2014年11月30日日曜日

番外編「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」京都について考えてみた、その2.

 昨日のブログは意外にも反響が有り、正直驚いている。ブログランキングの「野鳥ジャンル」などで注目記事ランキングの上位に入ったり、「問い合わせ」から、幾つかのご意見を頂き大変恐縮している。クレームは1件、賛同が4件、どちらでもないご意見が1件だった。

 一番感心したのが「イケズ」が京都人の「生活の知恵」だという話。観光客、旅人へ「イケズ」をする事はまず無いという。有るとすれば京都人の資格は無い・・・とまで仰っていた。有る意味少しほっとした。なおかつ、京都で実際に生活してみなければ「イケズ」の神髄は判らないだろう、とも仰っていた。直接的な物言いで、狭い京の街中で喧嘩・トラブルになることを避ける方便だとも教えられた。基本的に氏素性の明らかではない寄せ集めが多い大都市・江戸と、氏素性がハッキリしていて、外来のよそ者・新参者が直ぐに判別できる住人管理がしっかり出来ている京都ではその都市としての生い立ちが全然違う。この本質は今も変わっていないと思う。

 火消しの歴史を見るとよい。真ん中に1本鴨川が流れる狭い盆地の京都は大火になれば全部が灰になる。一方で幾つかの川、堀で構成された江戸は水際で有る程度火は鎮火させられる。江戸の火消しと喧嘩は華!と言われ、享保の改革で将軍様直結の町火消しが誕生、纏を持った派手な火消し集団が有名だ。しかしその構成人員は博徒・やくざも多く、年中喧嘩が絶えなかった。

 一方で京都の火消しは、江戸とは異なり非常に秩序が保たれており、武家火消し、寺社火消し、町火消しの仲も良く、トラブルを避けよう、安寧な生活で有る事こそ大切・・・と江戸のような無駄な争いを避ける風潮があったようだ。それが証拠に幕末までの長き間京都は非常に静かだった。

 要は、こういった京都の歴史と、実際の生活を学んでこそ京都の魅力が理解できると言うものだと感じた。ブログも有る意味新しい世界を開いてくれるきっかけになる意味ではつくづく開設して良かったと思う次第。問い合わせから投書頂いた方々にあらためて感謝したい。






京都はピンキリ。多種多様のレベルの魅力が素晴らしい!国際会議プロデュースの仕事上外国人招待用の下見検分で初めて上がれた粟田山荘。其処には自分とは違う世界の京都が在った。

 このように興味を惹かれ続けている京都だが、幾つか不思議な点を感じている事が有る。たとえば寺や神社なのだが、著名な寺社は全て京都盆地の周りの山沿いに存在している。盆地のど真ん中で観光客が良く行く所と言えば、東寺、平安神宮、護王神社、東本願寺・西本願寺、北の天満宮程度だが、実際はそれ以外にも数多くの寺社が存在する。京都御所の東側に有る寺町通り沿いには沢山の寺が有るが殆ど観光名所にはなっていない。

 これは、明治以降大手のパトロンを失った山際の大きな寺社(特に寺)が観光客の拝観料で賄って行かねばやっていけないのに対して、街中の寺は現役の檀家さんたちの通常業務で経営していけるという事の表れなのか?誰か教えて欲しい。

 桜の時期と紅葉の時期の京都はJR東海のTV・CMの後押しもあって、有名ポイントは超満員の雑踏状態になってしまう。まだ祇園祭の頃のほうが空いて見える程。写真を撮ろうと思っても画面の下半分は人の後頭部が連なっている画像ばかりだ。正直、上野公園の桜でも、幸手の権現堂の堤桜でも同じような画像になりかねない。どうしてそういう事になるのだろう?

 これは日本人特有の「負けず嫌い・優越感競争」が有るといわざるを得ない。「ディズニーランド行った?博覧会行った?ふーんまだなの?私はもう行ったよ!」と仲間に言われたくないため行く・・という愚かなきっかけが殆どの様な気がする。そういう意味からすれば、もう飽和状態の京都は今後何かを考える必要が有るのだろうと思う。

 普通の観光客の集まる所ではない、誰も気が付かない、それで居て京都にしかない佇まいを今後も探しに京へ上りたいと思うこの頃だ。