パリ・オリンピックが始まってFacebookで繋がっている仲間同士の投稿を見ていると、一般的に日本人が思っている「柔道」に関する考え方が見えてきて非常に面白い。
試合中、審判の「マテ!」の指示にもかかわらず、「聴こえなかった」という言い訳で絞め続け「半落ち」状態にして日本人選手に勝った選手が居た。
これに対するSNSは勝った選手へのSNS中傷誹謗で騒ぎになった。この絞め続けて勝った選手は今後逆に自分が同じように絞められて、審判の「マテ」の声が掛かっても「聴こえなかったふりをして」止めてくれない相手が続出して、そのうちいつか道場で殺されるかもしれない。
メディアは、この選手を責め立てる話ばかり報道したが、審判へのクレームはあまり報道しなかった。これは審判への非難を集中させるとその後の日本選手への「報復ジャッジ」があり得るという事で日本の各メディア報道協定でも行ったのかもしれない。
しかし明らかに審判に問題ありだ。昨日のこのブログでも書いたが、なぜ大きな男子同士の激しい動きの闘いを女性審判がさばけるのだ?しかも中央から審判はあまり動かずゆったりノンビリ畳の上に居て「絞めや異変」など、選手の傍へ寄って細部の状況判断をしているとはとても思えない。大相撲の行事だって自分も飛ばされるほど近寄るってのに?
それでよく偉そうに「指導」などできるのだろう?
今回も「マテ!」の後5~6秒も絞め続けた「事実」をなかったことにするのはおかしくないか?日本柔道界は「マテ!」の指示を守った側が守らなかった側の「続行」で命を落としたり後遺症が残った場合「告訴」するくらいの勢いで糾弾クレームすべきではないだろうか?
それが、国民の信頼に足るスポーツ団体、オリンピック出場団体としての幹部の義務だろうと思う。マスメディアはこの辺りをどう考えているのだろう?単に勝った負けたでは済まされない。
柔道団体戦で今回日本チームは銀メダルだった。コロナ過で延期された2021TOKYOに引き続きよくやったと思う。なんせフランスの柔道人口は50万人ほど、日本の12万人の4倍だ。だからよくやったと思うのだ。日本伝統の競技だから金メダル採らなきゃ・・と言うのはマスメディアの現状を無視した勝手な考えだ。
しかし、日本人の柔道に対するイメージはサッカーや野球、バレーやバスケ、陸上に比べてあまり高いとは言えない。
「そもそも封建的、教え側と教わる側の礼節にうるさい、先輩後輩の仕来りにうるさい、アスリートは胴長短足のイメージが強い、カッコ良くない、体形に問題が・・、怪我が多い」要は日本の同年齢の若者たちが他のスポーツに比べ「カッコ良いスポーツ」と認識していないから発祥国でありながら人口が12万人しかいないのだろう?
これを打破することが日本柔道界の「宿題」
これは柔道連盟や日本のスポーツ庁に問題があるのと同時に、世界のJUDOが如何に日本の柔道と違ってきたのかを体験しているにもかかわらず、この流れを理解しないまま選手を育てて来た過去のメダリストたちにも問題があるとみている。
柔道連盟タテ系列の上下関係、発言力。これらは圧倒的に過去のメダル獲得の色や全日本クラスの選手かオリンピックや世界選手権の代表だったか?などでその団体の中での発言力・権力が違うのだろう。
長野オリンピックの際、JOCからスノーボード競技役員を委嘱された筆者は、同時に1995年から3年間全日本スキー連盟の専門委員を八木勇四郎専務理事(JOC会長)から拝命していた。
したがって、この手の団体の内部事情は手に取るように良く判っている。今思うに柔道もスキー界(ノルディック・アルペン・スノボ含む)もほとんど同じだ。
お家芸のジャンプ・ノルディック競技は「別格」だがアルペン種目に関しては決して世界の上位には行けない。一方、当時の全日本スキー連目の理事には誰一人として居なかったスノーボード(当時の話)。当時の理事はグラススキーの理事が兼任していた、だって誰もスノーボード滑れないんだもの。
筆者のように40歳代ながらハードブーツのアルペン種目もソフトブーツのフリースタイルも自分で出来る外部の人間(連盟の常識・仕来たりを一切無視する人種)が入ったから(私一人ではない)こそ、古い体質の団体にもかかわらず、スノーボード種目に関してはその後オリンピックで上位の成績を収める選手が育ったのだろう。
彼らボーダー選手たちは日本の古い体質のスキー場では殆ど滑らず、オレゴン州のマウントフッドその他、アメリカ・ヨーロッパで年中滑っていた。だからこそオリンピックだろうが世界選手権だろうがワールドカップだろうが、世界の選手の群れの中で孤立せず、日本人だけで固まらず大会・コンテストに「場慣れ」して実力を出せるのだろう。
こういった新しい種目はSNSにしろマスメディアにしろ、普段勝手にアスリートや成績を「批評・評価」する輩・コメンテーターがそのスポーツを「出来ない、やったことがない」から叩けないのだ、判断できないのだ。
JUDOも今や日本の柔道とは全く違う代物なのだから、国士館流、講道館流の「柔道」はそのまま日本国内で継続するとして、世界大会のJUDOは日本のモノとは違うのだと早く見切りをつけ、世界で金メダルを獲りたければ「柔道家」ではなく今から「JUDOアスリート」の育成に励むべきだろう。
そのためには、有力候補を日本で育てるのではなくヨーロッパで生活させ英語をしゃべらせ、クレームの付け方、尊敬を得る方法を学ばせ日本のオリンピック代表にしなければダメなんじゃないだろうか?
大谷選手が野球の世界大会の決勝前にロッカールームで履いた言葉「尊敬するのはやめましょう!」まさにこれだ、「柔道家」の誇りや精神を捨てましょう、先輩たちが何を言おうと我々はポイントを稼ぐJUDOアスリートに徹しましょう…じゃないだろうか?