2015年9月7日月曜日

ヤマセミ、この1枚!#10 Selected photo of Crested kingfisher. #10.

 2020年東京オリンピックのエンブレム問題。騒ぎは収まりつつあるが、テレビのワイドショウ等ではまだまだこのネタで盛り上がりたいらしい。あまりの騒ぎに一時は一緒に叩かれていた佐野デザイナーの擁護派も少しほとぼりが冷めると「オリンピックのエンブレムだけはパクリ・模倣ではない」と今になって自分のブログやSNSで主張している。しかし3名のオトコを騙してきた悪い女が、「この人だけは本気だったのよ」と言い訳しているのとなんら変わりない。

 そもそも佐野デザイナーが叩かれているのは、問題のエンブレムが模倣かパクリかという事ではなく、「私はクリエーターとして過去においてもパクリとか模倣とかは一切した事がありません!」とメディアに大嘘をついた事に対するバッシングであった。彼の『嘘を平気でつく、あるいは自分の名前で売って置きながらパクリが発覚すると部下のせいにする』いさぎよくない人間性が、気高きオリンピックのエンブレム制作者にふさわしくないという根本の問題だろう?彼のデザイン界、広告業界その他の擁護者はまだこの点に気が付いていない。きっと自分達も同じ非常識な人種なのだろう。

 今の日本のデザイン業界はこの佐野氏の様な常識、価値感を持った者達で一杯かと思うと情けなくなってくる。ITパソコン、パソコンソフトの発展のおかげで、フリーハンドで上手な絵が描けなくてもデザイナーに成れたり、イージーなクリエイティブが出来る、許す風潮が出来てしまったのだろう。残念なことだ。あのスペイン内乱の際の銃弾に撃たれた兵士の写真で有名になった戦争カメラマン「ロバート・キャパ」も実はあの有名な写真は彼のパートナーだった女性の撮影だった事実がバレた。今回のパクリ事件は、努力をせずイージーに名声を得たものは、いつか必ずバレるのだという事を教える良い教訓になったのかもしれない。


・・・・・・・・という事で今日の一枚はこれ!


上空を行く二羽のヤマセミつがい。山奥の峡谷やブラインドに入って接近して撮る方法ではこの手の絵は取れない。開けた球磨川流域の特殊な環境でなければ飛来する姿を確認できない。上空を飛ぶヤマセミは初秋から初冬に掛けての人吉・球磨エリアの風物詩だ。

2015年9月6日日曜日

「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝 #5.」 1979年銀座の広告代理店『中央宣興』へ転職 その1。

 今では死語の領域かもしれないが「ダサい、ナウい、」などの新しい日本語が登場したのが’70年代最後の年1979年だった。ソニーの携帯音楽再生機器・ウォークマンが登場した年でもある。一方で街中を歩けばデザイナーズブランドのジーンズにダウンベスト、ダウンジャケットを着るのが流行り始め、テレビからは盛んにゴダイゴの「ガンダーラ」やジュディ・オングが羽衣のような衣装で歌う「魅せられて」が流れてきた。原宿界隈ではインテリア観葉植物としてアレカヤシが大流行し、安価な簾を窓に下げアパートの部屋の中をトロピカルな雰囲気で演出する事が流行っていた。
アレカヤシはトロピカル的で人気があったが、水遣りなど非常に難しい観葉植物だった。

そういう人々の間では山下達郎のアルバム「パシフィック」やフュージョン系のバンド、カシオペア、あるいはリバイバルヒット中だった団塊世代つのだ・ひろの「メリー・ジェーン」が頭の中を流れていた。一方、惜しまれて2013年の師走に亡くなった同じ団塊世代の大滝詠一は「A Long Vacation」を発売するまだ2年前だった。


