今、日本のメディアはウクライナへのロシア侵攻に加え、パレスチナのイスラエル攻撃問題が勃発して、ニュースネタが急速に増えてきた。
これに乗じて、あれだけ大騒ぎしたジャニーズ問題に関し、自分たちメディアへの「見て見ぬふりをした責任追及」という風当たりが強くなった事をまずいと感じたのか、ぐっと報道量が減ってしまったようだ。
しかし此処に、それらNHKを中心とした日本のメディアが如何に「報道しない自由」などと屁理屈を掲げ、ジャニーズ問題を闇に葬ってきたかをあからさまに説いた記事を発見したのでご紹介したい。
筆者は、今のところこれほどジャニーズ問題を公平に事実に基づいて解説している論説は他に無いと思う。
これを論ずるのは、SNSにいい加減な情報・記事を乱発する自称事情通などではなく、れっきとした頭脳明晰な早稲田大学の教授だ。非常に判り易く事実に則って解説してくれている。
有馬 哲夫(ありま・てつお)
早稲田大学社会科学部・社会科学総合学術院教授(公文書研究) 1953(昭和28)年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得。2016年オックスフォード大学客員教授。著書に『原発・正力・CIA』『歴史問題の正解』『日本人はなぜ自虐的になったのか』『NHK受信料の研究』(新潮新書)など多数。https://news.yahoo.co.jp/articles/4613a8ff6978063953092c2c4a8ccbe6873f1ff5?page=1
個人的に言えば、1960年代前半「NHK総合・夢で逢いましょう」に出てきた初代ジャニーズからフォーリーブス、たのきんトリオくらいまで、つまり1970年代前半までしかジャニーズ事務所のタレントはイメージが残っていない。
初期のこうしたタレントは動きながら歌を歌う今迄に居なかったエンターテイナーだった。
しかし、当時すでにヒットし始めていた米国のビーチボーイズやフォーシーズンス、女性ボーカルグループ、ロネッツ、シャングリラス、シフォンズ、などとは違い大したハーモニーもなくユニゾンで同じ旋律を歌うだけという音楽的にはほとんど見るべきものがないタレントだと思った。
1960年代から70年代へかけてのビートルズを筆頭に旋風が吹きまくった洋楽POPSの劇的な変化と比べると、あまりに寂しいレベルの低い日本の音楽シーンと言って良いだろう。
興業の仕組みから言えば、戦後の日本のショービジネスの世界は「裏の世界」が仕切っていた時代から、ショービズと呼ばれる「音楽・タレント事務所」つまりプロダクション形式になっていく過程が1960年代~70年代だった。
特に筆者が共鳴したのがこれらの部分だ。
「■マスコミとテレビ業界は『共犯者』である」
「1988年に北氏が告発したとき、マスコミが今のように騒いでいたら、また、遅くとも1999年に、週刊文春に追随して各メディアがキャンペーンを張っていたら、また、テレビ業界などが真相究明に動き、自粛措置をとっていたら、それ以後の性被害は未然に防げたし、犠牲者の数も減っていた。この意味で、主犯はジャニー氏だが、マスコミとテレビ業界も立派な共犯だ。」「■ジャニーズ記者会見が気持ち悪い理由・・・」
「マスコミの攻撃の矢面に立たされた藤島ジュリー景子、東山紀之、井ノ原快彦各氏は、ジャニー氏の性被害とどう関係しているのかわからず、もみ消し工作に加担していたのか、あるいは傍観していたのか定かでない。 だが、一方のマスコミやテレビ業界は、あきらかに、もみ消す側、または傍観する側に立っていた。彼らがすべきことをしなかったこと、つまり、テレビ業界がジャニーズ氏との対決も辞さずに自浄作用を働かせようとしなかったこと、マスコミが見て見ぬふりをして報道しなかったこと、それが被害を継続させ、犠牲者を増やした。 そのマスコミとテレビ局のリポーターが、藤島、東山、井ノ原各氏に声を荒らげて、居丈高に、「質問」している。傍目から見ても、非常に気持ちが悪い。彼ら関係者に質問するマスコミとその模様を放送するテレビ業界のほうが、すべきことをしなかったという点で、それによって性被害を拡大させた点で、罪が重いのではないか。」