としては大変活舌も良く、判り易い姿勢は非常に好感を持てて「さすが!」という感じだった。人吉市民は誇りにして良いのではないだろうか?


ある程度事前にしゃべる内容は決まっているのだろうけれど・・。

司会者より活舌が良いのは相当練習されたのかとも思った。

 番組としては、すでに誰もが思っていることの総花的内容だったが全国放送としてはこれ以上突っ込めないのだろうと思った。
 しかし、近年の豪雨災害その他をすべて人類の行動が原因の「地球温暖化」のせいにするのはいささか無理があると思った。

 その確固たる納得のできる温暖化による証拠は未だにデータ化されていないことを考えた時、何でもかんでも都合の悪いことが起きると科学者たちが「地球温暖化のせい・・」とブラックボックスに放り込んでその場をまとめてしまうのは気になる。

 第一ゲストで出演している松岡市長の人吉市は東京大学大学准教授の言う地球温暖化に関係なく、大昔から幾度も大洪水に見舞われているではないか?

 今日の討論の中でも「線状降水帯予測・予知・通達・避難行動」と各段階の重要性を出演者たちが述べていたが、実際人吉市の現場では何が行われていたか?いるか?

 具体的な例を、2020年7月4日の球磨川流域豪雨災害の場合で検証してみよう。

 2020年7月4日の球磨川豪雨災害で浸水した人吉市中心部のウオーターハザードマップはどうなっていたか?
人吉市の防災サイトから 不許複製・再利用不可

 筆者の恩人で、人吉市において医院を開設し、長いこと人吉の名医と慕われていた辻正彦医師が2019年の11月に老朽化のため医院を建て替えた。

オープン時には花を送ってお祝いした。

 しかし、建て替えて8か月後、あの球磨川豪雨災害に遭い屋根まで水没してしまった。長い間保存されてきた患者さんのカルテ類も使用不可になり、結果辻先生は医院を閉じざるを得なかった。まことにお気の毒で声も出ない。

 しかし、もともとこの場所はウオーターハザードでいえば最大時3~5mの水深になる場所だ。そうして2020年7月4日、一時的とはいえ現実的に水深3~4mになったのだ。ウオーターハザードの地図は決して嘘ではないのだ、現実を示しているのだ。

 新しい辻医院の建設業者、それを許可する人吉市の関連部署は一体何をしていたのだ?悔しくてしょうがない。ウォーターハザードマップなど遵守などしていないのだから、あっても意味がなかったのだろう?

 人吉市中心部の災害は球磨川にそそぐ支流が氾濫したバックウォーターによるもので、大きなコンクリ製の都市部で起きる「内水氾濫」とは違うことを皆さんご存じだろう?人吉市のお住いのすべての官民合わせて数万人、良く知っているはずだ。

 過去の球磨川の水害記録・写真・メディア報道を見ればそこの住民でなくとも判る。

 施主が「ここへこういう建造物を建てたい!」と希望した場合、なぜ関係者なり行政は「この場所はウオーターハザードマップで3~5mの危険地区だから平屋1階建て建造物は建てられません・・。」と言わなかったのだ?注意しなかったのだ、許可したのだ?

 建築業者も行政自身もウォーターハザードマップを守っていないという証ではないのか?
 少なくとも最大水深の上に2階なり3階があれば、水が引いた後、再開できたのではないだろうか?

 建設業者並びに人吉市の建築許可管理部署に責任は一切ないのだろうか?

 筆者思うに人吉市の場合は情緒的な「小京都的佇まい」などを復元するより、水害に強い防災都市化を図る方がはるかに先で重要ではないのか?

 心の底では穴あきダムや川底掘削、堤防強化などでは完全な「治水」など出来ないことが分かっているはずだ。球磨川流域の自然・地勢環境を相手に人間が「治水」などという事を出来得ると本気で思っているのだろうか。

 嫌なこと、また起こりうる最悪な事は考えないようにして、とりあえず「目先の安心・意気込み」を得られるような事象に美辞麗句を並べてもしょうがないように筆者は思うのだが・・・。

 3.11東日本大震災後の津波被害を受けた各エリア同様に、最低でもウォーターハザード最大値の上に1階分がない建築設計は今後許可しない・・くらいの徹底をしてこそ、初めて事前危機予知・避難対策が生きてくるように思うが如何だろう?

 あの大洪水を繰り返す東北の最上川の流域の住宅を見ただろうか?調査に行っただろうか?多くの新築住宅は床をかさ上げして水が出た際、上の階へ、屋根へ上れるように各家庭に舟やゴムボートを用意しているのだ。

 線状降水帯の予測・告知・避難指示・避難受け入れ対処はもちろん重要だ。筆者も昭和の時代(高校生の頃)に八代市での水害(床上浸水)を二度ほど体験している。
 もともと100年以上前から水害の多い球磨川流域。今住んでいる場所や建物ははそのままで「予知・避難」だけでは防災対策とは言えないのではないだろうか?

 人吉市では災害復興のシンボルとしてやはりウォーターハザード3~5mの地域にしゃれたカフェ(2階建て実質平屋建て)をオープンさせ地元新聞が「復興ののろし」と報道したが、これで良いのか?
 復興だ!と祝いはしゃぐ前に、洪水災害を受けて破壊されたウォーターハザード3~5mの地に、再び2階建てのカフェを平気で造るのはどうなんだろう?という防災面からの注意喚起が地元メディアの役割ではないのだろうか?

あの大雨がまた来たら、同じ悲劇が繰り返されるだけではないだろうか?

 今年、来年2020年7月と同じような豪雨災害が起きた際、もちろんこのカフェは全没するだろう。今朝の日曜討論を見て、防災対策・心構えに何か大切で根本的なものがスッポリ抜けているような気がして仕方がない。

 今朝の熊本の新聞にこういう記事が載っていたとメールでクリッピングを頂いた。災害に遭った方の集合住宅を5階建てにして市の中心部(水害に遭った場所)に建設をするという。1階は人が住む為のものではなく、再度水が出て水没しても良いような構造だという。これでこそ知恵だろう?
 新聞も前向きに復興を後押しすべきで、揉める住民エゴやごく一部の不満分子に火をつけるべきではないと思う。「ぬぐえぬ不振」などと問題報道する前に、今目の前にある危機を早急に解決する行政の努力を押す報道がなぜできない?新聞報道こそ「拭えぬ不振」の塊ではないのか?これではメディアが人吉市の復興の足を引っ張っているとしか思えない。

  しかも「なぜ浸水地に」などよく言えると思う。市の中心部がほとんど浸水地なのを知っていて良くも言えると思う。被災した住民全員を敵に回す気か?

 しかし地元の住民エゴで、これに難癖を付け反対する者がいるという。「自分のメリットが阻害されるから、どこか他へ建ててほしい。」
 なんという協調性のない人間たちなのだ?筆者は人吉市の行政の行う復興スタイルは決して間違っていないと思う。ぜひ押し切ってほしい。命の問題だもの。

 水害に遭って住む所を追われた被災者の気持ちを理解できないような住民は、球磨川流域に住む人間の「基本の心」を持っていないのだろう。人吉市に住む資格はない。

 大体においてこの新聞は地元メディアのくせに、この状況を見て一つも解決策を提案せず「問題だ、問題だ、騒ぎだ騒ぎだ!」とはやし立てるのは良くない。

 冷たい、厳しい物言いかも知れないが、ヤマセミの生態観察で通算300日以上滞在している人吉市だもの、友人知人が30名以上生活している。決っして他人ごとではないので厳しい指摘はお許し願いたい。