インストルメンタルのフュージョン系のはこの頃全盛を迎えた。

 こういった新しい日本が誕生しかかった時に筆者は東京湾に面した陸の孤島・東京流通センターの日本IFGトリンプから、一人の強力なアートディレクターによって日本のど真ん中銀座一丁目の広告代理店へ救出されたのだった。そのアートディレクターはカメレオンというデザインスタジオの福田毅氏。数々広告の世界で活躍したレジェンドで長岡造形大学教授(2012年退官・現在は非常勤)をされているらしい。

 銀座一丁目の角、ちょうど読売広告社の対角線上に位置するその広告代理店は中央宣興と言う名で、年間総売り上げで国内の12~3位辺りに位置する中堅どころだった。広告代理店の世界については常に今まで仕事を依頼する側、つまり使う側にいたので、その業界の規模や企業名・組織の内容や機能・人種の実態に関してはあまり良く知らなかった。電通、博報堂の2社はメディアにも良く出ていたので知ってはいたが、自分の担当する所に出入りしている営業担当者しか面識は無く知識は浅いものだった。

 トリンプにいた頃、一度だけ京都新聞の記者が広告宣伝について色々こまごまとした事を訊きに来たのだが、品川のホテルで行われる年次総会の準備で忙しくてまともな相手を出来なかった事があった。そうしたら翌日博報堂の新聞局の局長らしき人が来て、何て失礼な対応をするのだとオフィスの皆の前で文句を言った事があった。どちらがクライアントだか判らないあまりの剣幕に驚いたが、正直に理由を述べた。「京都といえば業界ナンバーワン・ワコールさんの本社の在る所ですよね?東京の新聞社でもなく、競合の地元の新聞社さんに、他の新聞社にも訊かれない様な企業秘密を話すつもりはありません!」ときっぱり言い渡した事があった。

 勿論周りは拍手!その博報堂の局長級の人はブツブツ言いながら戻っていったが、後で調べたら当時博報堂はワコールの新聞広告掲載も扱っていたらしい。実はグルだったのではないかと今でもそう思っている。VANの倒産前のマーケティング調査の件と言い、この時の京都新聞の事件と言い、広告代理店という業界はうっかり気を許すとえらい事になりそうだという強い印象を持ってしまったのは確かだと思う。

 最初にこの中央宣興に出社した際は、一旦途中階の受付を通って最上階の社長室に連れて行かれた。直接最上階にいけない様になっている不思議なシステムを取るオフィスだった。広告代理店は皆そうなっているのだろうかと不思議に思った事を覚えている。

 3階だったか4階だったか中途半端な階に受付があって、髪の毛を後ろで束ねて、おでこの広いクールな感じの女性が座っていた。L型の特殊な土地に建っている本社ビルは、社員数に対しエレベーターのキャパが少なく、社員は皆2~3階程度の上下移動はエレベーターを使わずに建物の外側にある非常階段を使って移動していた。各フロアに入るときに鉄の扉がドーンと低い音で響くので、誰かが入ってきたのだなと判るようになっていた。
 屋上は看板のようなもので外側から見えないようになっており、一部の社員の喫煙場所?と言うか、日常的なたまり場所のようになっていた。
現存する旧・中央宣興ビル。二階の天龍は現存している。 Google mapより

 最初に通された最上階の社長室では、アートディレクターに一度逢わされた社長さんがどっしりと構えていて、暫く話をした後筆者の所属するマーケティング局の局長を電話で呼んだ。
 メガネを掛けた学者のようなその局長さんは、著名な誰かと「何とかマーケティング論」と言う本を共著で出した人らしく、自慢げにそれをもって来て「君も何かの折に読んでくれ給え」と言って渡してくれたが、とうとう「まえがき」さえ読まないまま今に至っている。

 このマーケティング局長は広告代理店の局長さんと言うより、何処かの文系大学のマーケティングを教える教授と言った方が余程似合っている風体だった。VAN的に言えば役人系の完全サラリーマンのクラスター(消費者分類)の代表のようだったと言ってよい。

