2021年12月12日日曜日

メディアは何故絶滅の恐れって大げさに騒ぐのだろう? Why media makes a big noise about the fear of extinction of creatures on the earth?

  今朝の新聞に「トンボの16%が絶滅の危機にある」と出ていた。環境団体や動物保護団体はことさらメディアに対し「絶滅危惧種が増えた・・。」だの、「○○が絶滅の危機に瀕している」と大声を上げてアピールする。

 16%が絶滅危惧種だという。しかし、16%が例え絶滅しても新たな種が20%発見される可能性の方が高いのだ・・という事をメディアは言わない。自然界は常に変化し移ろうのだ。消えていく種もあれば、発見され、あるいは変化する種もあるのだ。新型コロナの変異ウイルスで誰もが身近に感じているだろう?それと同じ事だ。

 生物の進化は、キリンの首が長くなったり象の鼻が伸びる・・・と言った地球規模の時間スピードばかりではなく、ウイルスの変化・変異と同じくらいの頻繁さでも進化・変化する。真っ白い蛇や白いスズメなど白化もアルピノという色素異常で一代変化で終わるとは限らないのだ。北極の白熊が何故白くなったのかと言う過程は正確には解明されていない。

 そのスピードで変異したり変化するのと同様に、種が絶滅したり発見されたり、変化したりするという事をメディアは言わない。今ある地球の姿を守り保善などという言葉で大切にしなければいけないというのは、あまりに非科学的と言わざるを得ない。自然が変化し続けるのは宿命なのだ。

 筆者は希少種のヤマセミを観察し始めて11年経った。野鳥界では人気がゆえに希少種(決して絶滅種ではない)と言われて久しいが、元々ヤマセミは群れないし、その異常なまでの縄張り意識から1.5㎞四方に1つがい程度しか生息しない「種」なのでスズメやカラス、鳩などより数的には圧倒的に少ないのは判っている。しかし基本的に絶対数が少ないからと絶滅の危機には無い。

 基本的に絶滅してしまう種は昆虫の場合年間何種くらいか、昆虫学者も環境団体も発表しない。これは発表出来ないのだと思う。国内数百種と言われる野鳥ですらまともにどこに何がどのくらい生息しているか正確には判らないのだもの。

 実例を上げれば、数年に一度の全国の野鳥生息分布調査で熊本県球磨川エリアのヤマセミの分布調査表示を視ればいい。他のエリアに比べても余り沢山住んでいない事に成っているが、実際は人吉市周辺でも7~8ファミリー(つがい)が営巣・繁殖しているのを筆者ほか数名が10年かけて撮影し記録している。調査結果とは裏腹にヤマセミの存在は濃いのだ。

 これに比べれて種のはるかに多い昆虫になれば、絶滅したことの調査などなかなかできないはずだ。昆虫好きで売り出したあの香川照之が100人いたって調査は不可能な話だ。

 考えて欲しい、例えば国内で一番小さいハッチョウトンボ(=全体が1円玉ほどの大きさの赤いトンボで生涯150m四方ほどのエリアで過ごす)が完全に絶滅したって、いったいどうやって調べて確認するのだ?

 野鳥に関して数年間目視が無くても、10年くらいしてまた再発見された例はゴマンとある。うかつに絶滅したと宣言して、また再発見したら大恥かくからだ。つまり「絶滅してしまった事」を確認・証明する事はとても難しいのだ。

 また一方で日本では絶滅危惧種だが、海外では数万羽のコロニーができているというエトピリカ(ニシツノメドリ=パフィン)のような種もいる。

 富山湾で獲れる寒ブリが居なくなっても、青森沖、北海道水域で狂ったような豊漁が続くような今年のケースの様に、天候・気象・海水温状態で居るところが変化するケースもある。今ある自然が変化すれば済む動植物も変化する・・・これが自然な地球だと言いう事だ。温暖化と寒冷化を繰り返す地球環境で生物の移動・変化は決して一定ではないはずだ。

 今までいたものが目の前から消えた途端、大騒ぎするのが動植物関連の保護団体や地球環境保護団体だ。「絶滅の危機」と言う言葉に異様に反応する。

 しかし、逆に新しい種を発見するのは日常茶飯事だ。大体において人間は未だに地球上の生き物をすべて知っている訳ではない。それが証拠に昆虫の新種発見など世界で年間2万種類、20,000種という数の大きさをお判りだろうか?

ご参考 https://www.nhk.or.jp/radio/kodomoqmagazine/detail/20180830_03.html

 一方で絶滅した種は「確実には判らない」のが通常だ、新しく発見されたものはそのもの自体、もしくは画像・映像で「出現した証拠、存在する証拠」が存在するから学術的に認められ、メディアでも認知されるのだ。

 しかし絶滅した=いなくなった証拠は出せない。だから絶滅したと思われる・・というあいまいな表現で、しかも居なくなって10年くらい経ってから発表に成る。

ご参考 https://www.news-postseven.com/archives/20101109_5449.html?DETAIL

 2009年に縁があって西オーストラリアへ行った。パースから南に下がってマーガレットリバーというワイナリーエリア。此処にごく狭い範疇にしかいない絶滅危惧種の大型の野鳥ボーダンクロオウムが生息している。これにワイナリーの樹林帯で出遭い撮影出来た。

 これなど非常に狭い所に生息しているが、1万羽以上はいる様だ。ごく狭い場所でしか生きていないので、世界中のここ以外の人達から見れば居ないに等しい、名前も知らないし観た事もないのだから。

ボーダンクロオウムは大きなオウムだ。別名オジロクロオウムとも言うそうだ。

撮影者の頭上まで飛んできた。

これだけの画像を収録できただけでも大興奮だった。生息域や数からみれば絶滅危惧種に指定されている様だが、現地で訊いたら危機感はまるで無いという事だった。
この西オーストラリアの左下隅にしか生息していない。

ウィキペディアではこういう表示に成っている。

 そういう理由で「絶滅の恐れがあるから気を付けろ!」というアピールしか出来ないのだ。並べて考えれば地球上で絶滅する種より、発見される種の方がはるかに桁違いに多いのだ。この辺り、メディアの何も考えない報道・情報拡散をただ「大変だ!何とかしなきゃ!」と思うのはやめた方が良いと思う。世の中はそういうものだと思っていればいい事だろう。

 メディアが騒いで保護したために絶滅から救った後、逆に増えすぎて今や農業・牧畜業の害鳥扱いのタンチョウのようなケースが出て来る。保護したがために北海道の農業牧畜従事者たちがタンチョウの食害で困っている話などメディアは報じまい?良く調べてごらん?呆れるから。

 だが、根本的な事を考えて欲しい。人間が生きているのは地球史の中でほんの少しだ。地球の長い歴史から見ればごく最近だ。そのごく最近の時間帯にどれだけの地球所の生物種が生まれたり、変化したり、絶滅しても人間がそれをすべて管理している訳では無かろう?環境団体や保護団体がそう思って活動しているのであれば、それは人間の驕りだ。

 かのホーキンス博士が科学系の記者たちに囲まれて「博士は地球外にも高度な知能を持った生物が存在するとお思いですか?」と訊かれた際の答えが正しいだろう。「えっ?地球のどこに高度な知能を持った生き物がいるのだね?」

 移ろう地球の歴史のほんの一瞬を生きている人間が「ある種の生き物が絶滅するかもしれない!」とその都度騒ぐ理由が筆者には判らない。