筆者は長い事様子を見ていたのだが、ついにブログにその一部を投稿しようと思った。色々書きたいのだが、表現ボキャブラリーに乏しい筆者の「呆れ具合」が届くかどうかいささか気に成っている。
「コロナ対応のマスクをいつまで着ける気なのだ、日本人!」がそのテーマだ。
筆者は2年前からコロナ対応のマスク着用の無意味を幾度かこのブログでぼやいてきた。決してその理由は感覚的なものではなく、科学的なものだ。
人間をコロナウイルスの大きさに例えるなら、効果が高いとされている不織布マスクの網の目は50m四方以上の枠という事だ。手製の布マスクに至っては100m四方の網目という事で車に乗っても通り抜けられるというレベル。これをどれだけのメディアが報じ、人々が理解しているだろう?ウイルスが水分を含んだ飛沫だとか水蒸気があるから・・という、いかにも科学的な説明もあるが、水分(=水滴)の大きさとウイルスのサイズをまるで理解していない方の文章だ。
ここに、2年前既に解説されているウイルスの大きさとマスクの網目の比較、さらにはそのマスクを色々な実験で検査した結果が報じられている。TVなど大くの国民が観るメディアは一切これを報じない。コロナ過を機にマスクなどを生産販売する産業・経済をバックアップするための陰謀だったというメディア(海外が多い)もあるが、筆者は一概にウソとも思えない。
こうした「真実・事実」のデータを出さず、TVコメンテータの「怖いですね?少しでも自己防衛を・・。」を鵜呑みにして、「TVで言ってたから・・。」で自分の行動を正しいと思い込んでいる人の何と多い事か?それこそNHKのチコちゃんに「ボーッと生きてんじゃねーよ!」だ。
それでもマスクの着用効果・存在意味を信じる人に問いたい!
国民のほとんどがマスクをしているのに、何故第6波、第7波、第8波が起こったのだ?そうして終息した(しつつある)のだ?何か根拠を元に説明できるか?それが説明できないのになぜちっとも不思議に感じないのだろう?やはり皆ボーッと生きているって事か?
さらに問いたい!
あのカタール・ドーハで行われたサッカーワールドカップ。10万人を超すマスクを付けない大観衆の中、すり鉢状のスタジアムの底で行われたサッカー試合。選手・観客のコロナ感染者が激増したというニュースがあっただろうか?
大会終了後、メッシの大活躍で優勝したアルゼンチン!凱旋パレードに集まった150万人、もちろんマスクなど誰もしていない。あのアルゼンチンでコロナ感染者が急増しただろうか?
日本のTVで相変わらず危機感を訴える自称専門家・事情通の医師、コメンテーターたち。何故この辺りを不思議がらないのだ?
日本に目を向けても、この正月をはさんだ数か月、筆者は都心の盛り場、高尾山、ありとあらゆる環境下へマスク着用せず徘徊して撮影した。コロナには罹らない、ワクチンはもう1年3か月前に二度目を打っただけで後は打たない。筋肉痛などのワクチン後遺症で困っている。この筋肉痛をワクチン後遺症と断言できる理由は、筆者がコロナに罹っていないからだ。
毎日平均1万歩を歩き、ここ20年週一でランニングしている筆者は自分の筋肉の疲れや痛みぐらい良く判っている。
これだけ「おかしな日本だけのマスク着用」が現状なのに、相も変わらず都心の街中でも、吉祥寺でも明治神宮境内でも、新宿御苑でも、さらには高尾山の頂上展望台でも皆さんマスクを着けて歩いている。何故だか筆者には全く理解できない。
ここにいくつかの「マスクを外すか外さないかのアンケート調査」結果がある。実際はもっともっと「周りに流されて、後ろ指さされたくない隊」のメンバーになり下がった日本人が多い事を表していると言って差し支えないだろう。
https://www.nhk.or.jp/matsuyama/insight/article/20220630-1.html 参考
LGBTやLGBTQの運動、あるいはロシアのウクライナ侵攻反対の運動で顔色変えて真剣に自己主張する人たちも、何故か屋外の寒空でも皆マスクをしている。ことマスク(=ワクチンしかり)に関してはちゃんと自分で調べてちゃんとした知識を得ようとしない、筆者はこれが何故だか判らない。