 思い出話が一つだけある。この会社に移ってまもなくデスクに呼ばれて小さな声で「新庄君、薬局でこの薬を買ってきて欲しい」と小さな紙を手渡された事があった。で、銀座通り裏のお店で購入して、お釣りをもらい部屋に戻った。局長は席に居なかったが、局長が戻ってきた所で大きな声で言った。「局長!薬買ってきましたぁ、新ボラギノールで良いんですよね?」そのときの局長のうろたえ方は文章ではとても表せないビミョーなモノだった。筆者はボラギノールが痔の薬という事は知らなかったし、買った他人の薬の箱をまじまじと見たりもしなかった。もちろん痔と言うものがどういうものか全然知らなかった。しかし、その局長はその後二度と他人に薬を買いに行かせることは無かったという。


2015年9月5日土曜日

「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝 #4.」 時は1978年、トリンプから広告代理店へ転職。

 トリンプでは広告宣伝用のポスター制作、販売用のお客様お持ち帰りBAG、ノベルティ小物等を盛んに製作した。勿論雑誌その他メディア用の広告も作成した。さすが女性相手のブランドだけに広告宣伝費はメンズ・アパレルのヴァン ヂャケットよりは多かったような気がする。
 そのクリエイティブ制作を、青山に事務所を構える新進気鋭の個人アートディレクターに依頼していたのだった。偶然にもそのアートディレクターの事務所は、ついこの間まで通っていたヴぁん ヂャケット本社ビルの青山3丁目に近く、好んで陸の孤島の東京流通センターからモノレールに乗り彼のアトリエ・作業場へ出かけたものだった。 

 当時はちょうどカタカナ・横文字の新しい職業、アートディレクター、イラストレーター、コピーライターなどの専門職業がカッコよくもてはやされ始めていた時代だった。
 巷では池袋パルコ、に引き続き渋谷パルコを含め西武百貨店が「じぶん 新発見」「不思議、大好き」等に引き続き「おいしい生活」など、何という言葉ではないのだが、圧倒的な露出量の反復効果で皆の頭に残る(言葉=コピー)が話題を呼び、糸井重里などという全共闘上がりの「時流に乗るのが上手い」コピーライターが脚光を浴び始める時代背景が在った。

 それまで広告の裏方職人だったクリエーターと言う人種が、世の中の表側に出て来始めた時代で、その後これまた本来裏方の「料理人」がいっぱしの評価を得て、メディアの表側に出てくるのと似たような現象が起き始めた時代だった。学歴偏重時代の受験戦争を勝ち抜いてきた、地道なサラリーマン、製造業の技術屋と違って、美術専門学校、美術系大学、あるいはそういった学校を出ていなくても、下手絵でも個性があればイラスト一本で名前を売れる、そういう時代が広がる創生期のような頃だった。トリンプで仕事を依頼していたアートディレクターは、そういった単に時流に乗ったタイプではない、実力一本で当時は新進気鋭の一人だった。

 しかし同じ美術系という事だからだろうか、いや、こちらが依頼主という事でだろうとは思うが、その人懐こいアートディレクターは、何かにつけ筆者を青山のオフィスに連れ出すのだった。その上オーディオやオールディズ、ロック系の洋楽に詳しいと知るや、自分が関わっている広告宣伝の作業にアイディア参加させようとするのだった。

 このアートディレクター氏、お金が余程儲かったのだろうか?結構な額の予算で、オーディオセットのアッセンブルを依頼してきた。こちらは夢のような金額なのでしり込みしたが、最終的にマランツのコントロールアップ、マッキントッシュのメインアンプ、ガラードのターンテーブル、SMEの12インチのトーンアームにシュアーの最高峰のカートリッジをアッセンブルしてあげた。確か購入は御茶ノ水のユニオン電気(今のオーディオユニオン)だったと思う。このユニオン電気はまだ学生時代に社長さんがグレースのレコードプレーヤーを只でくれた事で非常に恩義に感じていたので、恩を返せて非常に良かったと思っている。この一揃え、暫くはクリエーターの間で評判だったらしく随分感謝された。
名器・タンノイ・オートグラフはコーナーに置く大型のスピーカー Google画像より

