突然何かの力が働いてワープ(異次元空間移動)し、ニューヨークのど真ん中に移動しても、何とか説明して日本へ戻ってこられる・・・程度の英語だった。これは決してFOX・TVの人気シリーズ「Xファイル」を観過ぎた訳ではない。むしろネイティブ・アメリカン?ローンレンジャーのトントくらいの感じだと思って頂ければ良いのではないだろうか?「陽昇る、助け来ない、お前死ぬ・・・」こんな程度の英語力だったろうと思う。
トリンプ在籍中の事を詳しく書くつもりはないが、幾つか面白い事があったので簡単に記録しておこう。配属先・タイトルは宣伝課長という募集要項どおりだったが、課長職というのは30歳以上という年齢規定があったので、当時まだ20歳代だった筆者はまず課長代理という肩書きが与えられた。勿論、外資系企業特有のガラス張り金魚鉢のような個室は与えられず、倉庫・オフィス直結の効率化を図ったドイツ企業らしく、課長でも本部長クラスまでは皆オフィス内で島の様に転々としたデスクに座っていた。デスクの周りをパーテーションで囲むような事もせず、デスクの上には何も置かないのがキマリだった。ちょうど20世紀最後の年2000年頃、竹橋近くのNTT関連の会社に仕事で行った時、似たようなオフィス環境で驚いたことがあった。人間味のないオフィスで働いている人たちが皆ロボットの様に見えた強い印象が有る。勿論、会社の方針に等従う訳もない筆者だったのでデスク上は書類でいつも山積みだったが、何かを言われたことは一度も無かった。
トリンプ時代、唯一の写真 20歳以降の我が人生で唯一髭のない1年間だった。
入社した日、ふくよかな美人の商品企画部長に案内され、商品企画室に連れて行かれた。室中に入るとブラも付けず上半身裸のモデルさんが数人部屋の中を行きかっていた。暫くこちらの様子を伺っていた企画部長さん、少し強い東北弁の訛りで「あーら、アンタ全然動じないの?珍しいわねぇ。」と言った。「こういうの平気なのぉ?」と訊くので初めて試された事を悟ったのだった。余程「ええ、実家が創業100年以上の銭湯で、年中番台に座らされていたので、もう女性の裸には見飽きました・・・」くらいの事を言ってやろうかと思ったがやめて、大学が美術専攻科で国民の皆様の税金で雇われた裸婦のモデルさんを年中描いていたので・・・。」と答えた。
2015年トリンプモデルさん
余談だが、今はパソコンソフトで画像処理等直ぐ出来るので、当時需要の多かったブラッシ屋さんは仕事が無いらしい。今は一人前の写真家気取りのアマチュアカメラマンが、コンテストで賞を獲る為に、邪魔になる映り込みを消したり、大して綺麗でもない夕焼けを鮮やかにして「嘘をつく」手伝いをしている。
また或る時には、ロンドン・パリ・ニューヨーク・東京において同じ絵柄のポスターで交通広告によりキャンペーン展開するという。それで送られてきたポスター用のポジが、これまたトンでもない代物だった。