「今日の話は昨日の続き・・・声とアイディアは大橋巨泉、前田武彦、永六輔。」懐かしのラジオ関東トーク帯番組じゃないけれど、団塊世代の筆者はこの2週間、写真を中心とした芸術・アートなどに関して集中思考してみた。
大なり小なりクリエーターとしての美大・音大出身者へのヒヤリングに引き続き、現役の著名芸術家の行動を実際に観て、いろいろ探ってみた。
その仕上げと言う訳でも無いが、昨日ブログに書いた芸術作品を投機対象としているビジネス界の米映画「アートのお値段」の中でも、一目置かれているゲルハルト・リヒター氏が「こんなバカげたオークションして収集家が倉庫に置いておくんなら、美術館で展示される方が良い・・と言っていたのが気に成って、彼に注目してみた。
彼は写真と絵画双方にまたがった作品群で話題を集めた人だ。
その彼に色々な評論家なりメディア人がインタビューしたのをまとめた本を少し前に読んだ。「ゲルハルト・リヒター 写真論と絵画論」
どうも幾人ものインタビューアが、リヒター氏への敬意も感じさせないため口で、嫌らしい誘導尋問的問い掛けをしたり、翻訳家が未熟なのか、文章に中国人がAmazonなどを騙って送ってくる詐欺メール文章のような「不自然さ」が感じられていまいち理解しがたい部分が多かった。たぶん読み返さないと思う。
リヒター氏自身も己の知識をひけらせながら一生懸命挑んでくるインタビューアに対し、辟易しながらも色々答えてはいたが・・・本気で始終これほど色んなことを考えながらキャンバスに向かっているのだろうか?
それぞれインタビューを行った時代も違うので、人のモノの考え方も価値観も時系列で変化するのが当たり前だと思うが、この本を見る限りインタビューアーが「リヒターさん、貴方は以前こう言ってましたが・・。」など過去と現在の矛盾を突こうとしたり、あまりフェアな気がしなかった。国会で大臣を追及する野党の質問みたいで・・。
しかし、この本を見てからの展覧会は、いざ作品を目の前にしてみると本を読む前に行った1回目の際のそれとは全然違う印象をたくさん持った。今日10月2日が最終日でさぞ混雑するだろうが、事前に何の予備知識もなくして、いきなり東京国立近代美術館で作品観ても「何だか判らない」印象が強いのではないだろうか?
一般的に今の時代は何かを評価する場合、皆(=メディアやメディアが取り上げる話題の人)が「良い、素晴らしい」って言ってんだから、良いに違いない・・と思ったり決めつけたりする人が多いような気がする。料理屋でも長い列を作って並んでいる人をよく見るが、自分の味覚に自信がないからネット上の評価を観て並ぶんだろう。これに似ている気がする。
何だか申し訳ないが、同時開催で今日が最終日の所蔵作品展「MOMATコレクション」の方が筆者的にははるかに感動を覚える、自分の疑問への答えに成った作品が多かったと思う。
中でも太平洋戦争末期の戦記絵画というか、国が一種独特な環境下で著名画家たちに描かせた作品の中に腰を抜かさんばかりのモノもあり、よく知られた作風・タッチとはまるで別世界を感じさせられるものがあった。例えばこれだが・・。
今回は若い人が非常に多かった(団塊世代から見れば今や皆若い人なのだが。)。
ネットの「凄いぞ!」情報に動かされてきたのだろうが、いわば皆が付ける方が良いってんだから付けてる、付けないと仲間はずれにされそうだから付けてるマスクみたいなもんだろうか?
正直彼リヒター氏は商業ベースや、投機ベースに完全に乗ってしまった芸術家だと思う。その道を選んだんだろうと思う。
あのピカソが、いくらで売れるかとか、どう褒められるかなどを意識せずに完成させた作品群と、お金を稼ぐために描いたレストランのメニューデザインやタロットカードの絵などとの違いはリヒター氏には無いように思えた。