2014年5月4日日曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #38.」 ●東京オリンピック その3.

 19641010日は快晴だった。東京オリンピックの開会式は入場券など手に入る訳もなく、八代の十条製紙勤務の父親を単身残して上京してきた母と兄弟2人と一緒に、居候をしていた東中野の祖母の家でテレビ中継を見た。途中で国立競技場上空に五輪の輪が出来るのを見て直ぐに二階から直線で4kmの距離の神宮方面の空を見たが逆光で太陽がまぶしくほとんど見えなかった。かすかに高い空の上のジェット機の爆音が聴こえたような気がするが定かでは無い。ネットで調べたらこの時はるか上空2万フィート(約6,000m)からこの五輪の輪を下に見下ろした人が居るらしい。航空自衛隊の幹部の様だが是非画像を視てみたい。
上空から見た開会式のブルーインパルスの描いた五輪の輪=Yahoo画像より引用
開会式で五輪の輪を描いた当時のF86セイバー、ブルーインパルス。

2013年東京国体開会式でデモ飛行のブルーインパルス、久し振りの首都圏上空フライト。

団塊世代の観客の中には’64年の東京オリンピック以来だという声も聞かれた。

 自分の東京都立広尾高校はオリンピック開催都市の公立学校なのでこの東京オリンピックの入場券が一定数あてがわれた。勿論一度きりの開会式などは人気殺到で配布されないが、陸上競技、その他各種競技会場のチケットが数枚づつ配布された。当然人気種目のチケットは先生たちが懐に入れたに違いないが、最終的に末端の3年生から1年生に至るまで各クラスには数枚のプラチナチケットが回ってきた。当然くじ引きで当選者を決めたが「籤には強い」新庄君は見事たった1枚しかない水泳のチケットを獲得したのだった。
 もちろん、水泳競技はこのオリンピックの為に建設された代々木の国立競技場プールで行われた。出来たてほやほやの話題の建造物で世界のトップクラスの水泳競技を目の前で生で観られたのだ。これ以上の幸運は無いだろう。
 水泳競技に関しては自由形で何度も世界新記録をだしていた山中毅選手は峠を越えていたが、4年前のローマオリンピックで銅メダルを獲得した女子背泳ぎの田中聡子選手が期待されていた。
国立代々木競技場プール。

 当日、屋内プール独特のモワッとした湿気も感ずることなく、かすかにカルキの匂いがする中、高い天井とその独特の形状の建物を内側から見上げながら指定席に座った。意外な事に非常に良い席で各国のプレスが座る席の直ぐ上のブロックでなおかつ選手の入退場の通路脇だった。もちろん田中聡子選手のいつものレース前の仕草などは今までテレビなので観たとおりだった。残念ながら4位に終わりメダルは取れなかったがデカい外人に負けずに頑張っている姿はまだ目に強烈に焼き付いている。
 一方で、このオリンピックで一番の話題になったのは金メダル5個を獲得した米国代表ドン・ショランダーだろう。それまでの水泳シーンは日本の山中毅・豪州のコンラッズ、ローズ、と言った日豪の闘いが多かったのだが、いきなり登場した感があるドン・ショランダー。まだインターネットやSNS、テレビの民放中継があまり無い時代、情報は今よりはるかに遅かったのだろう。
LIFE誌の表紙を飾ったドン・ショランダー、現在オレゴン州ポートランド近郊に在住。

 このドン・ショランダーが通路脇の記者席から米国の記者がマイクを差し出してインタビューしている時を見逃すはずは無かった。すぐにそばに寄ってその大きな腕に触ってみて驚いた!意外にもブヨブヨだったのだ。筋肉質の腕を想定していたのに完全に当てが外れた。まるでアシカやオットセイ(触ったことは無いが)の様な感じで人間とは別の生き物の感触だった。後で調べたら19464月生まれでこの自分より2歳年上ってだけじゃないか、世界のトップアスリートの実年齢を知って同じ人間と言う種なのに、こうも違うモノなのかと愕然とした。

 田中聡子選手(後に結婚されて竹宇治姓になった)とはこちらが広告代理店のプロデューサーをしている時に「2006年世界女性会議くまもと」という国際会議で御一緒した。非常に気さくな方で、約1年間御一緒したが‘64年の東京オリンピックの際に代々木の競技場で一部始終を見ていましたとお話したら大変驚いていた。
田中聡子選手と木原美知子選手 Yahoo画像より引用

2006年世界女性スポーツ会議にて竹宇治(田中)聡子さんと筆者。

 勿論ボール拾いをした大松監督率いる女子バレーボール日本代表は駒沢競技場で宿敵ソ連を破って日本中の国民を興奮させてくれた。さすがに優勝を決めた決勝の日、テレビの前で涙が出そうになった。ほんの少しだが今でもあの金メダルの数ミリグラムには自分の貢献も入っていると思っている。実は信じられない事だがオリンピックで女子のチームスポーツが実施されたのは、東京オリンピックの女子バレーボールが最初だったそうだ。
 水泳のシンクロナイズドスイミングは1984年、女子陸上ホッケーは1980年からで、意外に女子のチームスポーツは歴史が浅い、と言うより女性スポーツそのものの歴史が浅いと云う事だろう。これは2006年の世界女性スポーツ会議くまもとを運営して良く判った。何と日本の女子バスケットボールの協会の理事もほとんどが男性だという。運営・管理の側に女性が入れないような悪しき伝統が未だに続いているようだ。それだけ男性アスリート達の理事に成りたい欲望と、体を張ってそういう協会・組織で先頭に立とうという意欲の少ない女性アスリートたちの意識の低さが今の環境を作り上げてしまったのだろう。

 日本のメディアは大会が終わってもいないのに1020日にはグラビア特別号を発行した。前半の日本選手のメダル獲得シーンや開会式のシーンが中心だった。その中で今でも覚えている非常にカッコいい写真が在った。海外の多分ヨーロッパの選手カップルだと思うが表参道らしい場所で二人が写っていて男子選手がジャージ姿、髪をショートにした女性がスーツを着ていてその対比も面白いのだがとてもかっこよく見えてしょうがなかった。望遠で撮影しているため背景が程よくボケていて2人のアスリートが際立って表現されていた。2人ともこちらは見ていないのだが東京オリンピックと言う歴史的な催事の競技ではない一面を非常にうまく表現していると思った。

苦労して調べてみたら英国のアン・パッカー(陸上女子800m金メダリスト)とロビー・ブライトウェルだった。 当時高校1年生の何かをかきたてる一枚の写真だったが、日本の大判グラフ誌に載ったその写真を神田の古本屋街で今後探してみようと思う。
Ann Packer(800m Gold medalist) & Robert Brightwell