マッキントッシュの真空管メインアンプ Google画像より

マランツの真空管プリアンプ Google画像より

英国ガラード社のターンテーブルにSMEのトーンアーム Google画像より

名機・シュアーV15タイプⅢ 特にクラシックファンが多かった。 Google画像より

 在る時、またまた広告宣伝のプレゼンを手伝わされた。坊主頭で片方の手に包帯を巻いているお兄さんが一生懸命テレビ用コマーシャルの4コマの画コンテを書いている横で、その画コンテに音楽をつけて欲しいと言うものだった。その中の一つは非常によく覚えている。黒人の老人がブルー・デニムのオーバーオールを着ていて、徐々に顔がアップになると大きな眼からポロリと涙があふれるという画コンテだった。

 ちょうどポールマッカートニーとWINGSの来日公演(中止になった)直前でBeatlesに傾倒していた頃なのですぐに曲が思いついた。それはBeatlesのアビー・ロードと呼ばれている最後に収録されたLP(発売はLet it beの方が後)に入っている「オーダーリン=Oh Darling」と言う曲の出だしの部分だった。

 これは非常にスタッフに喜ばれ、そのままプレゼンに採用されたという事だった。なんでも後で聞いたらTDKというテープのメーカーのTVコマーシャルだったそうだ。最終的に採用されたが、肝心のポール・マッカートニーが来日の際に成田空港で逮捕されたためお蔵入りになったという事で非常に残念だった。
https://www.youtube.com/watch?v=9lCqJ_-CFnk YouTubeより

 この一件以来、かのアートディレクターが「新庄ちゃんはメーカーの宣伝課長やっているより、実務のクリエーターの方がずっと向いているし伸びるよ!」いう事で是非紹介したいと言う人の所に連れて行かれたのだった。

 それは華やかな銀座通りの一角になる細長いビルで「中央宣興」と言う名の広告代理店だった。しかし、実際其処の要人に引き逢わされたのは青山通りを少し入ったところにあるマンションのような場所だった。社長さんはガタイの大きな人でアートディレクターと話を暫くした後「どうですか?うちへ来ませんか?」といきなり話を切り出した。

 西ドイツの本社といい加減闘い疲れていたし、雨の日に霧に消えてしまう都心を見ながら早く都会の日本資本の会社に戻りたいと思っていた最中だったので、あまり深く考えずに「ハイッ!ヨロシクお願いします!」と言ってしまった。勿論給料が下がる事は判っていたし、半分にならなければやっていけると思っていたのであまり不安は考えなかった。

 翌日、トリンプで採用してくれたマーケティングマネージャーに報告しようと思ったが、何と!彼は2週間前に失脚して退職し、新しいマネージャーが席に座っていたのだった。これを知った時、自分の決断と判断は間違っていないと確信したのだった。

※参照画像のオーディオ機器は、いまでは現物がなかなか無い名機なのでGoogle画像から使わせていただいた。版権をお持ちの方で使用を許可できない方はお問い合わせコーナーからよろしくお願いいたします。他のものに差し替えます。

2015年9月4日金曜日

ヤマセミ、この1枚!#9 Selected photo of Crested kingfisher. #9.

