2016年4月16日土曜日

団塊世代が考える観光活性化「八代市の場合・その7」

 一昨日起きた「2016年熊本地震」では多くの犠牲者が出てしまい、怪我をされたり生活環境を奪われた方も多数出てしまった。ほんの少しの間だったが同じ熊本県八代市で小中高生時代を送った者としては今も友達が多く、他人事とはとても思えない。一日も早く余震が収まり、安心できる環境に戻って欲しいと思うばかりだ。

 東京に居ても、非常に奇遇な一晩だった。一昨日4月14日(木)20時58分武蔵野の自宅のデスクで熊本の友へパソコンメールを打っている時だった、ドン!と突き上げるような衝撃に続き少し揺れた。東京直下型震度2の地震だった。震源地は東京23区の真下。

 しばらくしてNHKニュース9が始まりその地震が画面の上の部分に出た直後だった。いきなりそのニュース9の画面に久しぶりにキーン・キーン・キーンという刺激的な警戒音と共に緊急地震警報が出た。最初に飛び込んできた文字が「熊本」だった。アナウンサーの「熊本地方!」の声と共に思わず席を立った。
最初の余震を知らせる緊急警報。

 たった今メールを打っているこちらが震度2で少し慌てたのに、打つ先が今度震度7だという。いったいどういう事だ?こんな偶然はそうしょっちゅう有る事ではない。

 そのテレビの画面では見慣れた熊本の夜景がめちゃくちゃ揺れてグルグル景色が回り、ライブカメラが軸を中心に回ってしまっていることを表していた。最後の方で熊本城の天守閣が土埃を上げながら逆光に浮かび出て姿を見て、その瞬間「屋根瓦が揺れて落ちているのだな?」と直感した。3.11東日本大震災の時の昼間の画像と同じだった。しかし今日になって400年前に造られた木造の宇土櫓がちゃんと壊れず鯱も乗っているのを見て感動してしまった!震度7に堪えて立っている!

この土煙で瓦が落ちていると直感した。

朝になって無残な熊本城の天守閣の画像が放送された、鯱が無い!

 熊本の益城町震度7、自分が育った八代市は震度5強、これだけで直感的に高校時代地理や地学で習った中央構造線が動いたな?と思った。

 関東に比べれば比較的地震の少ない熊本県で、此処半年前辺りから県北の菊池市辺りで震度1~2の地震が多発していたのが気になっていた。これは日本野鳥の会熊本県支部のメンバー専用のメーリングリストに、毎日野鳥情報、大気汚染情報、地震情報を投稿してくださる地球環境と生物全般に詳しいベテラン・メンバーのお陰で知ることが出来ていたのだ。

 これらの群発性地震と今回大地震と震源は同じ地下10~11kmだったので間違いなく関係があったと思われる。詳しい事は専門でないので省くが、地元の布田川断層・日奈久断層という活断層は本州中部のフォッサマグナ辺りから続く中央構造線の延長部。
赤い横長のラインが中央構造線 Google画像より

 もちろんあの3.11の時と同じで直後は暫く携帯電話も固定電話も通じなかった。熊本の知り合い約30名にBCCでお見舞いメールを打ち、深夜遅くまでテレビにかじりついたのは当然の事だった。その後は寝床に昔のトランジスターラジオを持ち込んで朝までつけっぱなしで状況を聴き続けた。

一日も早い復帰を願うばかりだ。

 どんなに観光活性化を図っても、新幹線は止まる、在来線も止まる、高速は九州道も南九州道も通行止め!これでは球磨川沿いの一般国道ががけ崩れで寸断されれば、人吉など陸の孤島になってしまう。

 現代人は在来線の鈍行より新幹線、長距離バスよりレンタカー。どんどん目的地までのアクセスが良くなり時間短縮で、旅の形や醍醐味はすっかり昭和の時代とは違うモノになってしまった。あの1970年から始まったディスカバーJAPANは一体どこへ行ってしまったのだろう?
当時の国鉄が米国のDiscover Americaを真似て始めた大プロジェクト。

 メルヘンチックなワンピースを着た美女たちが籐で出来た旅行鞄を下げて、古めかしい駅舎をバックに並んで思い思いのポーズで記念撮影。窓を開けて短い停車時間で駅弁売りから芸術的やり取りで駅弁を買う醍醐味は一体何処へ行ったのだろう?

 九州新幹線が出来るというので、熊本県一の工業都市・八代市商政観光課は考えた。この九州新幹線が開通することで、一体八代市には観光客が来るようになるだろうか?それとも八代市の人間がどんどん外へ出ていくのに便利になるだけだろうか?

 今日の熊日タイアップシリーズ第7弾の話は八代市にやって来る大都会暮らしの観光客が一体何を求めてくるのだろうか?受ける側は何に気を付けるべきだろうか?という話。観光客は、価値観も違えば味覚も異なる事を理解する必要がある。

熊日新聞に掲載したタイアップ記事の第7弾!



 八代市で小中学校の生徒だった時代は、自分の周りの環境こそ世の中の平均=普通だと思っていた。だから中二で上京し、親類の家に下宿して朝食の茶の間で納豆が出た時に「何だコレ?腐っているのでは?」と言って大笑いされた。
 初めて納豆という食べ物を見たのは、それが生まれて初めてだった。これと同じで、九州育ち、八代育ちの友達が兄弟で上京し浅草の大黒屋の天丼を注文してその真っ黒で塩っ辛い味に驚いて二口で食べるのを止めたというのは非常に良く判る話だった。

 生まれて育った環境が違うと、味覚も価値観もすべてが違うのだ。これは良い悪いではない、ある意味違う星で育ったと思わなければ理解できない。どちらが正しいとか間違っているとかの話ではないのだ。

 郷に入っては郷に従え・・という言葉が在る。しかし、観光客にこれを押し付けては可哀想だ。そこに引っ越してきて住む人間には其処のローカルルール、マナーに慣れてもらう必要が在る。新参者の常識に地元がいちいち合わせていては大変だ、新参者に慣れてもらうのが合理的だ。しかし観光客は違う。お金を落としてくれるのだから観光業で成り立っている客商売側は、その観光客の我が儘を理解しなければいけない。
八代とは価値観も常識も大きく異なる環境の大都会生活者・・・・。

コンクリートジャングル東京などから来る観光客をどう捉えるか?

 受け手が「おもてなし」のつもりで、良かれと思って行う行為が、実は観光客側からからすると「小さな親切、余計なお世話」だったりするケースが多々あるのだ。この細かいすれ違い、行き違いが観光活性化の非常に重要な部分だったりする。次回はその点を少し述べたいと思う。