団塊世代の者にとって鰻重にしろ鰻丼にしろ鰻の蒲焼は食生活とは切っても切れない間柄だと思う。数十人に一人くらいは鰻がダメと言う者もいるかもしれないが、実に可哀そうな人生だと思う。
筆者などは、もし週一で鰻重や鰻丼が食えれば何でもする。しかし、現在の様に鰻の値段が高騰しては昔の様においそれとは食べられなくなったしまって、まことに残念だ。
鰻飯の事を喋らせたら、一時間でも二時間でもしゃべる奴は団塊世代にはざらにいるはずだ。もちろんスーパーで売っている太って脂ぎった中国産の蒲焼など食べて「美味しい」などと言う奴は友達に入れてやらない。あれは見かけは少し似ているが全くの別物。
鰻に関しての哲学、持論は人それぞれに相当違う。かって1960年頃鰻の産地で有名だった静岡県の者は「当然鰻と言えば静岡よ!国鉄の駅弁で鰻飯があったのは静岡・浜松だけだもの・・。」と言うだろう。しかし、現在静岡県の養殖ウナギ生産量は10%を切り全国で4位の位置にいる。
ご参考= https://unagichoice.xyz/city-ranking
それに調べてみたら、1967年交通公社発行の国鉄監修時刻表の東京ー西鹿児島間の駅弁に「うなぎめし」を販売している駅が12カ所もあった!いずれも¥200で、横浜、沼津、静岡、浜松、豊橋、名古屋、米原、大阪、岡山、岩国、博多、熊本。驚いた。当時は国産ウナギだろうから、今考えると相当贅沢な駅弁だった訳だ。
また、九州育ちの者は「蒸して箸で持ち上げられない柔々の蒲焼など信じられない!」と江戸の蒲焼をけなすせば、一方で九州の「細切れになって甘いたれをかけた硬いウナギなど食えるか!」という関東の人もいる。
これらをふまえつつ、今日のブログは団塊爺の鰻論をご紹介してみたい。
冒頭で書いた通り、筆者は相当な鰻好きだ。
もし宇宙ロケットで宇宙ステーションに行って長時間滞在することになって、持って行ける食べ物は3種類に限る・・・・となったら、迷わず鰻重と寿司と桂花の太肉麺にする。あくまで保存とか調理はどうする・・など、現実的方法は考えないとしての話だが・・。
鰻重を例にして鰻の蒲焼を論ずるなら、鰻重は九州と江戸に限ると思っている。京都大阪には独自に別の色々な料理があり、鰻はその地域の食文化の重要な位置を占めていないと踏んでいるから。
したがって、関西近畿で鰻を食ったことは一度しかない。そして美味かった記憶がない。これ以外にも、水郷霞ヶ浦、長野の諏訪湖など鰻の産地(天然)での鰻は美味しい店が存在するが、その99%が輸入の現在、鰻を論ずるにはやはり広い地域で考えねばならないだろう。
まず九州!九州の鰻は美味しい所が山ほどある。勿論行って食べた所の事しか書けないのでこのブログではそうするが、北九州小倉と黒崎の「田舎庵」、熊本市水前寺の「東濱屋」(江津湖の県立図書館傍)、人吉市の中心部で隣り合った「しらいし」、「上村うなぎ店」がBEST4だろうと思っている。
江戸・東京では唯一九州風地焼の銀座一丁目「ひょうたん屋」がダントツでご贔屓店、もう40年以上通い詰めている。筆者の鰻の評価の物差しがこのお店の鰻重だ。未だこの店の味を凌ぐ所に出遭った事がない。
最近日比谷・有楽町の「煽り一徹」も頼めば地焼で作ってくれる。間違いなく非常に美味しいのだが上品すぎる気がする。鰻には一瞬、野生の味を感じさせる瞬間が欲しい。
昔からの江戸風の「蒸して焼く」タイプの蒲焼で美味しいのは、浅草田原街の「やっこ」、久喜駅南口の「福本」、大森の「野田岩」その他浅草・銀座界隈に多数あるが、やはり基本は地焼の九州風に敵わない。
蒲焼のうまさを引き立てる御飯の炊き方・硬さは相当に重要な部分を占める。肝吸い、お新香、お茶、それぞれ脇役も大切だが鰻重の美味しさの5%あるかないかだろう。
これらを考えながら、今まで食して美味しかった鰻のかば焼きをご紹介。しかし、ここで重要なのが価格だ。基本的に老舗の鰻重の値段は上に乗っかっている鰻の大きさ、丸ごと一匹、3/4、1/2、と値段が決まっている場合が多い。鰻の質とか産地で値段が変わることはまず無いとみて良い。勿論天然物だけは別。
最近JRのガード下商店街に出来た静岡の鰻屋の様に、客の足元を見たような高額な値段で迫ってくるようなところには入らない。基本的に団塊世代の爺は3/4サイズで3000円程度を目安としている。庶民のランチの食い物に平気で五千円も取るような店は「対象外」としている。
今日はその九州の名店を中心にご紹介してみたい。あくまで個人の感想なので、人によって評価が違うのは当たり前だ。良い評価もあれば悪い評価もあるだろう。
まずは北九州小倉・黒崎の「田舎庵」何故か東京在住者のくせしてこの店には30回以上通っている。筆者が小学校の1年生から6年生までこの小倉で育ったという事もあるが、その小学生時代には一度も鰻を食べた記憶がない。勿論この田舎庵も知らない。
しかし、2002年以降仕事や野鳥撮影、旧友クラスメート等との歓談で小倉に着いたらまず此処で昼飯を食うのが「お約束」になって20年近くが経つ。