 今朝の「加山雄三の悠々散歩」で加山雄三の地元ふるさと茅ヶ崎をやっていた。番組ロケ中に68年ぶりに隣に住んでいた小学校の学友に逢ったり、約40年前、初代光進丸にまかないの必需品を届けてもらっていた酒屋さんに出逢って思わず感無量で遠い眼になってしまっていた。これだけの著名人・俳優でも「素」に成ってしまう故郷ふるさと。これはやはり歳を重ねないと感ずることが出来ない一種独特の「気持・感傷」なのだろう。

 自分は父親の仕事の関係で幼少時代を九州の小倉や八代で過ごしたが、今朝の熊日新聞に出ている県内の鮎遡上激減、型の矮小化など気になってしかたが無い。
 先日の台風15号による球磨川土手、萩原天満宮の銀杏の大木倒壊のニュースだけでもブルーな気持ちに成ったと言うのに、数日前から全国にいる幼馴染が3人も同時に今それぞれの地元で入院していると聞いて益々落ち込んでいる。それぞれが死の床ではなく、回復必至の病なのがせめてもの救いだ。今日も友達の分を含めて健康保持の為10km走に出ようと思う。

今日のヤマセミ画像は水浴び後、筆者の方へ飛び上がって飛んでくる瞬間の画像。


車の中から観察を続けていて、目の前で色々パフォーマンスを繰り広げてくれるうちの1枚。

2015年9月3日木曜日

ヤマセミ、この1枚!#8 Selected photo of Crested kingfisher. #8.

 久しぶりに太陽が顔を出したので、夕焼けを観られるかもしれないと4ヶ月ぶりに日没を狙って10kmランニングに出かけた。いつもコンパクトデジカメをデイパックに入れて、携帯電話と少々のお金と身元が判る物を入れて走る。突然行き倒れに成っても迷惑が掛からないようにする為だ。

 さすがに2日前まで真夏の8月だったせいか、ジョギングをしている人は非常に少ない。冬であれば夕方の野川沿いは数百人が走っていたりする日もある。昨日は5~6名しかすれ違わなかった。 しかし、小学校時代から激しい運動を50歳まで続けて来たため、今でも運動不足は体調の不調に即繋がる体質になってしまっている。

 おかげさまで此処1年は頭痛以外医師にかかる病は無い。時々出る蕁麻疹も紫外線を浴びると出る事が判ってきた。昨日も鋭い夕陽の直射日光を真正面から受けたら夜になって蕁麻疹がジョギングパンツの強めのゴムの後に出た。太陽の光を直接浴びると障害が出る・・・って私はドラキュラか?
黄色いコスモスが咲いていた、白やピンクは真夏に一度咲いてピークは終わった。秋咲きはまだまだのようだが、野川の土手一杯に咲くのが楽しみだ。



久方ぶりの晴れた夕方、空のl雲も周りの景色も秋になっていた。


 さて、今朝のヤマセミ画像、この1枚はやはり川辺川太郎の生態画像。


 昨日掲載の岩の上でこちら目線をくれている時の飛んできて留まった瞬間画像だ。川辺川の綺麗さもよく判る。今朝の熊日新聞に此処2年の鮎の不漁記事が載っていたと情報を頂いた。鮎が減ればヤマセミも減るだろう。自然の変化は全てに影響する。漁協の方と一緒に来年に期待しよう。










2015年9月2日水曜日

ヤマセミ、この1枚!#7 Selected photo of Crested kingfisher. #7.

 これで何日雨の朝を迎えたろう?また雨だ。1週間前やっと気温が低くなって18年目のクーラーを止めたら、寿命だったらしく、そのまま室外機が止まって壊れてしまい動かない。今朝、室内は湿度が76%を指している。もう完全に梅雨の再来だ!秋雨前線も梅雨前線も似た様な物だ。日本も昔のような情緒溢れる四季の移り変わりが無くなって、東南アジアの雨季と乾季の気候帯になっているんじゃないだろうか?あまりに春と秋の期間が短すぎる。

 これに首都圏の冷暖房の普及が重なって、毛皮や重たい衣料品のバリエーションが少なくなっている。これがユニクロなど中軽衣料ばかりの世の中になった理由かもしれない。 

 2020年東京オリンピックのエンブレム(=公式マーク)の使用中止・撤回に関して色々な現象が起きている。簡単に言えばデザイナーの佐野氏が一番ひどいのは「私は他人の模倣とかパクリとかは一切やった事がありません!」と強気でメディアに言い切った直後にパクリが証明された事。
 つまり、全国に伝わるマスコミ・メディアですぐにバレる嘘をついた事が最初の大間違い。

