2015年8月29日土曜日

「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝 #2.」 時は1978年トリンプ再就職の頃 その1。

 ご存知の通り世界最大の下着メーカートリンプ(現在本社スイス)は当時冷戦時代の西ドイツに本社を持つ外資系の会社だった。日本のトリンプは現地法人という事で日本IFGトリンプと名乗っていた。外資系を渡り歩いたであろう転職が当然という常識を持った当時はまだ珍しい特殊な日本人がその社員の大半を占めていた。当時の外資系の会社は何処でも英語力はまず基本的就職条件だったが、筆者はとてもではないが「英語を話せる」人間ではなかった。

 突然何かの力が働いてワープ(異次元空間移動)し、ニューヨークのど真ん中に移動しても、何とか説明して日本へ戻ってこられる・・・程度の英語だった。これは決してFOX・TVの人気シリーズ「Xファイル」を観過ぎた訳ではない。むしろネイティブ・アメリカン?ローンレンジャーのトントくらいの感じだと思って頂ければ良いのではないだろうか?「陽昇る、助け来ない、お前死ぬ・・・」こんな程度の英語力だったろうと思う。
’60年代盛んに観たローンレンジャー Google画像より

 此処での勤務期間はほんの1年余りだった。結論から言うと年収は一気に1.7倍に成ったものの、外資企業の価値感・常識との隔たりがどうしても個人的に埋められず、1年後には早くも強く誘われた銀座の中央宣興という広告代理店へ移ってしまったのだ。

 トリンプ在籍中の事を詳しく書くつもりはないが、幾つか面白い事があったので簡単に記録しておこう。配属先・タイトルは宣伝課長という募集要項どおりだったが、課長職というのは30歳以上という年齢規定があったので、当時まだ20歳代だった筆者はまず課長代理という肩書きが与えられた。勿論、外資系企業特有のガラス張り金魚鉢のような個室は与えられず、倉庫・オフィス直結の効率化を図ったドイツ企業らしく、課長でも本部長クラスまでは皆オフィス内で島の様に転々としたデスクに座っていた。デスクの周りをパーテーションで囲むような事もせず、デスクの上には何も置かないのがキマリだった。ちょうど20世紀最後の年2000年頃、竹橋近くのNTT関連の会社に仕事で行った時、似たようなオフィス環境で驚いたことがあった。人間味のないオフィスで働いている人たちが皆ロボットの様に見えた強い印象が有る。勿論、会社の方針に等従う訳もない筆者だったのでデスク上は書類でいつも山積みだったが、何かを言われたことは一度も無かった。
  
トリンプ時代、唯一の写真 20歳以降の我が人生で唯一髭のない1年間だった。


 入社した日、ふくよかな美人の商品企画部長に案内され、商品企画室に連れて行かれた。室中に入るとブラも付けず上半身裸のモデルさんが数人部屋の中を行きかっていた。暫くこちらの様子を伺っていた企画部長さん、少し強い東北弁の訛りで「あーら、アンタ全然動じないの?珍しいわねぇ。」と言った。「こういうの平気なのぉ?」と訊くので初めて試された事を悟ったのだった。余程「ええ、実家が創業100年以上の銭湯で、年中番台に座らされていたので、もう女性の裸には見飽きました・・・」くらいの事を言ってやろうかと思ったがやめて、大学が美術専攻科で国民の皆様の税金で雇われた裸婦のモデルさんを年中描いていたので・・・。」と答えた。


2015年トリンプモデルさん

 また、在職中は成田空港の税関から何度も呼び出しの電話が掛かってきた。本社西ドイツから送られてきた商品カタログ用のポジフィルムに「ご禁制の陰毛が写っている」ので通関する訳にはいかん!と言うのだ。勿論当時の日本では加納典明という写真家が盛んに女性の裸を撮影して話題を集めるまだ10年も前の時期。まだそういう時代背景だったので、この手の通関は非常に厳しかったのだ。

 もちろん自然に見えるように隠して修正しますと誓約書を書いて、何度も成田空港を往復し改めてお伺いを立てて使用許可をもらっていたのだが、本国西ドイツとは年中ぶつかっていた。一度などは「では、黒く四角く塗りつぶしで隠し、成田の税関の指示でこうしました。と、カタログに表記するが良いか?と抵抗はしてみたものの、筆者を採用してくれたマーケティング・本部長から「馬鹿かお前は?」と一喝され終わってしまった。今ならAdobeのフォトショップで自分でも出来る処理だが、当時はブラシによるレタッチ屋に出さなくてはいけないので制作コストが上がってしょうがなかった。

 余談だが、今はパソコンソフトで画像処理等直ぐ出来るので、当時需要の多かったブラッシ屋さんは仕事が無いらしい。今は一人前の写真家気取りのアマチュアカメラマンが、コンテストで賞を獲る為に、邪魔になる映り込みを消したり、大して綺麗でもない夕焼けを鮮やかにして「嘘をつく」手伝いをしている。

 また或る時には、ロンドン・パリ・ニューヨーク・東京において同じ絵柄のポスターで交通広告によりキャンペーン展開するという。それで送られてきたポスター用のポジが、これまたトンでもない代物だった。