2019年4月20日土曜日

団塊世代は東大入学式の祝辞とスタンフォード大学の卒業祝辞と比べてみた。 If Baby-boomer compare the congratulatory of Tokyo University entrance ceremony with the graduation congratulatory of Stanford University.

 元京大全共闘員だった上野千鶴子(=東大名誉教授)女史の東大入学式祝辞を誉めそやす声が大きいので、地球上の人類の生活を変えたアップル創始者スティーブ・ジョブスのスタンフォード大学の卒業式祝辞をじっくりと読み比べてみた。
上野千鶴子女史とアップル創始者・故スティーブ・ジョブス氏

 数日前、主にTVメディアが取り上げた今年の東京大学の入学式祝辞の上野千鶴子女史が素晴らしいとあちこちのTVワイドショーで話題に成って居たのを思い出し、全文を3回読んでみた。筆者は昔から読解力が弱い事を自覚しているので、丁寧に読んでみた。

 最初は、多くの世の中の女性は喝さいしただろう、あまりこういった内容は聴いた事がない祝辞なのでユニークだと思った。二度目に読んだ際は、言う事は判るが希望に燃えて大きな達成感、充実感と共に入学した東大新入生たちに、新たな決意を起こさせるに足る祝辞に成っているだろうか?と疑問が湧いた。
 
 で、3回目に読んだ際は少し怒りを覚えた。この演説ってはたしてこの場で言う事だろうか?聴く相手の事など考えずに、自分が今まで言いたくても生で言えなかったことをメディアやそれなりの権威のいる前で吐露しただけなのではないだろうか?と感じた。

 女史は言う、東大のサークルで他大学の女性と差別をされた、女性が入れないサークルが在る、差別だ!しかし多くの大学で女性しか入れないサークルは幾らでもある。もっと大きな話として2008年以降日本において男子しか入れない大学は一校も存在しないのに、女子しか入れない女子大は一体何校あるというのだ?

 自分が入れなかったり差別されたサークルの話にしても、上野女史は何故その時点その場で闘って事態を変えなかったのだ?大学時代ヘルメットを被りバリケードを造って闘ったくせに。それを大学の入学式の壇上から嫌でも聴かねばならない相手に対して祝辞として訴えるのは卑怯ではないのか?
 どこか、数年前まで世界のメディアを賑わせたISILイスラム過激派のビデオ・メッセージに似た、人質を取って置いての演説に近い嫌悪感まで感じてしまった。

 上野千鶴子という人は今まで全然知らなかったが、色々彼女について書かれた履歴や出版物を観ると、それなりの人物像が浮かんで来た。筆者と同じ1948年7月生まれの団塊世代だ。京都大学を出て浪人か1年落第して世に出ている。京大在学中はヘルメットを被って全共闘に属し、国民の税金で建設した公共物を壊して造ったバリケードの中で反権力だ!革命だ!反体制だ!と一般学生の授業を粉砕し迷惑をかけまくった人間だ。
 この事は当時の大学生数の95%以上を占める一般学生の当事者として、その現場に立たなければ判らない事だ。

 しかし、それがいつの間にか京大ではなく東大の教授になり、すっかり体制側、権威側の構成員に成って壇上から上から目線で祝辞というか諫め演説をしている矛盾だらけの人生を送った人間だ。

 筆者も中核派の拠点、横浜国大在学中散々授業を妨害されたので、ヘルメットを被って好き勝手をやった連中に対しては今でも恨みを感じている。挙句の果てにその連中が卒業後、権威・体制側に入って当時の主張・言動とまるで逆の立場に平気で居る事に非常にムカついている。

 同時に、ヤマセミ中心に自然界の動物の生態を研究して10年余、人間も動物の一種である事を考えた時、ジェンダーに関する意見は女史とは全然違う。動物学的区別・生存競争上の本能と人間社会でしかありえない差別を混同している部分があり過ぎるので、此処ではそのジャンルに関しては論じない。
 
 2005年、米国スタンフォード大学の卒業式でアップルの創設者スティーブ・ジョブスが祝辞を述べた。
 筆者は当時もその後も折に付け幾度も全文を読んだ。多くのその評価論評も読んだ。今回、上野女史の件もあって再び数回読み直してみて、その内容の濃さ、質の高さ、学生たちに対する「先輩としての具体的な事象を上げ・対処するアドバイス」に感動した。

 現実に在る人や物事を攻撃・非難・否定せず、それらを認めつつ先を視て読んで努力する姿勢は、卒業する学生たちには勿論一般人へも大きな勇気と豊かな心を与えたと高い評価を呼んだ。
こうあるべき、あ~しなければ・・と今までの社会体制や、それまでの文化文明をただ外野から非難し、叩いて自己主張するだけが売りの上野女史とは雲泥の差、比べ物にならない。
 具体的な行動とスピーチで人々にアドバイスを行うスティーブ・ジョブス氏と、自ら現場で戦い改革をするような行動は取らず、遠くから「言いつけ」のような非難・攻撃を本をやたら出版することなどで行う上野女史との差にため息が出てしまった。

 此れから希望を持って勉学・研究に励もうとする若者を脅かしてどうする?
 自分が感じた「達成できなかった悔しさ、正当に評価されなかった恨み」を上から目線で訴えてどうする?自分が感じた「悔しさ」を他人も感じると思わない方が良い、他人はもっと大きい人間かも知れないし、打たれ強いかもしれないのだから・・・。

 今まで、誰も出来なかった事を行ったという勇気だけは認めようと思うが、VAN時代の恩師で我が社長だった石津謙介師の言うT.P.O.「時・場所・状況(場合)」をまるで読めない祝辞演説には筆者個人的に考えて8点くらいの評価しか出来ない、勿論100点満点でだ。当時の大学の成績評価で言えば「不可」だろう。