2015年10月17日土曜日

「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝 #13.」ウインドサーフィンと筆者の最初の出遭い。その2.

 今はもう無い駐留米軍関係者専用ホテルの脇の海岸沿いに走る国道アンダーパスを抜け、少し灰色がかった湘南の広い浜の向こうを左右に横縞の三角帆が動いていた。その横縞はそれまでの真っ白なヨットのセイルとは幾分違う新しい海の雰囲気をかもし出していた・・・って当時ブーム全盛期に在った片岡義男風に表現してみたが、最初にウインドサーフィンというものを初めて視た頃の印象は間違いなくこんな感じだった。

 この頃は角川文庫・片岡義男のシリーズが大ヒットしていて、筆者が尊敬している佐藤秀明さんのハワイのエキゾチックな写真とあいまって団塊世代の男女の心をがっちりと捕まえていた。そのエッセイのタイトルのつけ方も団塊世代が思わずニヤリとするような、オールディズの洋楽ヒット曲のタイトルをそのまま使用したモノが多かった。「ロンサム・カウボーイ/エルビス・プレスリー」「ハロー・グッドバイ/ビートルズ」「夕陽に赤い帆/ビリー・ボーン管弦楽団」「ボビーに首ったけ/マーシー・ブレイン」「and I Love Her/ビートルズ」
エッセイ、小説、評論色々あるが、タイトルの付け方が団塊世代に受けた。

 こういうタイトルの付け方が片岡義男氏独自のアメリカ好きスタイルなのか、団塊世代に買いたくなるような気を起こさせる為の、マーケティング上の戦略なのか良く判らないが、具体的には中味に何の関係もないタイトル付けだったので、当時は後者の理由に寄るものだろうと決め付けていた。実はこれは未だにそう思っている。
1980年出版の「波乗りの島」

佐藤秀明さんのハワイの写真を観て以来、ハワイが病みつきに成った。


 こういった軽い片岡義男シリーズの物語を読んだり、ユーミン(荒井由美ー松任谷由美)の湘南を詠った曲を聴いて思わず「海を見たいわ!」の一言を呟いた途端、アッシー君達がその気になって彼女を乗せて湘南海岸沿いを目指すものだからもう大変!当時の湘南国道134号線は、週末に限らず夕方から夜は大渋滞が続いたものだ。逗子の渚橋近くのデニーズ等いつ行っても超満員でどうしようもない状態だった。謂わば毎日が週末って感じだろうか?
2009年9月、売り上げ全国一番だった逗子デニーズも閉店。今は「なぎさ橋珈琲店」。

 だからこの頃、東京や湘南を中心的に遊んだ1960年前後生まれの男女は、他の世代の年頃の男女関係とはちょっと異なる価値感・常識を持っていると言って間違いないだろう。 ブランド品を身につけて粋がる人種はいつの世にも居るものだが、他人の「生活レベル・持ち物・容姿・スキル(語学・絵心・学歴・資産)」などを羨ましがる「無いモノネダリ・欲張り症候群」が蔓延ったのもまさにこの頃全盛期を迎えたと言って良い。

 この流れがバブル絶頂期に向かって進む日本のテレビ界を潤すTVのトレンディドラマの氾濫へ繋がる。1986年「男女7人夏物語」「抱きしめたい」などから1991年の「東京ラブストーリー」へと繋がっていくのだ。
最近はトレンディドラマの辞典のような本まで出版されている。

 1987年に封切られたホイチョイ・プロダクションの「気まぐれコンセプト」からスピンアウト(=派生)した「私をスキーに連れて行って!」の映画上映でこれらこの頃の女性陣の勘違い症候群は完全ピークに達する。「私とスキーに行こうよ!」ではなくて「私をスキーに連れて行って!」というあたりが、当時の女性陣のそのつけ上がった女王様気分を表している何よりの証拠だろう。

 1980年に発表した田中康夫の「なんとなくクリスタル」がこのブームに火を付けた原点と言っても良いだろう。生活レベルや有名ブランド品の所有数を競い合うような、団塊世代のそれとはいささか趣の違う「優越感争い」が見られたのも印象に深いものが在る。

 大手広告代理店においても、この時期の新入社員はいわゆる不良社員が多く、薬物・クスリや性的な集団暴行、あるいは詐欺まがいの金銭トラブルなどの問題を起こす社員がメディアを騒がせた。其処まで行かずとも、達者なのは口だけでスキルも無く実行力に欠ける新入りが目立ったのも記憶に残っている。人事担当は入社志望者の一体何処を見ているのだ?と・・・。断っておくが、決してこれは当時自分が居た中央宣興や後に移った特定の広告代理店の事だけを言っているのではない。

 ホイチョイ・プロダクションの「気まぐれコンセプト」に出て来る広告代理店業界のバカ話を鵜呑みにして受験してくるアホが多かっただけだとは思うが、面接という関所を間違ってすり抜けて入ってきてしまう不良品も多かった時代なのだろう。そうなる原因が広告代理店という企業体の経営部門・管理部門に居る人間達の一般常識の無さ、責任感の無さ、倫理観の低さに在る事が判ったのは随分後の事だ。これに関しては随分後の方でまとめて述べたいと考えている。
 
 湘南・逗子海岸の砂浜からとんでもない方向へ話が飛んでしまったが、ウインドサーフィンに接し始めた時期の日本がどういう状況であったかを知って頂けた、あるいは思い出して頂けたのであれば、この回の内容は大成功だ。