2019年4月14日日曜日

人間70歳に成ると誰しも頑固で感情の起伏が激しくなるのか? When we reach the age of 70, not everyone is as stubborn and emotional.

 昔から良く言われる事に「おー、君も歳とって丸くなったねぇ!」とか「昔はヤンチャだったけれど、良い歳の取り方が出来たね?」など人も70歳・古希を迎えれば、それなりに大人になっただろうと人から言われたりする。

 ところがどっこい、そうは問屋が卸さないのだ。丸くなったはず、良い歳の取り方をしたはずの70歳前後の団塊世代が、実は決してそんなに丸くなった人ばかりではない・・。今日はそういうお話。

 「ねぇーねぇー岡村ぁ!丸くなっていないって、具体的にどういう事?
五歳のチコちゃんにちょっと訊いてみよう・・・」という感じにブログを進めてみたい。

 それはずばり超感情的に成るって事。自分の感情を抑える事が出来なくなる人が一杯増えるって事なのだ。つい最近のニュースを見ただろうか?4月1日に始まったNHK総合TV朝の連ドラ(=連続テレビ小説とも言う)「なつぞら」を観て涙が止まらない団塊世代が続出して話題になっているというのだ。
戦争直後、帯広の闇市に出てきた柴田泰樹(爺ちゃん)と奥原なつ。


この子役の名演技もあるが、草刈正雄と自分を重ねる高齢者が多いのだという。

 この記事を見て、慌てて週末土曜日に前の週の6日分を一気に放送するBSプレミアムから録画し、どんなものなのか観てみた。実は筆者、NHK朝の連ドラって2001年前半の「ちゅらさん」しか、きちんと観た事無いのだ。
 それも主人公の国仲涼子が可愛くて見たのではなく、おばあ(故・平良とみ)と恵尚(=ガレージセールのゴリ)のコテコテの沖縄弁を聴きたくて観ていたのだ。

 話がまた脱線したので此処で止めよう。要は「なつぞら」で幼気(いたいけ)な奥原なつ(広瀬すず・幼少時代の役は粟野咲莉)の仕草と草刈正雄の演技に涙したというネット投稿が数多く飛び交い、現在あの「おしん」以来の大フィーバーに成りつつあるというのだ。

 話は戻って、

 人間が丸くなったという事は、そう簡単に自分の感情を表に出したりせず、何か衝撃的な事があったとしても直ぐに動じて感情的な行動に走ったりしなくなることを言うのだが、実際70歳前後になった団塊世代はそうでもない人が多い様だ。

 大手広告代理店25年間+その前の広告代理店5年間の経験から言うと、確かに、年配者に成ると共に自分を含めた人間は「切れる、叫ぶ、怒鳴る、」と言った言動が減るのを見ている。ただ一方でアフター5で仕事が終わり「アルコール」が入った途端、人が変わるケースも数多く目の当たりにしてきた。

 25年間勤めた大手広告代理店の本社は神田だったが、筆者の仕事場オフィスは1984年当時東京駅丸の内に在った。この半地下に在ったレストランで仕事の後、最初のビールを一口飲んでジョッキをテーブルにドンと置いた途端、普段品行方正で物静かな「良いオジサン社員」がいきなり目つきが変わって「オマエラなぁー!」と豹変したのを覚えている。酒を飲む事で本来の「本性」の状態にスイッチが入ってしまうのだろう。
怖いモノを観た。

 一方で団塊世代はひと昔の世代と異なって、お酒を飲まない者が増えている。「昭和30年代森繁の社長シリーズの映画」の様に社内の宴会で無理やり飲まされたり、飲まないと仲間外れにされた時代とは違い、仕事関係の宴会も激減し、個人の自由が尊重される様になった為だろうか。
 したがって、酒の勢いを借りたりせずに、日常から生のままの己を自由にさらけ出すようになったのだろう。それが逆に普段から「押さえない、我慢しない」70歳前後の高齢者を数多く生み出したのかもしれない。加齢による怖いもんなしの自信過剰に「頑固」「意固地」「我が儘」が加わってシルバーモンスター化しているのかも?

 確かに歳を重ねると涙腺は緩くなる。ちょっと感動したり腹を立てると直ぐに泣く。これは性別に関係ない様だ。特に男は長い事、悪ぶって隠し続けて来た「純情・真面目」が一気に表に出るのだろうか。少し昔、白い仔犬のクーちゃんに涙するサラリーマンのコマーシャルが話題になった通り、人知れぬところで涙腺が崩壊する様だ。
 涙腺の方は人前で勝手に崩壊しても、直接相手に迷惑はかけまい。しかし、突然切れたり、怒鳴ったりする「怒り」の方はそう簡単に行かない。怒りながら涙腺が崩壊した場合は別だ。もう手が付けられなくなる。

 最近はメディア・マスコミも何かあると、その先の影響などまるで考えもせず針小棒大に報道するので、無責任な状態で情報が拡散してしまう。その結果、内容・実状をきちんと把握しないままの報道内容を鵜呑みにして、当事者に対しSNSで攻撃をする人間達が急増している。

 70歳の古希同士がこういう状態になると、すさまじい事に発展したりするから怖い。
相手が何かで腹を立ててしまった場合、怒られた相手は「何でこいつに俺が怒られなきゃいけないんだ?こっちは何も悪くないのにバカヤロー。」と逆切れし、その先の結果がどうなるかの予測も出来ず、売り言葉に買い言葉になって全面戦争になるケースが多いと聞く。
 相手が怒ってしまったら、もう感情的にスイッチが入ってしまっているのだから、とりあえず真っ先に何とか納める方法を考えなければいけない。もしくは自然に噴火が収まるまで退避するかして、ほとぼりが冷めるのを待たねばならない。
 しかし、深く考えない人間は理由が判らず、怒られた事にムカついて、反射神経的についつい逆切れしてしまう。
 相手が怒ってしまった時の鉄則は、どちらが良い悪い・正しい正しくないは別として、その原因は間違いなく自分側の言動に在るのだから、冷静に成るまで、その場は不本意でもとにかく謝って落ち着かせることだ。謝るという事と非を認めるという事は実は別なのだが、これを理解できていない人間が多すぎる。
 
 それを認めたくないのか「自分は決して悪くない!」と反省をせず怒る相手が悪いと決めつけ「何でオイラがそんなに怒られなきゃいけないんだ!」と食って掛かったら、もう二人の関係は破綻するに決まっている。
 高齢者のケンカのパターンの殆どがこれだ。こうして気が付いて我に返ってみれば、大切な伴侶やパートナー、数少ない親友をなくしてしまう高齢者の何と多い事か。こうして高齢者は大切な人に呆れられ、「もういいや、説得して納得させるのは無理だし面倒くさい」と断絶されて孤独になっていくのだそうだ。


 70歳と言えば皆残りは少ない。この先、残りの人生で本当に必要な大切な人は誰なのか?その人とうまくやって行くにはどうしたら良いか、一人ひとり考えなければいけないのだろうと思う次第。一歩下がって自分を押さえ、相手を尊敬し、上手くパスのやり取りをしていくような努力が必要だと思うが如何だろう?