 次に自分の名声・箔でクライアント(=仕事を依頼する人・得意先)から仕事をもらい、自分のデザイナーとしての名前が出る事で「売り・価値」を高めたサントリーのトートバッグのパクリが発覚した時に、「デザイン制作をやったのは自分ではない」と責任を部下に転嫁した事。この事で自分でデザインしていないのに、自分の名前を掲げて「ウソ」をついた事と、そのパクリ責任を同じ会社の部下になすり付けるという、上に立つ者として情け無い態度を取った事が全ての始まりだったように思う。その後出てきた各種のパクリはあくまで支援情報でしかない。探せば彼の場合幾らでも出てくる。実は日本の広告業界にあって、彼のやったことは、今まで日常的にごく普通にやられている事。大手広告代理店育ち人種の「業界常識・悪しき習慣」の酷さが今回の事件で表へ出てしまったのだと思っている。

 これはクリエーターに限った事ではない、広告代理店の世界では一般常識が違うのだ。例えば午前中に午後の会議の約束をして「じゃー、午後一番でね?」と言っておきながら、昼休みが終わった午後1時から会議が開かれる事はまず無い。広告業界の「午後一番」とは大体において午後2時過ぎ、下手をすれば3時にだってなりかねない。要はいい加減、ゆるいのだ。
 これらの件は毎週末の「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝」に今後いろいろ具体的事例でアップして行く予定だ。乞うご期待!

さて、今朝のヤマセミ君!川辺川太郎のドアップ。

地元で川辺川太郎と呼ばれ人気モノの立派なオス!胸の茶褐色は見事と言う他ない。若鳥の時は注意してみないと判らなかったりする胸の褐色だが、彼のは物凄く立派だ。4年来観察を続けているのですっかりこちらを認識してくれている。時々こうして近くの岩の上から車の方を見ながら愛コンタクトしてくる。


2015年9月1日火曜日

ヤマセミ、この1枚!#6 Selected photo of Crested kingfisher. #6.

 また今日も起きたら雨だった。これで5日間雨の朝。カーペンターズじゃ無いが「Rainy days and these five days get me down・・・」てか?えーい、まったくうっとおしい。

 昨日は自分が一時育った熊本県八代市で、先日の台風15号により「心のランドマーク」でもあった球磨川・萩原堤の大銀杏の樹が倒れてしまった・・・という話を掲載した。今朝までに3名の方から「信じられない!」といったメールを頂いた。やはり皆さん覚えている目立つ樹だったようだ。

 長雨のせいなのか、嬉しくないニュースは続くものだ。昨夜これも50歳過ぎの再会以来、非常に仲良くなった小倉の小学校時代のクラスメートから入院必至の連絡が入った。良い話がなかなか続かない。ひょっとすると人吉で毎回お参りする矢黒神社の屋根がこれまた台風15号で破損した為だろうか?まったく罰当たりの台風だった。

 今は試練の夏の終わりなのだろうか?全国の火山の活性化、静岡県御前崎の地震、関東エリアの内陸震源の地震。何か不気味な予感がしてしょうがない。浮ついていてはいけないと言う戒めと取ってしばらく自重しようと思う。

 さて、今日の一枚は3日ぶりにヤマセミ画像!


 川辺川の水浴びから勢い良く飛び出すヤマセミのオス。地元の観察者の間では「太郎」と呼ばれる結構名の知れた人気者。しかし昨年営巣中につがいの相手と雛、もしくは卵ごと筆者達が観察している目の前で青大将に全滅させられた悲劇の主人公。今年も別の後妻を得て営巣したが、これまた観察中に事件が起こり繁殖を失敗した悲運のヒーロー。来年は上手く行って欲しい。