2020年10月17日土曜日

豪雨洪水災害に対する考え方は地域でこうまで違うのだろうか? Is the way of thinking about heavy rain and flood disasters so different in each region?

  数日前、TV・新聞メディア中心に昨年の台風19号による洪水騒ぎの1周年記念報道を繰り返していた。長野の千曲川が決壊して新幹線基地が水没し、列車編成のほとんど全部が廃棄せざるを得ない状況に成った。死者行方不明者は115人(災害関連死21人)。相当な災害だった。

 千曲川の決壊堤防上道路は1996~8年頃、長野オリンピックの担当業務(広告代理店としての業務とJOCの競技役員としての業務)で長野市を中心に野沢温泉村~志賀高原~白馬村を走り回った際、時にはオリンピック関係者の送迎を兼ねてさんざん通った、主要道渋滞避けの抜け道だったので良く知っていた。

 この特集報道の中、実は同じ台風19号の影響で首都圏東京の荒川の水位があと28㎝で堤防をオーバーフロウする危機一髪だったという報道がなされ、東京都民は震え上がった。




 連日、TV(NHK中心)で専門家のアドバイス・注意喚起含めて、洪水時に水に浮く住宅の研究開発やあらゆる方面から人命を守るための報道が在った。

洪水時水に浮く家の報道。

実際洪水に見舞われた熊本県ではNHK総合の7時のニュース以外まったく無い報道内容だ。



 熊本の球磨川流域の7月豪雨災害の直後でもあるので、豪雨洪水に対する考え方、備えに関して余計意識が高まったのだろう。国交省の発表コメントではなく独自取材で専門家の詳しい説明が流れた。このあと9時のニュースの前、首都圏ニュース845でも報道された。

 ネット上の報道やそれに対する意見書き込み、ツイートを観ると面白いことが判る。

 首都圏東京は埼玉県の奥から流れて来る荒川と奥多摩から流れ出る多摩川、それに群馬栃木の奥から流れ出る利根川の支流が江戸川となってそれぞれすべてが東京湾に流れ込んでいる。それぞれの上流部には数多くの各種ダムが建設されていて、既に昔から言う治水に関しては首都圏を水浸しにする心配は無くなったはずだった。

 首都圏東京は球磨川と川辺川だけの人吉球磨とは違い、常に洪水の危機を意識して生活をしている。特に海抜ゼロメートルの下町住民は大変なもので、常日頃から「国や行政に洪水から守ってもらうのではなく、自分たちで洪水から身を守る」意識が一般常識に成っているのだ。


昨年の豪雨が如何にすごかったかデータが示している。

 ところが、1974年(=昭和47年)には多摩川が決壊、19戸の民家が流出した。しかし死者は一人も出ていない。小河内ダムが在りながらの洪水だった。そうして今回昨年の台風19号で荒川が決壊寸前だったという後追いニュースで洪水災害への再認識が高まったのだ。

 ところが、これだけの洪水、被害が出た、あるいは危機一髪であったにもかかわらず、「ダムを造って治水しろ!」と言う声は一つも聞こえてこない。ネット記事や投稿を見ても一つもそういう投稿は無い!これは首都圏東京に住む人間の一般常識として「ダムその他の人工物での治水の限界」を知っているからだという。

 同時に、ダム上流だけで雨が降るのではなく、ダムの下流域、広い関東平野での降水量はダムが在っても意味が無い事を知っているからだという。数年前の鬼怒川氾濫で家が沢山流されたケースでもダムより上流の豪雨ではなく、関東平野での線状降水帯が原因だったと皆が理解している。

 つまりダムを造れなどと叫んでも、それで天災・洪水を防ぎ切れない事を知っているし、造る過程での豪雨洪水から誰が守ってくれるのだ?それは自分自身だろう?という事を良く知っているのだ。江戸時代からの首都圏お江戸の水害の体験から生まれた知恵と防御方法・避難方法が徹底しているのだろう。

 それに比べて、球磨川流域の今回の洪水後のメディア報道を見る限り「ダムに寄る治水か、ダムに寄らない治水か・・。」ばかりの二者択一の報道内容で、今回豪雨災害の原因追及や事実を専門家が判り易く報道していない。

 地元テレビ局は更に第三者的な報道しかしていない。何処そこで民意を聴く行為が始まっただの、地元行政首長たちがダム建設を横並びで要請する話だの、反対派3団体の申し入れがあっただのばかりで、原因追及はおろか自分たちで自分たちを守る事に関する動きも報道も無いのが不思議でしょうがない。この地域による洪水災害に対するモノの考え方・行動の違いは何処から来るのだろう?

 こんな事ばかりを繰り返しているうちに、次の災害に見舞われないことを祈るばかりだ。

 洪水のメカニズムや今回の専門家の総合分析判断も知らず、ただ国交省が直後に唐突に発表した「川辺川ダムさえあればこれだけ人吉エリアでの水量を減らせた・・・。」という事のみを鵜呑みに信じて、不安や将来展望から「ダムさえあれば洪水は起きないようだ」と思考してしまう住民のなんと多い事か?

 その民意を聴くべきだとの報道も多いが、本当に「事実・真実を知らない民意」の声を訊いて、その結果「賛成意見多数」とかいう話でダムを造る造らないなどという事を決めてしまうのだろうか?

 新聞報道を見る限りそう取れて仕方がない。なんだか沈んでいく船から集団で迷いながら「本能的不安に駆られて」右往左往しながら逃げようとするネズミたちの様に思えて仕方がない。「事実・真実はこうだ!」と言う断固たる報道が出来ないものだろうか?

 既に「ダムの有り無し」の二者択一の考え方しか球磨川流域のは存在しないかのような状況。メディア報道もそれに輪をかけていないか?果たしてこれで良いのだろうか?首都圏の現実的で即効性のある洪水対策とはあまりにかけ離れた状況に驚くばかりだ。

 民意を訊いて廻ろうという蒲島知事さんの努力は買うが、まさか豪雨災害に対する対策に関して全く素人である民意の押す方向で洪水対策をするとも思えない。それともこの行為は住民の不安や胸の閊えを取るガス抜き行為なのだろうか?メディアの報道はこのあたりを正しく報道しないととんでもない事になると憂いている。