2022年の年が明けて早くも1週間が過ぎてしまった。今年から元旦に国旗を掲揚しない事にしただの、色々我が儘を言っている団塊爺だが、また1年健康に過ごす努力だけは続けていこうと思う。で、今日は団塊爺のフィジカルと脳の心配についてのお話。
人間73年間も生きてくると、体のあちこちに不具合が出てくるのは仕方がない。気持ち的には30歳代でも、肉体的には間違いなく70歳なのだ。学生時代~30歳代~50歳代に至るまで常に何か複数種目のスポーツをしてきたおかげで、血管年齢、骨密度年齢は現在50歳代だし筋肉量は最盛期の90%はキープ出来ている。しかし、間違いなく加齢・老化による変異ならびに自覚症状は、日常茶飯事あらゆる部分で物理的に発生するようになってきた。
現在、ゲーム系・競争系のスポーツはやっていないが、7~10㎞ジョギング、遠足(1万歩以上/1日)時々サッカーの試合(OB戦)などは心掛けている。もともと屋内スポーツはあまり好きではないので、お金の掛かるジムなどには通わず屋外で体力増強・健康管理に努めるスタイルで今まで過ごしてきている。
最近、友の野鳥撮影で知った千葉の市川にある法華経寺の遠壽院における荒行の日課を見ると、信じられない1日の行程が記されているが、自分なりにこれの遥かに緩いスケジュールを守っている。
同時に脳の衰えを防ぐ意味で、毎日数時間はパソコン作業を行い、画像処理、ブログ更新(今やっているこれだ。)Twitterへのブログ更新告知、Facebookへのコンデジ画像投稿(=毎日100カット撮影に心がけている)、同時にブログ告知。いずれもスマホではなくデスクトップPCでキーを叩いて指先作業を欠かさない。
これは日常頻繁に手を動かす音楽家・指揮者・書家・医者・農業者・漁業従事者が絶対ボケない・・・と言う医学的証拠を信じているからだ。一番ボケて認知症になるのがリタイヤしてほとんど何もしなくなったサラリーマン(管理職に顕著)だというエビデンスをもっともだと思うから。
人間60歳を超えると、個人差はあろうが五感に関して衰えが顕著になってくる。➀視力が落ちる。②聴力が落ちる。③触覚認識が鈍くなる。(例=熱いものを触っても気が付かず火傷をする。)④味覚が変わる(=好みの味変化)⑤臭覚の劣化(自分の加齢臭に気がつかない)・・・これはメディアなどでも一般的によく言われることだ。
これに加えて、一瞬数秒前の自分の脳の指令を忘れる事が多くなる。
例えば2階から1階へ降りて、「はて?自分は何をしに1階へ降りて来たんだっけ?」と言う状況に遭遇する。これは改めて2階へ戻ってみると想い出すから不思議だ。これが2階へ戻っても思いだせなくなったら要注意だろう。認知症の始まり、ボケの始まりかもしれない。
また、友と口泡吹きながら話に夢中になっていて、次に何か面白い事や重要な話をしようと思って、「例えば・・・、」と回り道でネタ振り話をした瞬間、本来のメイン話を忘れてしまい、「あれ?俺、いま重要な何の話を進めているんだっけ?」状態に陥ることが増えてくる。
ま、筆者のケースはこういった機会が多いからこその事だろうとは思うが・・。政治家が必ずメモを前にして演説するのはこういう理由もあるのかもしれない。それを考えると小泉元首相はメモ無しで演説・答弁を良くできたと感心する。
一方、人間はフィジカル=肉体だけでは健康を保てない。精神的なゆとり、安定、ストレス回避など脳のリラックスも必須だろう。嫌な事、争い、怒り、不安を如何に回避するかも重要なファクターになる。
これらを進めるに大切なのは何か?
最近覚えたのが「廃棄」「無視」「転換」だ。
例えば腹の立つことが起きたとしよう。SNSで頭にくるような投稿をされたり、スーパーのレジで面倒で時間のかかる客が自分の前に居た時、昔だったら腹を立ててそれなりの闘いを挑んでいたのを「回避」するのだ、それがどのような相手だろうが反応せず「無視」するのだ。
例えばSNSなどで腹の立つ投稿には返事せず無視して放っておくのだ。関わらない事(=廃棄)でそれ以上腹は立たない。投稿者もこちらの無反応の理由に気が付くはずだ、気が付かねば余程の変わり者だろう。
自分の父親の寿命をはるかに越え、この先幾つまで現役で動けるか予測できないが、動ける限り数多く好きな事をクリエイトしていきたいと思う2022年新年(=信念)だ。
本年もよろしく健康で行きたいと思う。