やはり野鳥の撮影は生態の一部、動きがあってこそ面白いのではないかと思っている。珍しい野鳥が居た!撮った!だけではいずれ行き詰ろう。鳥類図鑑を自分で造ってみたいというのもまた一つの野鳥に対する考えだし、子供の頃の切手のコレクションと同じで友達が持っていない(撮っていない)珍しい切手(野鳥)を集め自慢するのも一つの悦びだろう。決して悪い事ではない。
しかし、やはり筆者は思うのだ、「居たから撮る、出たから撮る」だけではその野鳥をファインダーを通じてしか見ていないことになりゃしないだろうか?画角の狭い超望遠レンズやデジスコだけでは野鳥の本当の生態・魅力は判らないような気がする。筆者は極力肉眼で野鳥の動き、周りの環境含めてその野鳥が今何をしようとしているのか?この次の動作は?と予測する観察の仕方を行っている。特に採餌中はそのエリアから急に居なくなる事はあまり無い。撮影チャンスは何度も訪れるという経験をしている。
こちらから野鳥を視認できたという事は、向こうは相当前からこちらを確認できていると思って間違いない。ただ脅威を感じていないから飛び立っていないだけだ。野鳥の先祖は皆恐竜だ、動くものに反応する。だから迷彩服を着て動かなければ相手もこちらを視てはいるものの脅威とは感じないのだろう。極楽鳥撮影で有名なティム・レイマン氏と話す機会があって、筆者の「川辺川・球磨川流域の山翡翠」という写真集と彼の極楽鳥の写真集を交換した際、撮影時の話をしたらまったく意見が合って嬉しかった。やはり迷彩の上下を着て、撮影する数倍の時間を事前の観察に費やすとの事。
で、そのノビタキの採餌バトル・・・。勿論ピンは来ていないは背景は草紅葉でピンク色だし可笑しな画像に違いないが、ただ綺麗なノビタキの写真よりははるかに面白いと思う。
各カットに実況中継のような説明は要らないだろう。ただ争ったのではなく、メスが虫を捕獲しようとした所に後ろから来た雄がちょっかいを出しただけなのかもしれない。しかし2カット目のオスの口が開いている所を見るとオスも虫を捕獲し、実はその虫とくっついていたもう一匹を後続のメスが見つけて捕獲したのかも知れない。可能性は幾らでもあるのが自然界の面白さではないだろうか?