2022年10月2日日曜日

団塊世代はゲルハルト・リヒター氏の写真論・絵画論を読んでから展覧会を観た。 Boomers read Gerhard Richter's theory of photography and painting before watched the exhibition.

  「今日の話は昨日の続き・・・声とアイディアは大橋巨泉、前田武彦、永六輔。」懐かしのラジオ関東トーク帯番組じゃないけれど、団塊世代の筆者はこの2週間、写真を中心とした芸術・アートなどに関して集中思考してみた。

 大なり小なりクリエーターとしての美大・音大出身者へのヒヤリングに引き続き、現役の著名芸術家の行動を実際に観て、いろいろ探ってみた。

 その仕上げと言う訳でも無いが、昨日ブログに書いた芸術作品を投機対象としているビジネス界の米映画「アートのお値段」の中でも、一目置かれているゲルハルト・リヒター氏が「こんなバカげたオークションして収集家が倉庫に置いておくんなら、美術館で展示される方が良い・・と言っていたのが気に成って、彼に注目してみた。

幾らで売れるかの投機対象の収集家に買われる絵画群に対して

美術館で展示される方が良いと、ゲルハルト・リヒター。

 彼は写真と絵画双方にまたがった作品群で話題を集めた人だ。

 その彼に色々な評論家なりメディア人がインタビューしたのをまとめた本を少し前に読んだ。「ゲルハルト・リヒター 写真論と絵画論」



 どうも幾人ものインタビューアが、リヒター氏への敬意も感じさせないため口で、嫌らしい誘導尋問的問い掛けをしたり、翻訳家が未熟なのか、文章に中国人がAmazonなどを騙って送ってくる詐欺メール文章のような「不自然さ」が感じられていまいち理解しがたい部分が多かった。たぶん読み返さないと思う。

 リヒター氏自身も己の知識をひけらせながら一生懸命挑んでくるインタビューアに対し、辟易しながらも色々答えてはいたが・・・本気で始終これほど色んなことを考えながらキャンバスに向かっているのだろうか?

 それぞれインタビューを行った時代も違うので、人のモノの考え方も価値観も時系列で変化するのが当たり前だと思うが、この本を見る限りインタビューアーが「リヒターさん、貴方は以前こう言ってましたが・・。」など過去と現在の矛盾を突こうとしたり、あまりフェアな気がしなかった。国会で大臣を追及する野党の質問みたいで・・。

 しかし、この本を見てからの展覧会は、いざ作品を目の前にしてみると本を読む前に行った1回目の際のそれとは全然違う印象をたくさん持った。今日10月2日が最終日でさぞ混雑するだろうが、事前に何の予備知識もなくして、いきなり東京国立近代美術館で作品観ても「何だか判らない」印象が強いのではないだろうか?



若い人が多い。ネットで「凄いぞ!」情報が拡散しているのだろうか?

鑑賞者が「ナニコレ?どう反応すればいいんだろう?」‥と言っているのが聴こえた。

車に轢かれてしまったルービックキューブ・・・って感じの部屋。

 凄いんだろうけれど、始終写真を撮る立場の筆者的に言えば、心を打つような好感を持てる作品は無かった。あくまでこれは個人の好みの問題、食事・料理の好き嫌いと同次元だろうと思う。誰にも否定できない、決めつけてはいけない領域だと筆者は思う。

 彼の写真に関しての接し方も、現代アート作家としての作業の一素材として「写真」というものを活用しているだけで、自分で一心不乱に写真撮影に凝った訳ではなさそうなのでちょっと拍子抜けだった。一生懸命自分で撮影している写真家の皆さんとある部分同じかと思いこんだ筆者のミスだった。

 一般的に今の時代は何かを評価する場合、皆(=メディアやメディアが取り上げる話題の人)が「良い、素晴らしい」って言ってんだから、良いに違いない・・と思ったり決めつけたりする人が多いような気がする。料理屋でも長い列を作って並んでいる人をよく見るが、自分の味覚に自信がないからネット上の評価を観て並ぶんだろう。これに似ている気がする。

 何だか申し訳ないが、同時開催で今日が最終日の所蔵作品展「MOMATコレクション」の方が筆者的にははるかに感動を覚える、自分の疑問への答えに成った作品が多かったと思う。

 中でも太平洋戦争末期の戦記絵画というか、国が一種独特な環境下で著名画家たちに描かせた作品の中に腰を抜かさんばかりのモノもあり、よく知られた作風・タッチとはまるで別世界を感じさせられるものがあった。例えばこれだが・・。

絵画が好きで知らぬ人は居ない著名な日本の作家の作品だ(一部)ご存じだろう?


 今回は若い人が非常に多かった(団塊世代から見れば今や皆若い人なのだが。)。

 ネットの「凄いぞ!」情報に動かされてきたのだろうが、いわば皆が付ける方が良いってんだから付けてる、付けないと仲間はずれにされそうだから付けてるマスクみたいなもんだろうか?

 正直彼リヒター氏は商業ベースや、投機ベースに完全に乗ってしまった芸術家だと思う。その道を選んだんだろうと思う。

 日本でも著名な写真家でこの手の商業ベースに乗っている方が数名居るようだが・。

この手のお土産コーナーは商業ベース・美術ビジネスに乗らないとここまではならない。


 行った証拠・アリバイ的グッズ?ちなみに高価な図録は山積みで売れていなかった。その作家・展覧会の人気度は、図録の売れ方で鑑賞者の感動を推し量れるのだという。伊藤若冲など人気芸術家の図録は事後何年経ってもプレミアムが付くそうだ。

 したがって、リヒター氏は昨日このブログで述べた、作家にしか判らない「創作熱・創作意欲」の純粋さは既に無い人かもしれない。作品の多くは評論家やメディアの批評やウケを非常にナーバスに意識し作為的に創作したものではなかろうかと思う。

 あのピカソが、いくらで売れるかとか、どう褒められるかなどを意識せずに完成させた作品群と、お金を稼ぐために描いたレストランのメニューデザインやタロットカードの絵などとの違いはリヒター氏には無いように思えた。

ピカソのデザインによるレストランメニュー。2005年パリのピカソ美術館で。

色々な手書き作品 同上。

 ちなみに本ブログ中の戦争画(一部)は藤田嗣治氏。

 この項、しばらくしてまたまとめてみたい。 今回は此処まで。