以前にも増して飲食店に若者たちが列をなしている風景を目の当たりにすることが多くなった。
筆者はいくつかの理由あって御徒町~上野界隈に頻繁に出かける。その理由の一つが本物食材の豊富さ、安さ、新鮮さだ。肉類はアメ横、鮮魚は吉池、松坂屋地下。野菜系は秋葉原まで歩く途中の業務スーパー。ここでは長崎皿うどん(餡掛けスープ素付)なども1人前98円で手に入る。
最近これに白金のドンキの松坂肉が加わった。筆者が良く作るビーフシチュウに使う此処の脛肉はべらぼうに柔らかく美味しい。デパートで100g450円もする普通の脛肉よりはるかに安価で質が良い。
要は足で稼いで自分の眼で見て触って(触れないものもあるが)良い食材を安く買うのが団塊世代の生き方の一部なのだ。何でもかんでも近所の大型スーパーで済ますのはあまり好きではない。
食材を求めて徘徊するというのは、自分で料理するからに他ならない。企業勤務をリタイヤして以降、自分の味覚をベースに好きなものを作って食べる・・・これが自分の健康にも最高のレシピだと思っている。食欲・性欲・睡眠欲は人間の生理的三大欲だ。どれも欠かすとまっとうに長生きできない。
しかし・・、
ここ最近の日本の食文化の傾向を広い範囲で見てみて、昭和の時代に成長期を過ごした団塊世代の一員からすると、どうも納得の行かない日本の食文化の変化に強い違和感を感じているのだ。ほかの団塊世代の皆さんは如何だろう?
まずいきなりで申し訳ないが、その典型が「焼き芋」
昭和の時代、焼き芋は多分全国的な人気食品だったと認識している。リヤカーで引っ張る「窯焼き」。町中にあった「つぼ焼き」のお店。大きくなって知ったインド料理のタンドーリ(ナンを焼くツボ窯)は焼き芋屋の真似かと思ったほどだ。
「九里よりうまい十三里」と書いた幟を立てたりして。要はほくほくした栗よりさらに甘くてほくほくした焼き芋はもっと美味い・・という事なのだ。この「ほくほく」したというのはサツマイモの高級品種「金時芋」が最高とされていた。つまりある程度乾燥して身がしっかりと固く、歯ごたえがあって栗よりはずっと甘いのが貴ばれた訳だ。
これらの新作商品群は伝統的な日本の焼き芋文化を捻じ曲げているとしか思えない。店主並びに関係者は、本物・本当の焼き芋を食べたことがないのだろう。
人工甘味料をふんだんに使った高い西洋ケーキと同列に「伝統的焼き芋」を扱わないでほしい。店主も客も、また誉めそやすメディアも焼き芋の本当の姿、売り方、買い方、食べ方を知らないのだろう。ある意味可哀そうな気がする。
鰻屋と焼き芋屋は「匂いが宣伝」の典型的職業なのだ。都心に最近出来ている「焼き芋屋」の近所でその焼き芋独特の匂いが流れてきたためしがない。
ちなみに数年前、銀座に焼き芋専門店が出来た頃、屋台の焼き芋屋が1ブロック離れた角で営業したら、そちらの方が焼き芋本来の良い懐かしい匂いにつられて客列が出来たと新聞に出ていた。これこそ正しい反応だと思う。
焼き芋に限らず、人間の好き嫌い、嗜好は千差万別だ。団塊世代の年寄りが昭和時代の焼き芋に執着するのに反して、現代人が「新しいコンセプトの焼き芋」に「美味しさ」を感じるのも勝手と言えば勝手だが、これが一番美味しい焼き芋だ!などと簡単に言ってほしくないしメディアもそう簡単に報じてほしくない。焼き芋の奥の深さと歴史を理解して報じてほしいものだ。
焼き芋に限らず、その人間の好き嫌いはラーメンやカレーにももちろん共通する。欧風カレーが好きなご仁も居れば、インドカレーでないと嫌だという人も居よう。またあるいは新宿中村屋のチキンカレーでなければ、coco壱番屋のカレーじゃないと落ち着かない・・などというご仁も居よう。味覚は個人個人全然違うものだ、感性の部分が皆同じ訳が無かろう?
だから、全国カレー・ランキングだの、ラーメンランキングだのやめてほしいと思うのだ。千差万別の人の嗜好を無視して、一体だれがランキングなど付けられるというのだ?投票なんて組織票でいくらでも操作出来よう?
この手のビジネスのウラ根本を知らずに、ネットでランク一位だったから美味いに決まっている、並んででも食べよう・・・。これが街中でよく見かける飲食店の店前の列なのだろう?今は一億総味覚音痴と言って良いかもしれない。