2019年4月13日土曜日

団塊世代の70歳話、続編 70 years old story of baby boom generation again.

 桜も満開になって花見客で桜の名所が賑わった4月7日(日)、このブログでご紹介した週末特集「団塊世代も70歳を超えると人間関係はなかなか難しい。」への反応が大きくて驚いている。今回ばかりは2~3通のEメールを頂いて・・・といういつものレベルの話ではなかった。
  これはGoogle Analyst Dataを見ての話だ。いきなりその4月7日のブログが他の野鳥投稿の日のページビューを押さえてアクセス・ベスト10のトップに成っている。このGoogleのブログ管理データは時々予想もつかない正直な数字を打ち出してくれる。
これは今日4月10日朝8時頃のアナリストデータ。毎日午前9時を持ってGoogleのブログ管理データのカウントがゼロに戻る。

数日後のPV(ページビュー)ベスト10データ。これはどの日の内容にページビューが多いかのデータで一日ごとではなく数日分の合計。

 自分なりに最近のページビューをグラフ化してみたら250~400/日の間を推移していた。ここ1年間の平均より最近は50件ほど多くなっている。

 Twitter(=フォロワー1480名)、Facebook(= 友達80名・常時80名以上に成らないように調整している)におけるブログ更新告知が功を奏しているのか?正確には判らない。

 一方で世界からのアクセスが異様に多いのも、このブログの特徴かもしれない。たった一行タイトルに英訳(自動翻訳英語なのだが)を載せただけでこういった効果が出たのであれば、これまた面白い。

 猛禽類を掲載する日が続くと、Aのデータの様にいきなりロシアからのアクセスが増える事がある。日本国内よりはるかに多くて一体何処の国の野鳥ブログかと驚かされる。
 また別の日にはBのデータの様に米国とドイツからのPVアクセス合計が日本国内より多かったりする。これは普通なのだろうか?

 ここ数週間前はCのように日本国内と米国のPVアクセスが拮抗したりして面白かった。桜と野鳥の画像が影響しているのだろうか?

 このブログは5年前に始めたヤマセミという非常に特殊な野鳥中心に、本来殆ど毎日が野鳥の画像がメイン。それもコンテストや展覧会に出すような芸術性のある画像ではなく、野鳥の生態(=何かをしている時)の瞬間を撮った画像中心のブログで、ピンボケ・露出ミス山盛りの画像中心なのだ。 

 それが週末の休みの日にはGoogleアナリストデータを精査すると、ページビューが普段の平日の半分程度になる事を知った。そうして休日が雨の場合はアクセスが逆に増えるのをみて色々考えた。
 これは読者の皆さん自身も土日はフィールドに出てバードウォッチングや撮影に勤しみ、当ブログなどを観る時間が無いのだろうと推察した。
 そこで週末だけは筆者のような団塊世代に関する愚痴など四方山話を更新する事にしたのだ。このプロセスは今までも幾度もこのブログでご紹介した通り。要は野鳥好きの、あるいは写真撮影好きの団塊世代の方々が読者の中心層だという仮説の上での判断だ。

 前置き話が長くなったが、要は本来野鳥ブログに団塊世代の爺の愚痴こぼし話や、ちょっと重たい同期生・友人の悩ましき話を紹介しただけで急にアクセスが増えるって何故?この稀有な現象を証拠データを並べて如何に異様だったか述べたいのだ。

 ついでに団塊世代が70歳にならんとする頃に色々出て来る問題・トラブルを、人間関係中心にもう少し突っ込んでみたいと思ったのだ。頂いたEメールなどから似たような話の引用や、ご意見・ヒントを加えて話を広げてみたい。

 4月7日のブログではコミュニケーション・ツールつまり情報端末の機能・種類の差、コミュニケート頻度の差が人間関係を終わりにしてしまった例をご紹介した。今回はさらに踏み込んで情報端末を駆使する・しないだけではなく、人間個人の資質の差が人間関係を終わらせてしまう例も紹介してみたい。これは筆者自身にも過去において有った事。

 70歳になるまで人はそれぞれ色々な社会環境の中で育ち生きてきているので、「常識・価値観・評価基準」がそれぞれ個人々で随分違う。
 しかしこれを団体生活やチームスポーツ経験、プロジェクトチームでのビジネス経験があり「世の中は十人十色、中には変な奴も居るのだ」と理解し判っている人と、そうではなく個人作業や団体スポーツ未経験で、「他人も大体自分と同じだろう、同じはずだ。」・・と、あまり個人差を理解していない人との間では、歳を取ってからの言動に大きな違いが出来てしまう事実が存在する。

 この差異は、若い頃チームスポーツの試合などで失敗し、メンバーに迷惑を掛けたり、試合に負ける原因になってしまい「皆に申し訳ない」という苦い経験が沢山ある人と、全くそういう経験がない人が対面で物事を論ずる時に大きな違いとなって出て来るものだ。

 仕事やスポーツに関わらず組織活動経験者は、概ね会議や討論の場での実体験も豊富だ。トラブルに成ったり相手が怒ってしまったりした場合「その場を何とか穏便に済ませ、良い方向へ持って行くにはどうしたら良いか、いくつかの方策を先を読んで一生懸命考える」・・・という癖がある。いわゆるプランA、プランBなど複数の対処策をその場で発想・努力するのだ。

 しかし、チームスポーツやチームプロジェクトで物事を勧めた経験が豊富ではない人は「自分の行動が周りにどのような影響、時には迷惑を与えてしまうか」に気が付かない、あるいは判らない場合が多い。

 例えばサッカーで言えば、ボールを持っているミッドフィールダーが敵に囲まれて何処へパスやクロスを出せば良いか窮している場合、フォワードとして自分はどういう動きをすればボールを出しやすいかいくつか考え、手を上げながら横方向へ走る・・・という事だろうか。

 経験値からチームメンバーの為に自分が出来る事をまず考えるが、チーム活動に関しての経験不足者はこれが出来ない。もっともポジション取り(会議・討論の「場」での他人と自分の役割)からして自分の立ち位置を理解していない場合も多いのだが・・・。

 つまり物事の展開の先を読めないというか、先を読んでの今の行動言動を行えないというケースが多いと感じている。これはあくまで筆者自身の今までの経験値からの考えなので私感だ。 この項続く。