昨日10月14日が鉄道150周年だということで全国各地でSL=蒸気機関車が走ったり、記念行事がなされた。
昭和22~25年辺り生まれの団塊世代は小さい頃は、日本中いたる所蒸気機関車で動くエリアの方が電化されて電気機関車が走るエリアより広かっただろう。
昭和35年頃までに作られた日本の映画(邦画)のほとんどの鉄道シーンは蒸気機関車が当たり前だった。
筆者がそのカメラアングルやカラー配置に関して非常に好きでいろいろ学ばせてもらっているあの小津安二郎監督も映画「浮雲」で当時の列車の車内を見事に表現していた。まさに団塊世代の頭に残っている「鉄道の車内風景」がここにある。
昭和30年頃の日本の鉄道の車内。団塊世代なら覚えがあろう?
エンディングシーンが、去り行く列車のテールライトというのも小津監督自身が実は鉄道マニアだったんじゃないだろうかとさえ思えるのだが、実際はどうなのだろう?
話を筆者に戻すと、筆者自身は東京生まれなのになぜか父親の仕事の関係で九州を転々とし、まだ蒸気機関車が活躍していたエリアで小学校・中学校時代を過ごせた。既に東海道線はもとより山陽本線も岡山までは電化されていた。
最初の転勤地は昭和30年の夏、北九州の小倉市だった。東京では見たことがない輪タクがまだあった。(※旧小倉駅)
中学校2年生(=1962年4月)から単身上京し世田谷の親類宅へ下宿し、奥沢中学校へ通ったころから九州の八代に住む家族のもとへ年間3回以上は帰省していた。もちろん鉄道狂いの筆者だもの毎回鉄道の旅、寝台列車の旅を楽しんだ。
蛇腹のカールツァイス・スーパーイコンタで撮った特急はやぶさ(八代駅)
そのころはこのカメラで鉄道を撮りまくっていた。
顔パスで出入りできた八代駅で休日にはホームに上がって写真を撮った中学時代。
この奥沢中学校時代、鉄道好きの同級生ともども晴海の見本市会場で開かれた「鉄道開業90周年展」を観に行っている。東海道新幹線開業2年前の話だ。
それから60年が経ったわけだ、計算はきちんと合っている。当時現役で走っていた蒸気機関車、86(ハチロク)やC11、などは今も全国各地で観光列車を牽引して元気に走っているが、筆者自身はいささかポンコツになってきた。60年の時の流れは凄いものだとしみじみ思う。
修学旅行で、自分もよく乗る特急はやぶさとすれ違う。東海道線ではEF58 が牽引。
中学校の修学旅行は専用列車「ひので号」の先頭に陣取って、すれ違う列車を撮影しまくっていた。結局品川から豊橋の先まで立ちっぱなしだった。まだビジネス特急「つばめ」「こだま」が在来線の花形だった。
鶴見事故は世田谷から自転車で駆け付け生々しい現場を目撃。
こうして鉄道と共に育った団塊世代、いくつになっても鉄道は好きなのだ。今年春、初めて鉄道の写真だけ集めたミニ写真集を作ってみた。
現在さらに本格的なものを編纂中。