昨日のこのブログで生成系AIの個人的に思う不安な点、気になる点を述べてみたが、今日は逆に「何故こういう所に使用しないのだろう?」との思う場面例などをご紹介。
生成系AI・・・などと、ITやAIスキルの豊富な人間だけに役立つようなイメージでメディアも宣伝しているが、要は昔で言えばこの類って「代書屋」だったり「レタッチ屋」だろう?ある程度原型、ニーズは世の中に在ったのだ。
例えば好きな相手に思いを伝えるに、文章作りが不得手だったり自分で書くのが照れ臭かったりする者の為の「代書屋」「代筆屋」の様なものだろう?ChatGPTなどは特に。
一方で、せっかく撮った野鳥の奇麗な飛翔画像に電柱や邪魔な樹が映っていたりする。これを何とか消して無かったようにしたい・・。でレタッチ屋が消す、あるいはPHOTOSHOPなどの画像ソフトで消してしまう。画像処理の生成系AIもこれと変わらないだろう?もっともほかにも色を盛ったり奇麗に仕上げたり「死に顔化粧」みたいなこともやるらしいが、筆者は大嫌いだ、ズルい。
昨日のこのブログに掲載した奇妙にキレイな想像から生まれた鳥もそれだ。
文章の場合は文才が無く、表現ボキャブラリーにも乏しい輩が、己の至らない部分を覆い隠してくれる文章をChatGPTで作れてしまう便利さが大評判になっているのだと思う。
しかし、いくら文章で相手の気を引いても、実際生で対面で逢って話をすれば一発で本性がバレてしまうだろうに・・。
それに、もともとの原文で言いたい内容が10しかないのに、それを100にして作ってしまったら「嘘」に成る。生成系AIとはオリジナルの内容を逸脱して1カラットのダイヤを2カラットや3カラットにはしてはいけないから、オリジナルの人間の持つオリジナルの脳レベル以上には改変できないはずだ。
エイリアン2でシガニー・ウイーバーが着ていたパワー・ローダーじゃあるまいし、AIと言えども、オリジナルの人間の脳力以上の答えを出してはいけないのだ。
それがもしそうでないなら、この先人類はどんどん脳が退化し馬鹿になっていくだけ。
言い回しを洗練させたり、主語述語をきちんとしたり理路整然とした文章にはするが、黒髪の人間を金髪人間の様にしてはいけないものだと筆者は思っている。
一方で、生成系AI、ChatGPTの類は今まである世界中のデータを基にその中から一番使用頻度の高いデータを集めて「解答」なり「集約返答」をしていると聞く。だから初期のChatGPTは数年以前までの蓄積データからしか「答」が出ない。つまり坂本龍馬に関しての答えは出るが、サッカーの三苫や大谷翔平に関しての「答」は出てこなかった。今はどうだか知らないが・・。
ここ数年フェイクニュースやウイルスの入ったデータなどが世界中に蔓延して大変な問題になっている。特にまことしやかなフェイク動画や悪戯投稿への「いいね?」アクセスは驚くほどの反響に成っている。これらもすべて玉石混交蓄積データとして生成系AIの情報源・判断源になるのではないだろうか?
蓄積データをろ過して精度を上げる手法だと、使用頻度の多いデータばかり再利用され、そのうち生成系AIの答えが皆似たようなものになりはしないか?
言い換えてみれば、今までは美味しい酒を造るのに湧き出てくる清水で作っていたのに、それに使い古しで垂れ流しの家庭排水が今後ドンドン加速度的に混じってくる様なものではないのか?もちろん病原菌(ウイルス)も入ってくるのでは?
ここ数年のこれら生成系AIの進化を考えてみると、筆者もその弊害を受けずに逃げ切ることが難しいのではないかと、少々心配もする今日この頃。
一方で画像処理系の生成系AIでの話。
野鳥写真で邪魔な障害物を消してしまうと、正しい野鳥の生態を画像で証明できなくなるので筆者はまず障害物や気になるものを消したりしない。枝かぶりの画像の枝を消したり裏側に追いやったりもしない。
連写の合成だけはする。これは昔の大相撲の際どい勝負を分解写真で判り易くするようなものだ。動画では早すぎて野鳥の生態シークエンス(動きの軌跡)が判らない。
例えばブッポウソウが山の木々の間をぬって飛んでいる際、主翼が地面に対して垂直=タテになる場面が多い。これは木々の間を抜けてくるためなのだが、樹も何も障害物の無い開けた所でも頻繁にそういうことをする。
ブッポウソウは非常に良く左右に体を振って飛ぶ習性を持っている。
何故だと思っていたら空中を飛ぶトンボやセミや甲虫の急旋回に合わせて身をひるがえすためだと判った。こういう野鳥の生態により起きた瞬間画像を理由も判らず、奇麗じゃないからと邪魔なものを消し去っては野鳥生態画像としては失格だ。
奇麗な野鳥だけを近寄って撮りたければ、動物園でもどこへでも行って留まっている状態を撮れば良い。自然の生き物の画像はその背景の自然があってこそ生きてくるものだと思うが如何だろう?
例えば昨朝の愛犬散歩で見かけたワカケホンセイインコ。人の家の庭のミカンをむさぼり食っていた。ムクドリなども一緒に。
これを単純に野鳥だけを見せたいと、背景の家を消してしまえばどこで撮ったものだか判らなくなる。やはり今まで数年間群れで多摩上空を飛び交うだけで目の前に降りては来なかったワカケホンセイインコが、三鷹市など近郊に降り始めたという生態を一緒に証明する画像でないといけないのではないだろうか?
インコのあの大きな万力の様なクチバシは本来硬いものを割って中の実を食べるためのモノ。これが柔らかい人の家のミカンを食べている画像はたぶん今までデータ的にも無いのではないだろうか?
話、替わって・・
これも昨日のTOP MUSEUM=東京都写真美術館でのイベントを観て思ったこと。恵比寿のガーデンプレイス周辺も含めて、映像に関していろいろなアーティスト作品が展示されていた。
展示作品は単純明解なものが多いのだが、その制作意図や存在理由を作者が長々と説明文書で述べていた。そうしないと不安なのだろうけれど・・。